70 北よりの雷
風が巡る風の邦の平原。
多くのものが見守る、その中にあって。
中心で語る者たちの間には、ある種の和やかさがあった。
その和やかさは、ザインから発せられている。
己の命と忠誠を、相手に預けた気楽さから来るものだろうか。
「――しかし、まあ、陛下が白の聖女にと見定めた方だ。非凡だろうとは思っていたが、まさか掛け値なしの本物だったとはな」
厳めしい顔に苦笑を浮かべながら、ザインは語る。
わたしを護衛するアルヌさんたち三人に、緩みは感じない。
その様子に頼もしさを感じながら、応じる。
「まあ、同じ国の500年後の人間ってだけで、繋がりはないんですけどね。豊家……豊臣家に仇をなすつもりは、現世でも異世界でも、ありませんが」
「……ふむ、かの方々は追われる身であったと聞いていたのだが、400年も経てばそのようなものか……しかし、なあ、主殿よ。聞いていいか?」
問うザインに、わたしはうなずく。
口ぶりからすれば、この人、白の聖女たちの素性について、かなりくわしく知ってそうだけど。
「――我が父祖がお仕えした方は……与太でもなんでもなく、本物の異界からの客人だったのだな」
その言葉から、ザイノフスクの一族の迷いが知れた。
当然かも知れない。
この世とは別の世界が存在していて、白の聖女たちは、実はそこから来た。もたらした文化も知識も、すべて別の世界のものである。
などと言われて、戸惑わないはずがない。時が経ち、白の聖女たちの痕跡が消えていくにつれ、その思いは大きくなったことだろう。
それでも400年。
戦国の世から、現代に至るまで、伝え続けてくれた。頭が下がる思いだ。
「400年後の人間でも、聞けばそれと分かる程度には有名人だよ。白の聖女も、ホーフ王も」
しみじみと、答える。
白の聖女――真田幸村。ホーフ王――豊臣秀頼。
名前だけならほとんどの日本人が知っているであろう、歴史上の人物だ。
実感のこもったわたしの言葉に、ザインは口の端を釣り上げた。
「現金なもんだ。そう聞くと、代々隠し続けてきた400年前の古ぼけた知恵も、宝物のように思えてしまう」
「秘匿してきた……ああ、ひょっとして火薬や火縄銃の製法とかかな? これだけ文化的に影響を残しておいて、無いのは不自然だと思っていたけど」
「残された知恵は膨大なもので、鉄牌に刻まれたような、未知の言語で書かれた書物も多かったらしいんだけどな……没落したときに散逸して、秘中の秘として口伝で叩き込まれたわずかな知識だけが残った。火薬もそれだな」
なるほど。
口伝のみとなれば、試行錯誤も含めて、復活させるには時間がかかりそうかな。
まあ、血を流したくないわたしが、火薬兵器を開発させるのもどうかと思うし、積極的にはやりたくないけど。
……まあ、そろそろ秘すまでもなく発明されてそうではあるけどね、火薬。
「礼を言う」
と、ザインはあらたまって頭を下げた。
「――主殿のおかげで、守ってきたものが、意味あるものだと知れた」
それは、400年もの間、白の聖女の教えを代々伝えてきた、重みから来る感慨か。
「その知恵を活用すべきか迷ってる。その程度の人間だよ。わたしは」
「卑下するな。俺は、主殿には生涯敵うまい……そう思ったのは、主殿で二人目だ」
「一人はお兄さん――ハーヴィル陛下?」
問いながらも、答えを確信している。
はたして、ザインは肯定するようにうなずいた。
「ああ。ホーフ王の裔であるあの方と、白の聖女と同じく、異界よりの客人である主殿、いずれもザイノフスク家にとって縁深い存在なのが、皮肉のようであり、幸いでもあるが……」
ザインは皮肉っぽく口を歪める。
その感情の所在は、わからないけれど……ひょっとしたらこの人は、一度ザイノフスクであることを捨てようとしたのかも知れない。
