07 宰相オービス
さて、皆さま。
宰相、と聞いて、どんな方を想像されますか?
ひょうひょうとして老獪な老政治家。
私腹を肥やすことに長けた欲深い中年政治家。
あるいは下克上に燃える野心家。それなりに幅があるように思います。
わたしが思い浮かべるのはあれです。
王様の斜め前に居て「がんばれ」とか「王様は気さくな人です」みたいなことしか言わないおじさん。いや、やっぱりゲームの話なんですけれど。
この国の宰相、オービス・クライストス・ジーザスター様の人となりは、と言われて思い浮かぶのは、披露宴の時のぶち切れ宰相閣下なんだけど……まあ、あれは相手が酷過ぎた結果だ。
わたしが見聞きし、またお話しした結果抱いた宰相閣下の印象はというと。
――年を取った生徒会長。
だったりする。
あるいはロマさんの最上位種。
あくまで、わたしの勝手な印象なんだけど。
客観的な情報としては、宰相オービス閣下は君子である。
この君子、というのは、古典への造詣深く、伝統作法に通暁した、宗教倫理の体現者を指す。
要するに名士であり、その人と交流があるというだけで名声が上がる、そんな類の人間である。
なので、コネも多けりゃ人脈も広い。影響力も半端ない。
間違っても敵に回しちゃいけない人間だ。
とはいえ、わたしの庇護者でもあり、会っておかないと拗ねる、と言われては、会わないわけにはいかない。
こういうことは早めに済ませておこうと、宰相閣下に予定を尋ねると、時間を取ってくれるというので、いざ面談となった。
しかし、王宮の一室で、宰相閣下と顔を合わせたわたしは、ちょっと面食らうことになった。
「王妃殿下、ようこそおいでくださいました」
笑顔だったのだ。ものすごく。
白髪に、白く長い髭。
身だしなみを几帳面に整えた、君子然とした宰相閣下が笑顔で迎えてくれる。
笑うという行為は本来攻撃的なもの……というわけじゃないけど、逆に怖くて、思わずロマさんの影に隠れたくなったり。あなたの上位種よ。
「閣下。お忙しいところ、お時間を頂いてありがとうございます」
まさか本当に隠れるわけにはいかないので、がんばって平静を装い、挨拶を返す。
それから、おたがい席について……緊張するなあ。
「此度の婚儀に関しまして、閣下にはご尽力を賜り、ありがとうございます。おかげ様で式も無事終えることが出来ましたので、あらためてご挨拶と……王妃としてのあり方について、なにかご助言いただければ、と」
「王妃殿下、かたくるしい真似は結構ですぞ。披露宴の席ではお恥ずかしい姿を見せてしまいましたが、ここは私的な席。ましてや、恐れながら私は殿下の庇護者。父に等しい立場でございます。どうか私的な席ではパパ、あるいはお義父さま、とお呼びください」
ん?
