Tell me how strong you are【5】
「凩、起きて下さい! 凩!」
深夜、凩は舞に肩を揺さぶられて目を覚ました。
「……なんやのん」
気分良く寝ていたところを邪魔されたのと、極度の眠気から少し怒り気味に凩は言う。しかしその返答は凩にとっては思いもよらぬものだった。
「凩、今すぐ家を出て朝が来るまで逃げましょう」
家を出て、逃げる。凩にはその意味が理解出来なかった。
そもそもハザミが魔境である事は凩も重々承知しているが、父親である嵐が毎晩魔獣を狩っている為夜中に外出したりしなければそこまでの危険は無い。ハザミの人間の安眠はしっかりと守られている訳である。
舞が言うように家を出る必要も無ければ逃げる必然性もない。寧ろ外に出てはいけないという禁を教えたのは一舞のその人。
言葉に従う訳が無かった。
「なら、やむ無しです」
舞は布団を無理やり剥ぎ取ると凩をまるで米俵のように抱えて屋敷を飛び出した。
「かあちゃんなにやっとる……ん?」
不満を訴えようとした凩は言葉の途中で舞の違和感に気が付く。
舞の姿は普段の着物姿では無かった。軽装ながらも戦闘に赴く際に身に付けるような鎧を着込んでいたのだ。そして凩を担ぐ逆の手には薙刀が握られている。
「凩、貴方だけは絶対に死なせません」
「なに、いって……」
貴方、だけは。
安全なはずの屋敷を飛び出して逃げる理由。
見慣れない鎧姿に、今にも泣きそうな舞の顔。
「とうちゃん、しんだんか?」
「……」
「なぁ、とうちゃんしんだんか!?」
「……」
答えは沈黙だった。だが、その沈黙こそが何よりも雄弁にそれが正解なのだと凩に伝えていた。
「……朝日が出るまではまだ時間がありますし、これは私も腹を括らなければなりませんね」
舞は未だに明けぬ宵闇を睨みながら呟いた。
そしてそんな中件の化け物は二人に追い付く。
「そ、んな……」
先ず見えたのは、首だけとなった嵐の姿。次いで見えたのはのは腹部に十字の傷を負った血濡れの悪鬼だった。
「凩、私が時間を稼ぎます。どうか、どうか少しでも遠くへ。そして何が何でも朝まで生き残って下さい。後の事は前々から灯さんにもう頼んでいますのでご心配なさらず」
舞は凩を下ろすとすぐさま鬼と相対し、薙刀を構える。
「さてさて、よくも私の夫をよく殺してくれましたねぇ……お陰で私、とても苛立っています」
普段通りの口調。しかしそこからは隠し切れない怒りと悲しみが滲んでいた。
「なので時間稼ぎ、とは言わず命を使い切るつもりで殺しに行きますが……構いませんね?」
言うが早いか、鬼に向かって薙刀が振われる。それは見事に鬼の腕に命中するが舞は手に伝わる硬質な質感に小さく舌打ちする。だが硬い程度で止まる舞では無い。皮膚が硬いと見るや否や主人が付けたであろう十字に狙いを定めるとそこを目指して斬撃を重ねる。
鬼の方も十字傷を狙われては不利と考えたのか嵐の一戦とは異なり己の剛腕を使った防御の構えをとった。
しかしそもそもこの鬼というのは強者であるが故に防御には明るくは無かった。今までの敵対者が膂力のみで死ぬ様な雑兵であったからである。
攻めに傾倒した鬼の防御は余りにもお粗末だった。
薙刀が剛腕を潜り抜けて十字を穿つ。すると確かな手応えと共に……薙刀の刀身が、肉体に埋まった。
舞はすぐさま薙刀から手を離すと距離を取る。鬼の筋肉は強固だ。埋まったが最後抜ける保証は何処にもない。まして抜こうとして隙を晒せば本末転倒だ。
案の定先程まで立っていた地点に拳が振るわれたが距離を取った舞には届かない。
