Path of tragedy【2】
ーーその人は蜘蛛だった。
少女がアラクニドとなってから更に暫く経った頃。アラクニドは二本の短剣を受け取っていた。
それは琥珀色に近い色合いで、何で出来ているのかあまり重く感じられない。小首を傾げながら空にかざして見ると向こうがうっすらと透けて見えた。それに握る部分は雑に布が巻き付けてあるくらいで全体的にチープさが滲み出ている。
「ししょー、これは?」
「ん? ああ、これはアタシお手製の短剣だ。どうだカッコイイだろ?」
カッコイイ、と言われて再び首を傾げる。実用的かと問われれば多分否。かと言って形状が特筆して美しいかと言われればそれも否。寧ろ、素人仕事が目に見えて分かる位だ。
総合評価として、カッコイイとは思えない。
貰えるのは有り難いが師匠から既に『自分の身は最低限自分で守れる様になれ』と小ぶりのナイフを手渡されている為これを使う必要性を感じられないでいた。
「……」
「何だぁ? 余りの見事さに見惚れちまったか? 宜しい。アタシを崇めろ! 奉れっ!」
もしかしなくてもこの師匠、実は頭が残念なのではないか。そんな疑念が頭を掠める。
「何だぁ? もしかして使い方が分かんないのか? じゃあ、一回手本ってやつを見せてやるからしっかり見てな」
そう言うと師匠は自身も同じ短剣を手にした。どうやら短剣のレクチャーが始まるらしい。
そうたいした事は起こるまいと鷹を括っていたアラクニドだったがーー。
「ッ!?」
一瞬でその認識を改める事となる。
気づいた頃にはもう既に遅くアラクニドの身体は地面から離れていた。しかもどういう訳か縛り付けられているかの様に身体の自由が効かない。いやーー実際に極細の糸によって拘束されている。
「っと、こんな感じだ。どうだ? アタシの鉤爪から作った短剣の力は」
満足気に師匠は笑うがアラクニドの内心は冷や汗物だった。
何せサバイバル生活の賜物か常人離れした反射神経を獲得しているにも拘らず師匠の短剣が糸を吐き出すモーションが一切見えなかったのだ。それに加えて糸自体も身体を浮かせる程の耐久性を誇るのだからタチが悪い。理不尽極此処に極まれりだ。
「……強い」
アラクニドは認識を改める。
これは切れ味の鈍そうな短剣では無い。これはーー最強の暗器と、そう言うのが正しいだろう。
「アラクニド、お前の基礎はもう出来上がっている。だから今日からはさっき見せたアラクネの伝統的な戦闘法、『操糸闘法』を目指して貰う」
「そーし、とーほー?」
「そう、『操糸闘法』は糸と体術を織り混ぜて使う戦い方でな。魔素を糸に変換する特殊な器官が無いとまずもって使えない。言うならあれだ。アラクネの特権ってやつ」
「……いこーる、人間には使えない。おーまいごっど」
……つまるところ、人間では使えないではないか。
人間は空気中の魔素を用いて火、水、風、土、光、闇の六つの属性のいずれか、または複数の魔法を使用する事が出来る。しかし人間に魔素を糸に変換する特異器官など当然ながら無い。だから、アラクネのように糸を扱う事はーー。
「だから、人間には出来ないと思った? ところがぎっちょんそれが出来ちゃうんだよなぁ、コレを使えば」
思考を先読みした様にこれ見よがしに手元で短剣を弄る。
「さっきも言ったけど、コレはアタシの鉤爪から出来てる。だから若干ではあるけど魔素を糸に変換する機能が備わってるって訳」
そこでアラクニドは一つの疑問を持った。
「……ししょーは、何で私を強くしようとしてる?」
元々薄桃の少女が戦う術を手に入れたのは偏に自衛の為。そしてそれは既に常人離れした反射神経と言う形で結実している。なのに何故まだ強くなる必要があるのか。
アラクニドがそう問い掛けると師匠は驚く程真剣な顔をした。
「何故強くなるのか、か。それは月並みな答えだけど特別なモノを手に入れる為、かなぁ」
それは拾われたあの時にも言っていた事だった。あれ以来『とくべつ』とは一体何なのだろうとずっと考えて来た。だが、未だにその答えには辿り着けてはいない。
「……ししょー。『とくべつ』って、何?」
だから足掛かりを求めて尋ねていた。しかし師匠は。
「とは言っても、実はアタシもよく分かってないんだ」
そうあっけらかんとした様子で言ってのけた。
「特別ってのの定義は色々ある。例えば価値のある金銀財宝をそう呼ぶ奴もいるし、かと思えば娘からのプレゼントを特別だと言う奴もいる。後は……そうだな、多くのアラクネは人生の伴侶をそう呼ぶ奴が多いかな」
「ししょーも人生の伴侶を?」
だが、師匠は首を横に振った。
「アタシはアタシの幸せを他人に定義されたく無くて、だからアラクネの価値観を捨てる為に旅に出たんだ。つまるところアタシは反抗期なんだよ。エブリデイ、エブリタイム、ね」
そこで区切るとふっと少し寂しそうな顔をした。
「だからアタシは伴侶が欲しい訳じゃないんだ。まぁ美男美女は好きだけどそれは置いといて。……アタシはまだ本当に特別なものを知らないでいる。だからそれが欲しくて力を付けてんだ。知ってるかアラクニド? アラクネは特別なものを手に入れる為なら手段を選ばないんだぜ?」
「……だから、強く?」
「ああそうだ。特別なものを手に入れる必要条件が何処に転がってるかも分からないんだ。だから強くなるだけお得ってね」
寂しげな顔をいつもの笑みに戻すと頭の上にポンポンと手を置く。
「今は理解できなくても良いんだよ。アタシですら分かってないんだから。けど強いにこした事は無い。だからどうせなら強くなっとけよアラクニド」
「……ん」
アラクニドは一度頷くと手の中にある短剣を一度強く握り直した。




