73 待ちも一手
さて、帰国してひと息ついて。
間を置かずに、大臣たちを交えて報告の場を持ちました。
といっても、事態は想定した中でも、最良の部類。
急を要する案件もないので、することといえば情報の共有くらいのものだ。
風の邦の現場で吸い上げた陳情のうち、その場で裁定できなかった案件をぶん投げられた官僚連中は、そうはいかないだろうけど。
報告に向かうユラさんの表情は、デスマーチ真っ最中の会社員に、追加案件ぶん投げに行く新人の悲壮さを感じさせた。
まあ風の邦が盤石となったおかげで減る仕事もあるだろうし、ユラさん自身はそこまで恨まれはしないだろう。元凶のわたしはともかく。
さておき、場所は王宮の一室。
まずは留守組を代表してフィフィくんが、わたし不在の間の出来事を報告。
その後、遠征組を代表してわたしが、風の邦で起こった数々の出来事を語った。
フィフィくんの方は、大過ない。
さしたる問題が起きなかったこともあって、みんなの力を借りて、政務を回せている。
わたしの方も、途中まではみんなの想定通り。
夜を徹して電光石火風の邦に入り、そこで領主たちを招集し、陳情を聞き入れる。
その後やってきた反乱の首謀者、ヴェーダ領主ザイン・ザイノフスクに、白の聖女との古の誓約を突きつけ、従える。
ここまではみんなうんうんと頷いていた。
直後北から低地総督アルサーブが長駆して駆けつけて来た話をすると、みんな口をぽかんと開けてしまったが。
彼から聞いた北の展望──現在戦乱の渦中の北洋帝国は、二年以内に統一されるだろうこと。そうなれば北隣に大勢力が出現する反面、外交的にはむしろ単純になり、国王が北に張り付く必要はなくなるだろうことを語って、報告を終えた。
「ひとまずやれやれってとこですなあ。王妃殿下、お疲れ様です。しばらくはゆっくり骨休めしてくださいな」
話を聞き終えた大将軍バルトがお気楽に労うと、宰相オービスがぎらりと目を光らせた。
「王妃殿下にゆっくりしていただくのは同意ですが、大将軍は、もうちと働いた方が良いのではないかな? あのような機動戦は、本来大将軍こそ為すべきものであろう。今回は王妃殿下でなくてはいかん理由があったが……備えはしておくものだ」
「はっはっは。拙の出番が無いことを祈るばかりですな!」
宰相が咎めると、大将軍は笑ってはぐらかす。
形式を大事にする宰相とそのあたり適当な大将軍の、いつものやり取りである。
もはや慣れたもので、心根の優しいフィフィくん以外はみんな軽く流している。
教育係のシャペローさんなどは、先程聞いた、「ザインの祖先が白の聖女と交わした古き誓い」についての記録に熱中していたりする。
歴史好きの同好の士として気持ちはすごくわかる。いまやることじゃないけど。
ともあれ、お茶を一口呑んで。
わたしは宰相と大将軍の、不毛なやりとりに口を挟むことにする。
「まあ実際平和が一番ですけど……どうです? 実際のところ我が国は、しばらくは平和にやっていけそうですかね?」
現状、これといった火種はない。
わたしが物理的に消し飛ばした。
でも、わたしが気づいていない火種は、どこかにあるかもしれない。
日輪の王国の「今」に関しては、相当くわしくなった自負はある。
だが「過去」や「因縁」に関しては、いまなお抜けのほうが多い。
未来の危機を予測するには、多くの人間の見識を借りる必要があるのだ。
わたしの疑問に、大将軍は「そうですな……」と思案を巡らせる。
「……現状、北の事は陛下に任せるしかありませんが、陛下とアルサーブ将軍が並び立つならば、どんな問題が起ころうが大丈夫でしょうよ。千単位の兵を率いたおふたりが遅れを取る姿なぞ、たとえ敵が10倍以上の数を揃えたとしても想像できません」
あらためて聞いてもすごいよね、ふたりとも。
さすが日輪の王国を再統一した王様とその片腕たる将軍だ。
感心していると。
宰相がこほんと咳払いして、大将軍の言葉を継ぐ。
