Despair【1】
絶望と希望の最終章でございます。
そしてこの話で丁度200話!! これは実に素晴らしい……。
「ここ、は……」
目を覚ますとそこは、俺が殺された公園だった。ああ、忘れもしない。ヘカテによって理不尽な死を強いられた、あの公園だ。
一体どうしてこうなったのかと思いながら周囲を見渡すと、少し視界に違和感があった。
俺の視界、こんなにも曇っていただろうか。アラクネへと種族を変えた俺は感覚器官が常人とは異なり鋭敏になっている。だから、遠くの風景がボヤけて見える筈なんて無いのに。
「……無い」
そして、見つけてしまった二つ目の違和感。赤いリボンが無い。
最初はコスプレのようで気恥ずかしかったが、今では俺のトレードマークとなりつつあったリボンが胸に無かった。いや、それどころか……俺は死んだ日と同じようにコートを見に纏っていた。
慌てて懐からスマホを取り出すと指紋認証でホームを開く。そしてカレンダーアプリを開いてみれば、
「嘘、だろ」
そこには俺が死んだ日付け。
どうやら俺だけ地球に戻って来てしまったらしい。
「待てよ待てよ、って事は、俺、死ぬ!?」
アラクネは番の血を飲み続けなければ死ぬ。つまり番のいなくなった俺はあと数日もすれば発狂して死に至るだろう。
しかし、画面の反射によってその考えは否定される。
画面に映る俺の虹彩は、黒かった。
「ッ!!」
カメラを内向きにして起動しても映るのは何処ででも見かける黒い虹彩。
死なない、と言う安堵は無かった。
ただ、物悲しさだけが胸を占めていた。
だって、俺には異世界の痕跡が全く無かったのだから。
「全部、全部全部、夢だったってのかよ……」
涙が、流れた。
仲間が出来たのも、叶人と呼んでくれる人が出来たのも、沢山の冒険をしたことも、沢山笑ったことも、間違えたことも、立ち向かったことも、清人と再開したことも、最愛の女の子と居たことも、全部が、夢だったと、そう言うのだろうか。
「ふざけんなよ……」
俺は何の為に心を砕いて来た?
あんな辛い思いをして結局は全部が全部夢オチ?
「……クソが」
アニも、清人も、唯も、オルクィンジェも、ジャックも凩も、篝も、誰もいない。
寂しかった。
「最初からこうなるのが、決まってたなら。……俺は、心なんて要らなかったよ」
頑張り抜いた先の虚無に、心を折らずにはいられない。ああ、認めよう。これは絶望だ。
コートの袖口で目元を拭うと駅に向かった。作業的な動作で。
「……」
電車に揺られながら、思う。これから何をすれば良いのだろうかと。大学に普通に通って、それで……。それで、どうする? 何になる? 惰性で日々を貪って、死んだように生きて。それで会社に就職して。
……それに、何の意味がある。
「はぁ、一人になって俺すっかり弱虫になっちまったよ、アニ」
彼女は、今どうしているのだろうか。俺が居なくなって、悲しんではいないだろうか。
……アニの心配が出来る様な立場では無いのだけれども。
そんな事を思っている内に、家から一番家に着いた。
駅のホームに降り立つと、懐かしさがこみ上げて来る。異世界に居たのは一年にも満たないと言うのに、不思議なものだ。
駐輪場に置いておいた自転車に乗って帰宅する。
「……ただいま」
「あら、清人。遅かったわね」
その言葉に、心を抉り取られる。そうだこの世界に於ける俺は清人の代用品。俺は清人の紛い物でしか無い。杉原叶人と呼ばれる人間は、居ないのだ。何処をさがしても。
「……少しゲーセン行ってた」
言葉に詰まりながらどうにか吐き出す。すると母さんは「そう」と家事を再開した。
……最早、異世界で培った杉原叶人としてのアイデンティティは音を立てて崩壊していた。
手早く俺は自分の部屋に引き籠ると電気もつけないまま布団に突っ伏した。
「どうして、俺ばっかこうなるんだよ……。なぁ、俺、こんなにボコボコにされないといけない人間だったのかよ。……誰か答えてくれよ」
返事は、当然無い。
仰向けになりながら、ふと今までの苦労を思い起こす。
清人とクロを助けることが出来ず、清人の代わりにずっと清人と呼ばれ、理不尽に殺されて、唯に逆恨みされ、清人を目の前で殺されて。
もう、沢山だ。
おまけに世界を救うには俺の命と引き換え。
戻っても絶望。ここに居ても絶望。
逃げ場なんて何処にも無い。
「はぁ、こんなに死にたくなったのは、生まれて初めてだ」
何度も死にたく無いと叫んだ。その果てがこのザマだ。いっそ笑えて来る。あまりの滑稽さに。
杉原叶人なら、きっとそれでも何とかしようと、そう無理矢理にでも前を向こうとしただろう。けれど俺は清人叶人でも杉原清人でも無い、ただの紛い物に過ぎない。前を向けない、希望を見いだせない、夢を見ない。
ただ、泥のように溢れ出す絶望に溺れて沈むだけ。それだけ。
「清人! ご飯よー!」
そんな母さんの声を無視して耳を塞ぐ。当然食欲なんて無い。なんなら吐きそうだ。
「……」
ふと、机の上にあるカッターナイフに目が止まった。本物の刃物とは違うチープな質感のそれを手に取るとチキチキと刃を出してみる。
何の気なしに、手首にその刃を当てーーバカらしいとそれ以上の動きを止める。
『災禍の隻腕』で何度も死んで、何度も蘇って来た。それに刃物の傷なんて飽きるほど浴びて来た。今更感傷が起こるはずもない。
「清人、入るわよ……ってアンタ何してるのよッ!!」
そんな事をしていると、母が部屋に押し入って来た。
厄介なところを見られた。別にこんなやっすい刃物で死ぬ気は無いのに。
「何って……何だろな」
チッと隠れて舌打ちする。ああ、何と面倒臭い性質なのだ。
「そんなのから手を離して、ご飯にするわよ」
「……母さん」
俺は勤めて柔らかな態度を心がけて。
「黙ってくれない?」
それが肉親に対する態度でない事は理解している。しかし言わずにはいられなかった。……きっと今の俺の心はトゲだらけだ。
言っても理解されないだろう。この孤独を、この絶望を。
それに俺は安易な理解のポーズなんて求めていない。
「ごめん、今日は少し気が立ってるみたいだ。もう、寝るよ。オヤスミ」
そう言うと机にカッターを放り投げて布団の中に入った。母は暫くオロオロとしたが俺が寝るのだと理解したのか少ししたら部屋から出て行った。
「……クソ野朗」
そして俺は自責する。
本物のクソ野朗は、俺だった。
杉原清人として振る舞って来た紛い物としての杉原叶人の現実に救いはありません。
何というか積みセーブしてます。
叶人は自身の得意な生まれ方故に自身の正体を誰かに相談する事が出来ず、あまりにも突飛な出来事を経験して来た為に異世界の話を何処にも出来ない。
つまり、誰にも何も打ち明けられない状況にいる訳です。
そして精神的支柱であった仲間が全員不在。
加えて異世界の痕跡は皆無。
異世界に戻りたいと思っても方法を知らず、そもそもその異世界を滅ぼさない為には自分が死ぬしか無い。
そりゃ、絶望でしょうよ。




