Origin regression【2Яe】
少し妥協した。と言うかするしかなかった……書けない。
アニの手にしていた皿が落ち、パリンと乾いた音を立てながら割れた。
「ぁ、ぇ……」
その顔は正に茫然自失。感情の消えた顔にはしかしはっきりと悲壮の色が灯っていた。それは皿を割ってしまったからではなくーーどちらかと言えばネイファと言う地名に反応したように思う。
しかしそれも一瞬の事。次の瞬間には仮面を被ったみたいに表情の一切が消え去った。
「……直ぐ、片付ける」
そのまま無言で、能面のような顔を覗かせながらアニは皿の破片を掻き集め始める。
「待った。そのまんまやったら怪我する。箒と塵取り取って来るからちょっと待っててくれ」
♪ ♪ ♪
割れた皿をアニと一緒に片付けてから改めて一同にニャルラトホテプに会った事やネイファに行けと言われた事を伝えると大層驚かれた。
「うーん、ちょいと頭痛くなって来たわ。まさか敵方の頭目がここに来て、ほいで態々これからの行き先を指定するなんての。そんな事あるんか?」
「あの邪神の性格上あり得なくは無いかな。ただ、集団リンチは無いっては言っても罠では無いとは言ってないし行かないといけないとは言えちょっと気が引けるねぇ」
「……そもそもネイファってどんな場所なんだ? ニャル曰く飢饉と退廃の都で、大森林を抜けた先にあるとか言ってたんだけど」
そう尋ねるとジャックは神妙な顔付きをしながら答える。
「そうだねぇ。ネイファはまんま飢饉と退廃の都かな。あそこは食べられるものが極端に少ないみたいなんだ。とは言っても全く無い訳では無いし、人もいるんだけど……」
歯切れ悪くジャックがそこまで言うと吐き捨てるようにオルクィンジェがそこから先を紡ぐ。
「人が居て、食糧が少なく、おまけに外から食糧を運ぼうにも海と大森林に囲まれてる、か。ネイファの内情は容易に察せられるな」
少ない食糧で生きる為には……持ってる者から奪うしか無い、という事なのだろう。世紀末じみた光景が思い浮かぶ。
ハザミが魔獣が跋扈する魔境と言うのならネイファは悪意が跋扈する魔境と言ったところか。……嫌な場所を指定されたものだ。
だけれど何故アニはそこに反応したのだろうか? 師匠が死んだ? いや、それとも……。
頭をフルフルと振り先程までの思考を追い出す。今やるべきは情報共有。聞き漏らしが無いようにしなければ。
「けどネイファにだけ目を向けるのはダメだよ。そもそもネイファに辿り着く為には大森林を踏破する必要があるかな。ここも大森林ではあるけど深層にはまだ遠いし、深層に近付けば近付く程危険かな」
「だがやる事の根本は今までと何ら変わるまい? 練度を上げて物理で殴る。危険度が上がってもそこをしっかりとしていれば問題は無い筈だ。違うか?」
キリリと表情を引き締まった表情から繰り出される脳筋思考に思わず噴き出す。
「そうだ、そうだよな」
この世界の本質は現実でもあり遊戯でもある。ニャルラトホテプが暇を潰したいが為に仕組んだRPG。ならば、俺たちがやるべき事など明白。
ーー仲間と共に戦い、勝利する。
この世界で俺たちが成すべき事は実際とても単純なのだ。……ただハードルが高いだけで。
「とんでもない脳筋理論ね」
呆れたようにそう言う唯だがその口元はニヤけている。
そう言えば唯は武闘派ではないがこう言った感じのノリは昔から嫌いではなかったのだったか。
「と言うか……結構馴染んでるんだな」
あと、地味に驚きなのが思いの外唯が好意的に迎えられている事だった。
てっきりもう少しギスギスした関係を想像していただけにちょっと拍子抜けした気分だ。勿論ギスギスして欲しかった訳が無いのだが。
「あんさんが倒れてから一番動いてたのはなんやかんや高嶋やからの。あと……居心地の良い宿と美味い飯を提供されれば懐柔もされるわな」
後半が何やら小さくて聞き取りづらかったが。まぁ、要するに。
「……とどのつまり買収かよ」
前半の感動を返して欲しい。……とは言え、金はかなり重要なポイントではあるので何とも言えないのだがーー。
「まぁそれもあるんやけど。それに、あんさんは言うたんやろ? 仲間やって」
そう言うと凩は屈託無く笑った。
「高嶋は根っからの悪人って訳でも無いしのは見て分かる。……過去に致命的な何かやらかしたのも。だったら高嶋はもう仲間。今までの事はチャラで良いと思っての」
「凩……」
「ま、そう言う事らしいわ。随分と好かれているのね貴方」
その言葉に目頭が熱くなる。
……本当に俺は報われていると思う。袖で目元を拭うと万感の思いを込めて宣言する。
「……俺たちはこれから大森林を攻略し、ネイファで『暴食』を討ち取る。これが旅の終着点だ。ーー気を引き締めて行くぞ」
仲間達が「おう!」の声を上げる中たった一人、アニだけは俯きながら無言を貫いていた。




