A self-selected ending【2】
所変わってネイファの宿。その中の雰囲気は最低と言っても差し支え無かった。
「……」
「……」
何せアラクニドは叶人の帰還を欠片も疑ってはいなかったものの定期的な血の摂取が出来なくなった結果、動悸や吸血衝動、吐き気に目眩などの症状に苛まれ、唯は魔獣化しかけた所で篝によって意識を刈り取られ気絶。その後目覚めてから落ち着いたもののふとした折に瘴気が漏れ出るようになってしまった。
比較的マシなのはアラクニドと唯の二人組とは別室で固まっていた篝、凩、オルクィンジェの三人だった。……のだがいかんせん状況が悪かった。いや、悪過ぎた。
ニャルラトホテプの指名によってジャックが叶人を連れ戻しにアース……地球へと向かってはや一日。戻る気配は未だに無く、アラクニドの魔眼も発動する様子は無い。
ジャックならば必ず叶人を取り戻してくれる事だろう。そう信じているし、そこに心配を差挟む余地は無い。
しかし、時間的な問題に関しては別だった。
現在アースとイデアの二つの世界はゆっくりとしたものであるもののニャルラトホテプの侵攻を受けている。あまり時間を掛けると何もかもが手遅れになる可能性は非常に高い。
見えないタイムリミット。けれども確実に過ぎる時間。それが三人の心から段々と余裕を奪い去る。
その様は、正しくどん詰まりだった。
♪ ♪ ♪
そして、そんな中いきなり邪神は現れる。
「おやおや、皆さん随分と暗いご様子。一体どうされたのやら」
全ての元凶は煽るようにそう宣う。それに反応して凩が手を出し掛けるが篝がそれを諌める。
「……何の要件だ」
「今からジャックさんがアースから帰還します。程なくして叶人さんも帰還するのでお知らせをと。おめでとうございます。貴方達の宿願はまだ絶えません♪」
それを耳にして三人はほっと胸を撫で下ろす。相手はあのニャルラトホテプ。無貌の神にして全ての元凶だと知って尚、安らいでしまっていた。警戒していたにも関わらず。
異常。警戒したくても警戒出来ない異常に凩と篝は言葉を失った。
「しかし、そう。まだです。まだなんですよ。これで勝ちを確信したと言うのならそれは余りにもお粗末♪ 邪神を舐めないで下さい♪」
「……緩急を付けた物言い。少なくとも邪神の嫌らしさは健在らしい」
一転して身震いする程の怖気を放つニャルラトホテプに対しオルクィンジェは皮肉気に言い放つ。
「それで、一体何のつもりだ。お前はこれから何をしでかす」
「理解が早くて助かります♪ 実の所、そろそろ本格的に侵攻しようかと思っていまして。なので貴方達に最初にして最後のチャンスを与えに来ました♪」
「チャンス?」とオルクィンジェが問い返すと邪神は「ええ♪」と機嫌良く返事をする。
「『デイブレイク』本拠地、ヒュエルツ=イェンヒェン。そこで私を含めた残存する『六陽』全員が集結します。アースとイデアを救おうと思うのであれば、ありったけの勇気と狂気と蛮勇を持って私達に挑みに来て下さい♪ 因みに貴方達に与える猶予は……そうですね。ざっくりと一ヶ月と致しましょうか」
一ヶ月。それが週末までのタイムリミット。
その言葉が閉じた部屋の中に重く残留する。
「とは言え大陸を移動する旅となれば時間が足りなくなる。私としても長旅で疲弊し切った、万全では無い貴方達に来られても困りますのでこちらを進呈しましょう♪」
ニャルラトホテプが頭のシルクハットを取るとハットの中からバラバラと数枚の黒い紙が舞い散った。
「とある悍ましい禁書に書かれている転移の呪文の頁です♪ 読めば少々精神不安に陥りますが二、三日もすれば元の通りに。これで時間を気にすることなく我らが本拠地に辿り着けるかと♪」
そう言うと丁寧な所作で散らばった紙を拾い集めるとオルクィンジェの手に半ば捩じ込む様にして握らせる。
「さて、私からは以上です。良き週末を」
「……」
やはり部屋の中の空気は最悪だった。
そんな中、隣の部屋……アラクニドと唯の部屋のドアが開く音が聞こえ、次いでドッドッドッと騒がしい足音が響いた。
二人に何かあったのかと三人は部屋を出ると――
鬼気迫る様子のアニが駆けていくのが見えた。
それにやや遅れて隣の部屋から唯も顔を出す。
「唯、蜘蛛子は一体どうしたんや!?」
「どうもこうもいきなり身体を起こしたと思ったらあの調子よ。ただ、あの子の行く場所には大凡の辺りは付いてるから心配の必要は無いわ。……多分」
「して、その当たりとは何なんだ?」
篝が尋ねると唯は肩をすくめて見せる。
「出て行く直前呟きが聞こえたのよ。『帰って来た』って。だからこれからきっと逢瀬の時間、なんでしょうね。……っ」
そこまで言うと唯の右腕から黒煙のような瘴気が漏れ出た。それを見て凩と篝は心配そうな顔をするが唯は「心配は無用よ」と口にする。
「……あの子に着いて行く行かないは自由だけど、あの子、今相当血に飢えてるから叶人と会うなりスプラッターになるって事だけは確実ね」
「男女の逢瀬と知って茶々を入れるのは不粋の極みか」
「まぁ、確かにの。……にしても、あんたも中々に恋愛脳になって来たんやない? 叶人ならそういう事言いそうやし」
「確かに。そうに違いない」
「まぁ、それはそれとして俺は行く事にしよう。我らが団長の帰還でもあるのだからな」
「だの」
そう言い合う『幻想旅団』の面々。その顔には久方振りの笑みが宿っていた。




