Blessing?【1】
暴食編に入る前に日常回がメインになる章を挟んで調整じゃい。
ライガ討伐の翌日、俺はいつものベッドの上で目を覚ました。くわぁと大欠伸をしながら重い目蓋を擦ると……俺の丁度隣のスペースが不自然に盛り上がっていた。
何となく予想はつくが、試しに布団をめくって見るとそこには案の定猫のように器用に身体を丸めながら寝るアニの姿があった。
「……なんだこの可愛い生き物は」
規則的に胸を上下させながらスヤスヤ寝入るその姿は穏やかで、尚且つ可愛らしい。穏や可愛いってやつだ。……朝から俺は一体何を考えているのだろうか。
そんな事を考えていると喉が渇いて来た。勿論、水の方ではなく血の方だ。アラクネの身体とは難儀なもので乾きは時と場所を選ばない。季節に関係無く喉は渇く……それはコーラの宣伝か。
何がともあれ血を飲まなくては何事も始められない。仕方ないかといつも通り腕を口元まで運ぶと――ガバッと突然二本の腕が俺の腕をホールドした。そんな事をするのはこの場では一人しかいない。
「ん、ぐっどもーにんぐ。叶人」
「おはよう。ところでアニこれは一体?」
「血、自分の吸おうとするの、ダメ。血は番から吸うべき」
そう言うと髪を纏めて白いうなじを曝け出した。
その白い肌に俺の中の吸血衝動は火種にガソリンをぶち撒けたように一気に燃え上がる。
「……あのな、アニ。俺の理性は鋼じゃ無いんだ。限界があるんだよ。分かるな?」
そう言うとアニはサムズアップをながら。
「理性は、壊すもの」
なんて事を言った。
余りにも毅然とした態度で言い放つものだから一瞬、ほんの一瞬確かにそうかも知れない何て思ったが理性を壊しちゃダメだろと思い直す。
「そう言う事を滅多に言うもんじゃないぞ。その……うっかり襲いたくなる」
「寧ろうぇるかむ。それとも、私の血……飲みたく無い?」
飲みたいです。
その言葉をどうにか飲み込んだが、代わりに喉がゴクリと良いお返事を出してしまった。
「と言うか前々から疑問だったんだけど、その……血を吸わせたりして貧血になったりとかしないのか?」
「のーぷろぐれむ。それに関しては全く問題ない。私が叶人のを飲めば実質ぷらまいぜろ」
「成る程な……って、ん?」
明らかにおかしな事を言わなかったかと、そう思った時には既に遅く――かぷりと可愛らしい擬音語と共に肩口に歯が勢い良く突き立てられた。
いきなりの痛みに目を白黒させていると今度はざらざらとしたものが患部を撫でた。
時折掛かる鼻息と這う舌の感触がこそばゆい。
血を吸い出す為かちゅるちゅると言う音が断続的に聞こえて来て、ひょっとしたら今とんでもなくエッチい事が起こっているのではないかと脳内が薄桃色に染まる。
もうやめて! 俺の理性は限界よ!!
だが、アニは気にしたそぶりも無く血を吸い続ける。慈悲などあったものではない。
そうしているうちに俺の吸血衝動は遂に危険な領域に突入し――。
気付けば俺はアニの首筋に歯を突き立てていた。
♪ ♪ ♪
「ふぅ……」
俺は殺人現場のような有様のベッドの上で平らかな心持ちで大きく息を吐いた。俗に言う賢者モードってヤツだ。
結果から言えば、アラクネの吸血は相互依存だったのだ。
俺は勘違いしていた。アラクネにされた雄はアラクネの雌の血液に依存するようになるだけだと思っていた。
……それだけでも結構ぶっ飛んでいるがところがぎっちょん、アラクネと言う種族は想像以上にヤバかった。
雌もまた雄の血液に依存するのだ。
「まぁ、そりゃあそうだよな。一方的に血を吸わせまくるなんて普通に考えたらおかしいもんな」
そもそも、自分の血液を使って種族自体を変更する時点でもう既にアレなのだが。
「ん、当然。ぎぶあんどていく。等価交換は世の心理」
にしてもなんと物騒な等価交換なのだろうか。今にも賢者の石を錬成し始めそうだ。
「しっかし、相互依存に視界共有か。……精神的にも肉体的にも絶対に離れさせまいって言う鉄の意思と鋼の強さを感じるな」
「いえす、アラクネは狙った相手は絶対に離さないし、離れさせない」
「アラクネって凄いな」
……これは推測だが、アラクネが人間からモンスター認定をされたのは偏に『人間の倫理観の埒外にあるから』ではなかろうか。
種族変更は種族を変更するから人間にしろ何にしろ当然のように忌避するだろうし、その番同士で吸血し始めるのなんて側から見れば異常行動の極みだ。その上プライバシーをガン無視する魔眼もプレゼントと来た。見事なスリーアウト。一般的な観点から見ればモンスター認定されるのも肯けると言うものだ。
「因みに、番が死んだら吸血先が居なくなる。他のアラクネの血を吸っても渇きは満たされない。だから、番を失ったアラクネは暫くすると吸血衝動に狂い悶えて、死ぬ」
アニは更にさらっととんでも無い情報を追加した。……俺は本当にとんでも無い種族になってしまったらしい。
とは言え俺に後悔など一つもない。あろう筈も無いのだけれど。
「だからこそ、アラクネの番は絶対にお互いを裏切らない。……たった一人の伴侶と生涯を添い遂げる為に」
アニはそう言うと途中で気恥ずかしくなったのか瞳の色と同じ位に頬を赤らめた。
「じゃあ、お互いに頑張って生きないとな」
俺はそう答える。
俺は後悔をしない。
確かにアラクネとしての生活は困難な事だろう。けれど既に俺は幾つもの大切な物を得ているから。
生きる理由、生きる楽しみ、未来への期待。
その全てを彼女が、アニが与えてくれた。だから後悔はない。
『……それで、俺はいつまでこれを見せられれば良いんだ』
――と、アニの有り難みを再確認していると少し呆れたような声が脳内に響いた。
「……!!」
完全に、忘れていた。
俺の思考は脳内に住まう『魔王』には筒抜けなのだった。
気分的にはあれだ。エッチな本を読んでいるところをガッツリ親に見られてた時みたいな、あれに近い。
なまら恥ずかしッ!!
『何を今更恥じ入っている。宿屋での一件以来この娘に対して度々性的な視線を向けておきながらよくも――』
「のわぁぁぁぁぁぁあッッ!!」
『その様子をずっと見ていた時の俺の心情がお前に分かるか?』
「朝からライフポイントがガリガリ削れる……」
これは一体何の拷問だろうか? いや、ある意味ではオルクィンジェの方が酷いのだろうけども。
『まぁ何がともあれ、お前は生涯を共にする女を手に入れた訳だ。長らく苦楽を共にした宿主の結婚ともすれば『魔王』たる俺が祝福しない訳にもいくまい。……その、何だ。…………おめでとう』
「おう、ありがとうな」
この世界に来て以来ずっと一緒に戦ってきた相棒の祝福に頬が緩むのを感じた。
「……結婚。結婚か」
この旅が終わったら結婚。『暴食』を倒したら結婚。……あれ。
そこまで考えてふと思い至る。
「――コレ『俺この戦いが終わったら結婚するんだ』じゃねえか!!?」
……俺はどうやら盛大な死亡フラグを立てていたらしい。