自意識過剰かもしれないけど、わたしの関心が大将軍に向かったのを見て、この度は自分がと前に出たかたちに見える。
「南は深き森の邦、海の邦とも安定に向かっており、南隣の銀の王国もいまのところ友好的です。そもそも大陸南部──経典同盟諸国の要石たる法王猊下が、日輪の王国には極めて友好的ですしな。ここは問題ないと言ってよろしいでしょう。次に東ですが……」
宰相はここで一拍置く。
日輪の王国東部といえば、湖の邦と剣の邦だ。
日輪の王国と東部王国群を隔てる山脈の中。
広大な盆地に存在する二邦は、北の低地両邦(船の邦、沃野の邦)に対して高地両邦とも呼ばれている。
ちなみにわたしの友人にして、護衛役を買って出てくれているフェリア領主婦人アルヌ・ゴッタルドさんは剣の邦出身だ。もう出身地名からしてイメージ通りすぎる。
「──山脈の向こう、東部王国群は、大洪水からの流賊流入による混乱がいまだ続いておりますが、現在国境の峠は封鎖されており、さしたる問題は生じておりません……もっとも、関税収入が入らなくなった剣の邦も、湖沼水運で運ぶ荷が半減した湖の邦も経済的には苦しいところでしょうが」
苦しい、というが、両領邦君主からの陳情を見た覚えはない。
というか、東方の不穏を理由に、いまだ王宮には来ていないはずだ。
「あそこは昔から独立独歩ですからな。ゴッタルドのお嬢さんが窓口になってくれているので、問題があれば彼女を通して頼ってくるでしょうよ」
わたしの疑問を察してか、大将軍が補足する。
イメージ的には原初同盟くらいの時期のスイスが近いんだろうか。
ともあれ、峠を封鎖している現状、両邦ともこちらを頼りにせざるを得ない。うちとしては悪いばかりの状況ではないだろう。
宰相が、こほん、とまた咳払いして、会話を引き戻す。
「北も東も、待つだけで状況が改善する公算が大きい。北洋帝国は遠くない未来に統一され、東部王国群の混乱も、自然と収束に向かうでしょうな」
「すると、こちらから手を打つ必要はないと?」
「もとより、国内統治ですら人手が足りておりませんからな。よほどのことが起きねば国内を優先したい、というのが本当のところです」
宰相の意見には、納得しかない。
ただでさえ北方に人材リソースが割かれている現状、さらに手を伸ばすなら、王国の処理能力はパンクしてしまう。
「なればこそ。待ちも一手のうち、というわけですか」
「国内に専念する、と言い換えたほうがよろしいでしょうな。実際、官僚の発掘と育成は急務です」
宰相の言葉に、大将軍はおろか、フィフィくんやシャペローさんまで深くうなずいた。
人材の枯渇は、先の大乱による物理的なものだから根が深い。
現状、駆り出せる人手をすべて絞り出して、それでもあっぷあっぷなのだ。
異教の国の出身ながら即戦力のユラさんが、速攻現場で使い回されているあたり、深刻さがうかがえる。
まあユラさんの場合は、本人はちゃんとした経典教徒なのと、王妃が信任してるってのが大きいんだけど。
「──幸い、王都を中心とした中央部は盤石です。王妃殿下が武威を示されたことで、しょせん年若い女よと侮る領主もいなくなりました」
「消し飛びましたなあ。酒の肴にしたいくらい見事なビビり様で」
茶化されて宰相は大将軍に鋭い視線を向けるが、当人は見えてないふりをしている。
「過剰に怖がられるのも良くはないんですけどね。実際今まで陳情をかなりぶっちゃけた形で吸い上げられてたのは、半分はわたしが舐められてたのもあるんでしょうし」
残り半分は、連中がヒャッハーだからである。というのはさておき。
正直下手に不満を溜められるより、ぶっちゃけてくれたほうがありがたいのだ。
「そこは王子殿下に仲立ちしていただけばよろしいかと。実際王妃殿下不在の王宮では、殿下が代わりとして同様に機能しておりました」
「私としては反対、と言っても無理なんでしょうね」
宰相の提案に、教育係のシャペローさんが自分の意見を述べた。
