Compensation for the ugliness of【4Яe】
人には誰しも激動の一日と言うものが存在する。それは世界の週末について聞かされた日かも知れないし、自分の身体の欠陥が判明した時かも知れない。
さて、では俺はどうなのかと言うとーー。
「……やっぱり、そうなんだな」
「ああ、残酷かも知れないがお前はもう、真っ当な人間では無い」
自分が、人間を辞めた事を知った日。となるだろう。
思えば片目が赤くなった頃から何となくそんな気はしていたがいざ言われると途端に胸に重く突き刺さる。
「お前は世間一般で言うモンスターと。そう呼ばれるものになった」
『モンスター』。それはこの世界の原生生物の中でも人間にとって都合の悪いものを纏めてそう言う。言うなればーー『害獣』と、そう言うのが一番近いだろうか。どうやら俺は一晩……いや正確には三日三晩でそんな存在になってしまったらしい。
「……やっぱりこの吸血衝動からして、俺はヴァンパイアにでもなったのか?」
「ヴァンパイア、と言うのは不正確だ。正確には……そうだな、お前はあの娘の番になった、と言うのが正確だな」
「つがい。成る程番か。成る程成る程……ん?」
待って欲しい。番と言うのはもしかしてアレだろうか。二つで一つ的な。或いはその、夫婦的なアレだろうか。
比翼羽根と言うか……。
「おい落ち着け。全く、恋愛についてはとことんまで初心だから困り物だ。それに番と言ってもお前の考えているもの程生易しい物では無いと俺は思うがな」
そう言うとオルクィンジェは声のトーンを一段落とした。
「前提として、あの娘は分類的には人間に限り無く近いがモンスターだ。師がモンスターだったから、と言うだけでなく中身がどうしようもなく人間じゃない」
「……それは一体どう言う事なんだ?」
「生態が根本的に人間と違う」
それはやけに短く、それでいてはっきりとした言だった。
「あの娘の本性は『アラクネ』と言う上半身が人間、下半身が蜘蛛型のモンスターだ。元は人間だったが、今の生態はどちらかと言えばそちらに近い」
元は人間? 『アラクネ』?
「それは、初期の仮面ライダーみたく誰かに改造された……のか?」
「ニュアンスとしては近いがやや語弊があるな。あの娘は元は人間だったが、瀕死の傷を負い、師の命を以って命を繋ぎ止めた際に師の性質も引き継いでしまったと言うのが真実だ」
「そうか……」
いつだったかアニは自分が師匠を殺してしまったと言っていた。きっとこれがその事なのだろう。ただ、こういった事情を本人の許可なく耳にするのは何だか罪悪感が湧いてくる。
「そして引き継いでしまった『アラクネ』の体質。これが今のお前の状態と大きく関わるんだがーー『アラクネ』には雌しか居ない。だから何処かから雄を捕まえて番にしなければならない訳だ。お前にもその手の知識はあるだろう? あれだ」
その言葉に俺はふむ、と頷く。
要するに薄い本関連で時折見られるアレだ。「くっ、殺せ」と言うか何というか……兎に角アレだアレ。うん、これ以上は止めよう。
「だから、『アラクネ』は自ら同種の雄を作る。その方法がーー自分の血液を対象に流し込む事だ」
「……その結果が、これって事か」
何となく掴めてきた。
要するに今の俺は『アラクネ』になっていて、その原因がアニの血だと。
……いや、待てよ。アニの血にあるのは回復の効果ではなかったのか? 事実、最初の『欠片』の時はアニの血を飲んで回復しているのだし、それにあの時は死線を超えたとは言え番に認められるような事は無かった筈だ。
「その血の効能は回復ではなく変容。肉体の性質を作り替える力。正確には他種族を『アラクネ』に変える力だ。負傷した部位の補修は変容の生んだ副産物に過ぎない。まぁ、今回もそれのおかげで助かった訳だがな」
「……つまり、めちゃくちゃ噛み砕くと、俺はアニの血を飲んで『アラクネ』になる事で延命したと。そんな感じか」
「噛み砕き過ぎている気もするが……大筋は合っている。ただ気を付けなければならない点が幾つかある」
「何だ?」
「先ず、これからあの娘の血液の摂取はお前の生命維持にとって必要不可欠なものになる。これを怠ればその先に待つのは満たされぬ飢えのみ。吸血に忌避感が湧いたとしても必ず飲め。それと……あの娘自身をよく気にかける事だ。お前を刺した事から大分不安定になっているからな」
「前者は善処する。後者は当然だ。その……大切な人、だからな」
そう言うとオルクィンジェはふっと微笑んだ。だがそれは一瞬の事で、次の瞬間には元の硬い表情に戻った。
「お前ならそう言うと思っていた。だが、これだけは覚えておけ。『アラクネ』はどうあれ『モンスター』だ。モンスターにはモンスターである所以が必ずある。それをしっかりと見定め、身の振り方を考えろ。……俺からの話は以上だ」
そう深刻な台詞を残してオルクィンジェは去って行った。
「……」
俺はそれを見送ると無言で天を仰ぐ。
自分の吐息だけが響く部屋にはすっかりと暗い影が落ちていた。
「……もう、夜になるな」
何処までも伸びる黒い影に巨大な蜘蛛の姿を幻視した。




