Blood is thicker than water【1】
前半と後半のテンションの差で風邪引きそう。
さて、昨晩慣れない酒をかっくらい泣き上戸と化した俺は猛烈な頭痛と倦怠感に苛まれていた。
アラクネになったとは言え普通に二日酔いはするらしい。寝る前にでも水を飲んでおくんだったと後悔するが、此処はネイファ。ロウファと比べてしまえば大体の物価が高い。水に関しては第二魔素で賄えるものの人口自体が少ないこの都市では第二魔素の使い手も少なく、結果的にやはり高価になりがちだ。ただでさえ酒を買って今までの貯金の半分以上が消し飛んだ状況だ。更に水なんて買ったら財布の中身がスッカラカンになること請け合いだ。
と、いう訳で久方ぶりに第二魔素を使って水を作り出し手のひらから出て来た水を直飲みする。
「……はぁ」
前にも言ったが俺はあまり酒を飲まないたちだ。所属するサークルも飲み会が多かったりするわけでもなし、両親も酒が好きという訳でも無い。結果生まれた酒にまるで興味を示さないアーバンボーイ。そのアルコール耐性は余りにも脆かった。
さて起きるかとベッドから降り……ようとして手首の辺りの違和感に眉を顰める。
重い。と言うか、何か引っ付いている。
よくよく見てみると手首の辺りに糸が巻き付けられていた。
「……んぁ?」
糸の先を辿れば当然の如くすやすやと穏やかな寝息を立てるアニの手首に行き着く。成る程、理解した。デ●ノートで見た事あるやつだ。手錠で探偵ポジと容疑者ポジを繋いで離れれなくするアレ。……うん?
状況は理解出来た。しかし何故俺はこんな事になっているのだろうか。まぁ、幸いにもというか何というか、巻きついているのは糸。切ろうと思えば切断なり焼き切るなり出来そうではあるがそれをしたら最後とんでもない事が起こるであろう確信があった。脳内に ▼それを切るなんてとんでもない! みたいなメッセージが浮かぶようだ。
しかし困った。糸で繋がれている以上離れれば確実にアニを起こしてしまう。昨日の事もあるし寝ている所を起こしてしまうのは躊躇われた。
「まぁ、我慢すっか」
結局、俺は部屋を出るのを諦めて再びベッドの中に戻る事にした。ベッドの中はぬくぬくと温かな体温が感じられ鈍痛の中にあっても自然と頬が緩む。
そんな中、件のアニがパチリと目を覚ました。
「もしかして起こしちゃったか?」
「……ん、問題ない。おはよ、叶人」
おめめはぱっちりしているが表情はまだゆるゆるとしていて可愛らしい。と、そうでは無く。
「ところでアニ、この手首の糸って何だ?」
「隠し事、してたから」
そう言うと、むすっと膨れるでも無く悲しげに目を伏せた。
「大事な事なのに、相談もしないで、押し隠して、一人で抱え込んで、悲しんで。……叶人の言いたい事も分かる。けど、私も悲しくなる。だから、こんな風に繋いでいれば隠し事出来ない……と、思った」
特大級の爆弾をカミングアウトした今の俺にはもう隠し事なんて何も無い。し、作る気もさらさら無い。だからその考えは杞憂ではあるのだがそれを言ったところで昨日の今日だ。どれほど説得力があるか。だが、これは俺の責である事は明白だ。甘んじて受け入れるとしよう。
「ゴメン」
「……悪い子」
謝るとポスポスと頭が叩かれる。ただその手つきは柔らかく、叩くというよりも撫でるに近い動作のように感じられた。ただそれは近いだけであって、いかにも『私怒ってます』といった感じがありありと感じられた。
ただ、俺が生まれてから六年しか経っていないものの肉体年齢で言えば間違いなく成人のそれなのだ。子供扱いはやめて頂きたい。何か、とんでもない性癖が開花してしまいそうで怖い。
「悲しまないで、ね」
「……ああ、分かってる」
言い訳はしない。諦めもしない。無理もしない。そして悲しまない。
全部成し遂げないといけないところが辛いところではあるが……成し遂げて見せよう。俺を信じてくれる彼女の為に。
「それはそうと手首繋いだままだと着替えに困りはしないか?」
「……困る。失念してた」
霊衣を常時着用の俺は兎も角アニは寝巻き姿なのでもしかしてと思ったら案の定だった。
しかしそんな抜けているところもまた……趣深い。
♪ ♪ ♪
夢を見た。
夢を見た。
また、夢を見て。
そしてまた夢を見る。