おもわずめっちゃ真顔になっていると、宰相はほがらかに笑って言った。
「半分は冗談です」
「半分? いまさらっと半分は本気だってほのめかしませんでした?」
「ほっほっほ、息子には恵まれましたが、ついに女の子を授かりませんでしてな。年頃の娘さんに、パパと呼ばれたいという願望があるのは、否定できません」
「否定してくださいよそこは!」
思わず突っ込んだが、宰相は笑ってごまかしている。いや否定しろよ。
「ま、なんにせよ、王妃殿下。あまり身構えないでいただきたい。過分にも君子との評判をいただいておる私ですが、どちらかというとエセ君子の類でしてな。けっこう適当な人間なのですよ」
そういって、宰相閣下は肩をすくめて見せた。
仕草が洗練されているせいか、おどける仕草も軽妙洒脱だ。
「……びっくりしました」
お茶を供されたので、一服してから、わたしはしみじみと吐きだす。
「……ま、立場もあり、評判もありますので、普段は取り繕っておりますからな。王妃殿下が驚かれるのも仕方ありませんな」
驚きである。
ヒャッハーどもに対する切り札。ザ・委員長だと思われた宰相が、わりとあっち側の人間だったとは。
「取り繕うにしろ、やりすぎです。周りから君子あつかいされるとか、どれだけなんですか……」
「いやあ、昔はちゃんと本物だったのですがね。いや、本物だと思いこんでいたと言うべきですか」
「それがなんでエセになっちゃったんですか……」
最初からエセだったと言われれば、まだ納得できる。
しかし本物の君子からエセに墜ちたと言われると、どうしてそうなった、と思わずにはいられない。
「そうですな……王妃殿下が、王妃としての在り方について、助言が欲しいというなら、これは得るところがあるかもしれませんな。よろしい。お話ししましょうか」
白いひげを楽しそうに扱いて、宰相はうなずいた。
「かつて私は、君子でありました。若くして古典を修め、伝統作法を学び、神の教えから外れぬ生き方を貫き続け……それなりの声望を得ておりました」
懐かしむように、宰相は語る。
「私は己が君子であることを、欠片も疑っておりませんでした。そのまま何事も起きなければ、あるいは一生、己を疑いさえせずに生を終えたかもしれません……ですが、大乱が起きました」
宰相が目を伏せた。
それは、お兄さんが家族を喪った。
そして天下を手に入れるに至った、大乱だ。
「乱世というのは、その者の本質を、容赦なく暴きたてるものです。私もそうだった。故国の滅亡に際し、私はなにも出来なかった。知恵も、胆力も、勇気も、私には何もなかったのだと、否応なく気づかされました」
それは、天地が覆るほどの絶望だったろうと思う。
それまでの人生と、築きあげてきたものすべてを、否定されたのだから。
「逆に、乱世でその才を輝かせる者も居りました。私が仕えるようになったハーディル陛下の騎下には、そのような若き才子が次々と集まってきて……不思議と、私にも出来ることが見つかりました」
「どういうことです?」
「才を活かすためには、人を動かすためには、信用と、人と人の繋がりが不可欠で……皮肉にも、君子と評された私には、それだけはあったのです。外交交渉、人心の慰撫、組織運営……劇作家の意のままに歌う俳優のように、私は私の力を活かしてくれる若き才子の望むままに演じました。似非であると自覚しつつも、君子を演じ続けました。結果、分不相応に宰相の座まで頂戴してしまいましたが……ま、後進がそれなりに齢と実績を重ねるまでの、お飾りと割り切っております」
そう言って、宰相はいたずらっぽい笑みを浮かべて見せた。
――この人は……
たしかにこの人は、英雄ではないかもしれない。
才能という点においては、平凡なのかもしれない。
だけど、間違いなく素晴らしい宰相で、賢者でもあるのだろう。
自分に足りないものを知り、それを補い、また後進に道を譲ることも知っているのだから。
「……宰相閣下、わたし、閣下がどうしてこのようなお話をして下さったのか、わかったような気がいたします」
「ほう。この老体に、教えてもらってよろしいですかな?」
「王妃であるからといって、白の聖女だからといって、その中身を自分の才知だけで満たす必要はない……じっくりと、自分に足りないものを見つめながら、足りないところは補っていただこうと思います」
わたしの言葉に、老人は目を細めた。
「老人が恥をさらした甲斐がありましたかな?」
「ほんとうに、ありがとうございました。閣下をわたしの庇護者として下さった陛下には感謝しかありません」
「……ところで、王妃殿下。できれば私のことはパパ、と呼んでいただけませぬか?」
なぜむし返したし。
……うん。これは早速教訓を活かす時が来たようだ。
「ロマさん。こういう時、わたしはどう答えるべきでしょうか」
「ふざけるなエセ君子、でよろしいかと存じます」
本当に、素晴らしい宰相なのだと、心から実感いたしましたが……
同時に極力関わりたくない類の人間なのだと痛感いたしました。
あとロマさんむっちゃ口悪いよね。