彼は一貫して、フィフィくんが王太子になることに反対なので、当然の主張だ。
心配はもっとも。
とはいえ、すでにフィフィくんは、王位継承への道を踏み出している。
風の邦への行幸で不在となるわたしに代わって、王宮の政務を代行する。この実績は、王国の次代を意識させるに十分だ。
そのことを、わたしは端的に語る。
「騎虎難下という言葉があります。虎に跨った人はそのおかげで勢いを得るものの、降りて仕舞えば虎に食い殺されてしまいます」
「まさに相克戦争におけるエルランド王子の憂いそのものですね。お恨みします……とは申しますまい。フィフィ殿下が降りることを、なによりも情勢が許さなかった。こうなった以上は、私は王子の地位の安定に力を尽くさせていただきます。今の時点で言っても詮無いことですが、後悔なされぬように」
わたしの言葉に、シャペローさんは深い理解を示して。
そして宣言した。
それはフィフィくんを次代の王にしたいお兄さん──ハーヴィル王やわたしにとっては頼もしい言葉だ。
後悔、というのは、わたしやお兄さんが心変わりするとしたら、わたしに子どもが生まれた後のことだろうからだろう。
歴史を紐解いても王道といえるパターンだから、シャペローさんの危惧も理解できる。まあわたしとお兄さんの場合は別だけど。
「まあ、当面は仕方ありますまい」
と、大将軍は、シャペローさんの主張を消極的に認める。
大将軍は、それこそお兄さんとわたしの子どもを次代の王に、と考えている人だから、十分に妥協した意見だ。
「後ろ盾として、王妃殿下の選択を支持いたしますよ」
続く宰相の言葉は、未来の選択に幅をもたせるものだったが、そこはわたしもお兄さんも心変わりしないものだと信じたい。というかそこにたどり着く行為をしないと思いたい。
「……すると殿下の婚約相手も、相応の相手を選ばねばなりませんな」
「フィフィくんに婚約者はまだ早いです。早いです」
はたと手を打った宰相に、即座に突っ込む。
ロマさん。
このショタコンが、みたいな目線向けないでください。
実際的な話です。
「──日輪の王国の王妃となるなら、やはりどこかの王族を、となるのが自然です。
現在の情勢なら経典同盟の雄、銀の王国一択ですが、たとえば北洋帝国が統一されるとなると、話はガラッと変わってくるでしょう?」
先ほどと同じ、待ちもひとつの手、というやつだ。
まあフィフィくんと仲良しなレイサム王子が、もし女の子だったなら、そっちを優先したいとこだけど。
「たしかに。これは私が早急でしたな」
「まあ国王陛下の考えもあるでしょう。陛下が帰ってこられるまでは保留でいいんじゃないでしょうかね」
宰相は納得したようにうなずき、大将軍も肯定的に意見する。
ロマさんが「うそですよねぜったい王妃様がショタコンだから婚約者選びを保留しただけですよね」みたいな視線で見てくるけど誤解です。いやこれは本当に。
「ぼくは陛下や王妃殿下がいいって言ってくださる相手と婚約したいです!」
フィフィくんがいい子すぎてまぶしすぎる。
「フィフィくん。わたしも陛下も、フィフィくんの相手は世界一素敵な子がいいなって思ってるから。もうちょっと大人になったら、みんなで相談して、きっといい子を見つけようね!」
「はい!」
わたしが手を取って訴えかけると、フィフィくんは笑顔で元気よく返事する。
この小さな手が大きくなる頃には、フィフィくんも立派な王子に成長しているだろうか。
そう考えると、やはり待つのも悪くないと思える。
「まともなこと言ってるのに王子を他の女に取られたくなくて、先延ばしに必死に見える不思議……」
ロマさん、小声で変なこと言わないでください。
さすがにフィフィくんが15歳くらいになったら、婚約をしぶったりしませんって。
「ああ、王妃様の趣味の圏外になるんですね」
本心を読めないのに、心の声だけ読むのはやめていただけませんでしょうか。