人が死ぬ場面、だったように思う。だったように思う、というのはその顔がぼやけてよく分からなかったからだ。ただ、その人物に言われた言葉は良く覚えている。
「強くなれ」
その一言だった。
強くなって敵を取れ、なのか、或いは強くなって人を守れる人になれ、なのか。その真意は分からない。けれどその言葉だけはハッキリと覚えていた。
そして、一凩は荒い呼気と共に飛び起きる。
「……っ」
胸に手を当てバクバクと脈動する心臓を宥める。次いでいつもとは異なる寝床を見てはてと思う。
オルクィンジェとの模擬戦で敗北した事は覚えているがそこから先の記憶がポッカリと抜け落ちていた。疲労が限界にまで達したか? 否。凩は修羅の国、ハザミの生まれである。疲労困憊であれその場で寝る事は絶対に有り得ないと言い切れる。戦場で眠る時、それは死ぬ時のみとは養父の教えだ。
では一体何が起きたのか。それを知るのはやはりこの部屋の主のみぞ知るところだろう。
「ふむ、随分と早い起床だな凩」
尊大な態度で言い放つのは理外の強さを誇る異世界の天使、オルクィンジェ。
彼は壁にもたれかかりながら静かに目を閉じていた。
「ワリャは、あれからどうなった?」
「どうなった、とはえらく抽象的だな。……まぁ良い。端的に言おう。お前は俺に敗北した。そこまでは覚えているな?」
苦々しい思いをしながらも一つ頷く。
「その後俺はお前の過去を覗いた。お前の感じている不調は恐らく俺の過去閲覧が元凶だろうな。咎めるか?」
「……いんや。ワリャの強さは頭打ちやったからの。先が拓けるんなら、文句は言えん」
凩がそう言うとオルクィンジェにしては珍しく「ふむ」と眉を顰め難しい顔をした。
「ならば存分に文句なり嘲罵を浴びせるが良い。お前にはその権利がある」
何を言っているのか、意味を捉えかねる。それではまるで超覚醒……その前提たる魔獣化の芽も無いようではないか。
何かの冗談かと思いオルクィンジェの顔を覗き込むが、これ以上無く真面目な表情はそれが真実なのだと如実に物語っていた。
「嘘、やろ……?」
「生憎、俺は虚偽と欺瞞は嫌う性質だ。好き好んでそんな事を口にはしない。それに加えてお前の判断は短絡的過ぎるきらいがある。もう少し落ち着いて話を……」
言い切る前に凩はオルクィンジェに詰め寄っていた。その目は血走っており明らかに狂気に片足を突っ込んでいる者の眼をしていた。
「ワリャの力は、本当に頭打ちって事か!?」
それに対してオルクィンジェは舌打ちすると背負い投げの要領で己の体格よりも大きな凩の体を床に叩き付ける。
「戯け。お前は先の戦いで技量の差を見た筈だ。確かにお前の技量は人間にしては卓越している。しかしまるで全然極みには程遠い。頭打ちというのは極みに到達してから言うのだな」
「じゃあその極みってのには一ヶ月で到達出来るんか!? ワリャだけ、ワリャだけ弱いまんまなんやないんか!?」
再び舌打ち。
全く、厄介な設定をしてくれたものだとオルクィンジェは思う。
一ヶ月は長いようで短い。その期間内で堅実に強くなろうとしても実際どれだけの成長を見込めるというのか。一あったものがギリギリニになる位か? ……いや、最悪伸び悩めば変化なしのまま決戦を迎える事になろう。その程度の時間でしかない。
故に焦る心は理解出来る。インスタントに強力な力を追い求める心も理解出来る。
「勘違いするな。お前に魔獣化の芽はしっかりと存在する。しかしその性質故においそれと手を出せない、と言えば理解出来るか?」
しかしあると分かりきっている地雷を踏み抜ける訳がないのだ。いや、地雷ならまだ良い。凩の魔獣化を促す行為はどちらかと言えば着火寸前の爆弾の周りにガソリンをぶち撒けるような事になりかねない。余りにも危険で、無謀だ。
「けんど、それでもワリャは力が……!!」
故にオルクィンジェは冷徹を以って凩の言をねじ伏せる。
「力、力、力。ハザミで叶人に重要な情報を伏せた時といいお前はそればかりだな。いや、これはお前の両親がお前に遺した呪いか。どちらにせよ哀れなものだな。いっそ度し難いと言っても良い」
凩は押し黙る。
「力を求めるのは人の性だ。だが、性ならば何でも許されるとはならない。模擬戦の際にも言ったが力のありようを見失えば待つのは破滅だ。それをゆめ忘れるな」




