Runaway utopia【2】
いつもそうだった。
誰も俺の名前を呼んではくれなかった。
いつも清人だ。
呼ばれるのは叶人では無く清人。この世界で俺を叶人と呼ぶ人はいない。叶人は誰にも必要とされない。……必要としてくれない。
だからと言って叶人と呼ばれたくもない。だってそれは清人がこの世からいなくなったと認めるのと同義だからだ。
何という二律背反。
何という自己矛盾。
結局のところーー俺はただ清人と笑い合っていたいだけだった。ただ、それだけだった筈なのに。
いや、いや、それも全ては終わってしまった事。今は絶望を撒き散らそう。そして、またゆっくりと微睡みの世界に堕ちよう。
誰かの啜り泣く声を子守唄にして、これから積み上がる幾億の死骸を枕にして、眠り続けよう。
♪ ♪ ♪
隻眼の狂犬の元に無数の糸が殺到する。しかし狂犬はそのことごとくを振り払うと薄桃の少女を排除すべき敵と認め、咆哮する。
「ほげぇッ!?」
ーーそんな中、赤髪の青年、凩は間抜けな声を上げる。
凩は白い人形達に群がられた挙句意識を刈り取られそのまま張り付けにされていた。そしてつい先程篝により拘束を解かれ地面との強烈なキスをするに至ったのだ。
「ったく、人形に群がられるわ、何か吠えとるわ一体何がーー」
何が起きているのかと、そう口にしようとして糸を引き裂きながら篝の攻撃を受ける獣の姿を認める。
「まさか……暴走しとるんか!?」
凩はハザミでの『霞の穏鬼』で清人が半ば魔獣化した姿を既に見ていた。それに加えて人形達から逃げ果せる為に相当な無理をして煤のような黒い粒子を噴き出させていたのも見ている。
だから、あの隻眼の獣は清人なのではないかと考えた。
ならば助けなければと勇んだは良いが……肝心の武器が無い。
群がられた時に落としたか、或いは人形に取り上げられたのか。
どうであれ武器が無いのは心許ない。何か武器になりそうなものは無いかと辺りを見回すがあるのは人形の残骸ばかりで碌に武器になりそうな物は無さそうだ。
「となると……身一つで飛び入り参戦して。拳だけで語るかの……?」
しかし凩は否と自身の考えを否定する。
半ば魔獣化した清人は敏捷性にこそ優れているもののその他ーー取り分け耐久性が低かった。だが、今や完全な魔獣。敏捷性は勿論耐久性も上昇していると考えられる。これを拳でどうこうしようと言うのは余りにも無謀だ。最悪完全なあしでまといになりかねない。
「ーーおよ?」
ふと、そこで一人の見知らぬ少女に目が止まった。部屋の雰囲気に合わない珍妙な制服姿で微かに震えるその少女の表情は何処かで見覚えがあった。
今にでも吐き出しそうなその表情はーー驚く程過去の自分に似ていた。
そう、あれは致命的な何かをやらかした人間のする顔だ。何かを深く悔やむ人間のする顔だ。
「ーーーー」
前では仲間たちが戦っている。
後ろでは少女が震えている。
そして自分の手に武器は無い。
関わる義理も道理も無い。その上少女が誰かも分からない。関わったところでポンと刀は出ては来ないだろう。
けれど凩の足は真っ直ぐに少女の方へと向かっていた。
魔獣化した清人が攻撃した弾みでうったり殺してしまう、なんて事態に陥れば正気を取り戻してからも殺人の重みを背負わなければならなくなる。
「それにーー清人なら絶対このまま放ってはおかんやろうしな」
そう口にするとへたり込む少女に手を伸ばす。
「あんた、そげなところにおると巻き込まれて死ぬで」
「……」
しかし少女は何の返答も返さない。
弱ったなと眉を顰めると魔獣の咆哮が部屋に響き渡る。蜘蛛子と篝は上手いこと相手をしているがいつ均衡が崩れてもおかしくない。
「こうなれば止む無しや……!」
凩は少女をこの危険地帯から逃すべく震える体に手を触れるとーー。
「……触らないでッ!!」
その手は強く跳ね除けられる。
「今はそんな事言うてる場合じゃなかろ!! 男臭い位我慢しぃ!!」
そう強い語調で言ってもどこ吹く風聞いているのだろうがまるで反応が無い。
「……ここから私が逃げて良い訳ないじゃない。だって私が清人をーー叶人を絶望させたんだもの」
初め、少女が言っていることが理解出来なかった。
だが次第にその内容が脳髄に染み渡るにつれ理解する。
「あんたが、清人を絶望させた、張本人なんか」
言葉を反芻する。
叶人と言うのが誰かは分からないが恐らく清人の本当の名前だろう。
そしてその絶望の原因がこの少女。
「えぇ、そうよ。全部全部私の失態よ! 失敗よ! 私がやった事の全てが! 清人を絶望に追い込んだのよッッ!」
髪を振り乱しながらそう吐き捨てるようにそう口にする。しかし、強い言葉とは裏腹にその頬は弱々しい涙で濡れていた。
凩はその姿に既視感を覚えーー納得する。
何故なら、恋慕を拗らせて幼馴染を殺害し、絶望した人物を既に凩は知っていたからだ。
ならば、少女に掛ける言葉など一つしかない。
「ならーー他の誰よりも先ずあんたが、助けなきゃならんのやないんか」
「……」
「清人は死んだ訳やない。絶望を断ち切れば自然と元に戻る。せやから……誰よりも絶望させたあんたがその手で救わんとあかんやろ。罪悪感を感じとるんなら尚更や」
すると少女は手元にある黒い鉄塊に視線を落とした。
「……。まだ、間に合うと。そう言うのかしら」
「当然や」
少女はふぅと大きく息を吐くとスッと立ち上がる。
「……転生チートが聞いて呆れるわね」
その肩は未だに震えているがその顔には先程とは違い強い意志が宿っていた。それはまるで煌々と燃え盛る炎にも似ていた。
「ーー感謝するわ」
そう言うと清人同様何処からか刀を取り出した。その見事な太刀は養父から託された『野分』だった。
「これ、返すわ」
そう言い、『野分』を手渡すと少女は真っ直ぐに魔獣を睨み付けた。
「……積み上げた失態はそれを上回る戦果で購ってやる」
そして少女は鉄塊を手に刃と糸が煌めく戦場へと身を投じていく。
「さて、ワリャも征くか……!!」
そして刀を手にした凩もまたその後に続いた。
大乱闘のお時間だぁ……。