状況は舞の優勢。しかし舞の表情には一切の余裕が無い。辛うじて攻撃の直撃こそ避けれているものの舞の体力が無尽蔵という事はない。それに加えてリーチの長いメインウェポンまで失ってしまった。必要経費だと割り切ってはいるが此処からは更に立ち回りが難しくなるのは、必定。
「まぁ、致命傷与えられる箇所が増えた事を素直に喜びましょうか。とは言え長雨を齎し嵐さんを殺した魔獣。この程度で終わってくれる筈もありませんね」
もうもうと霧が立ち込め鬼の姿がぼやけてゆく。
持つのは無いよりは幾分か良い程度の武器。相対するわ手負いの、されど能力を十全に発揮しだした鬼。
攻守が、逆転する。
舞は油断無く全方位を警戒するが、それを嘲笑うかの様に鬼は鎧ごと舞を殴り飛ばした。
身体がくの字に折れ曲がり口からは鮮血が漏れる。
「僅か一撃でこれとは、恐ろしい事この上無い、ですね……」
咳と共に血を吐き出せば意識が段々と遠のいてゆく。
「しかし、ええ。例え私が物言わぬ肉の塊になったとしても、守らなければならないものがあるんですよねぇ……」
しかしそれを気力で強引に繋ぎ止めると懐剣に己の血を塗り込め、呪文を唱え始めた。
それは一度聞けば全身が総毛立つような、悍ましい呪いの儀式だった。
ハザミは魔獣に対抗する為に様々な技術を発展させて来た。それは効率の良い鍛錬であったり、質の良い刀の製造法であったり、戦闘に於ける流派であったり。そんな技術の一つに呪いはあった。
呪いとは力の弱い人間が魔獣を殺す為に作られた技術だ。己の髪や血などを触媒にして呪文を唱える事で超常の力を行使する、言ってしまえば西の大陸の魔法のようなものである。
その効力は唱える呪文や触媒によって多岐に渡るが、その中でも一番効力が強い呪いは『道連れ』の呪いだ。
その効力は至極単純。術者の死を確定させる代わりに対象にありとあらゆる不都合を押し付けるというものだ。敵が弱ければ忽ち塵になり、敵が強ければ術者の技量に見合った弱体化や身体の部位の欠損などが確実に起きる。
舞の遣った呪いはそれだった。
「……弱さとはかくも残酷」
ゆらゆらと幽鬼の如き挙動で立ち上がるとすかさず追撃しようとする鬼に向かって懐剣を一振り。
「ごめんなさいね」
瞬間、鬼の左腕が消し飛んだ。
鬼は突然の痛みに悶えて攻撃を中断してしたところで、
ゆっくりと空が白み始める。
「あら……あら、ちょっと早まりましたかねぇ。でも、これではどの道数日生き残れないでしょうし、一矢報いたと思えば悪くはありませんか、ね」
そんな中ぱたぱたとそそっかしい足音が耳に入った。
「かあ、ちゃん」
「……」
「かあちゃんっ!!」
凩だった。逃げろという言い付けを守って逃げていた凩が朝日が出て来た事で戻って来ていた。
「しなんといて……しなんで」
「凩」
舞の声は既に掠れており、死ぬ寸前だと言う事が幼心にもハッキリと分かってしまう。
「強く、強くなりなさいな。己の意思を貫ける様に。いついかなる時も健やかなる人生を過ごす為に」
「つ、よく」
「凩、母は貴方を愛していますとも」
……呪いを使った者の最期とは、往々にして悲惨なものである。真っ当で無い方法で望みを叶えようとすれば望みが大きければその望みが大きいほど悲惨な末路を辿る事となる。
「かあちゃん!!」
舞の皮膚が青紫に変色していく。細胞が壊死を始め生命活動の一切を自ら放棄する。そして絶え間なく繰り返される自壊の果てに、
「あ、あ、ああああああっ!!」
その肉体は骨のみとなった。
子供は一人、自分の弱さを自覚して泣いた。
子供は己の弱さを憎んだ。
子供は鬼を憎んだ。
そして渇望する。
力というものを。