先の戦乱において、風の邦が地獄の焦土と化したときに。幾多の戦火をくぐり抜けて、戦以外の生き方が出来ないほどに戦い抜いて、心の内でザイノフスクとしての生き方を捨てた、そんな頃に、出会ってしまったのだろう。
主と認める、ホーフ王の血を引く男に。
ひょっとして、ザインがお兄さんに出会っていなければ。
ザインが、ザイノフスクの役目を忘れたままであったなら、わたしが白の聖女の証を立てても、素直に従うことはなかったかもしれない。
そう思うと、お兄さんからザインを取っちゃったことが後ろめたくなったり。
あとで謝っておこう。
「さて、主殿よ」
と、考え込んでいると、ザインの声。
「――ここまで仕込んだ大仕掛け。どう仕舞う?」
そう尋ねる巨漢の表情は、どこか楽しげだ。
自分の理解を超えた物語の結びがどんな展開となるのか、楽しみでたまらない読者のように。
そうだ。わたしとザインの二人の間では、すでに決着はついている。
だけど、公的には――白の聖女の遺産を授かる儀式としては、いまだ進行中でしかないのだ。
緩んだ気を引き締めて、ザインに向きなる。
「公的には、わたしはあなたに白の聖女の遺産を授かりに来ているんです。あなたがわたしに膝をついてくれたことで、儀式の形としては悪くないですが……遺産があなた自身、などと公に示しては、お兄さんの利にならない。遺産は“白の聖女の口伝”としておきましょうか」
「そのあたりだろうな……まあ、口伝に関しては、差し障りのない昔語りで勘弁していただきたい。秘中の秘は、たとえ戦友といえど明かせんし……主殿と二人だけで話をするには、怖い女の信用が足りない」
アルヌさんのことを、怖い女って呼ぶのはやめてください。
般若の表情で殺気を放ちはじめた彼女の横には、わたしがいるんですよ!
「さて、それじゃあ語らせてもらおうか」
視線で人が殺せそうなアルヌさんなど意に介さぬ様子で、ザインは不敵に口の端を釣り上げる。
「――我が祖が、白の聖女と交わした古き誓いを」
「古き誓い……」
ザインがわたしに従った折、口にした言葉。
「鉄牌に刻まれた文字が読める者は、すなわちかの聖女と同じく、異界よりの客人。いつか来るであろう客人を見極め……客人が日輪の王国とホーフの血脈を守るものであれば、その者を白の聖女の再来としてお仕えする。そんな誓いだ」
「誓い」の声音には、尊さと呪いが等分に含まれている。
当然かも知れない。400年。家が滅びても代々受け継がれ続けてきたものだ。貴重であると同時に、もはや呪いと変わらぬと、厭わしく感じてもいたのだろう。
「ホーフ王の血筋を、守る。その作業を、後の世の後継者に託すために」
「ああ。もっとも、白の聖女も、その“後の世”が、400年も後になるとは思わなかったろうが」
それは同意だ。
おそらく白の聖女が怖れていたのは、徳川からの討手か、あるいは豊臣に敵対する者がこの世界で覇を唱えんとする。そんな可能性。
まさか徳川の世がとうの昔に終焉を迎え、歴史上の存在となってしまった。そんなはるか未来になってから、この世界に客人がやってくるとは思いもしなかっただろう。
「そうだね。真田幸村――先代にとっては、400年前のこの世界よりも、わたしが居た元の世界のほうを、より遠く感じてしまうかもしれない」
「当然、戦の形も、兵器も、白の聖女の時代とはまったく違うんだろうな。秘伝の知恵が時代遅れになっているというのは、やはり悲しいもんだが」
「まあ、時代遅れではあるかな。ただ、高度な専門知識が分野ごとに求められるようになってるせいで、わたしじゃ“ただ知ってる”程度で、再現なんて出来そうにないけど……まあ、再現する気もないけど」
あらためて、意思表示する。
わたしが目指す未来において、それは無くてはならないものではない。
「だろうな……それを愚かと笑う気はねえ。実力づくでねじ伏せられたからな」
「笑われないために、ねじ伏せさせてもらいました」
わずかに苦笑を浮かべるザインに、笑顔を返す。
「今後の、俺の扱いはどうなる?」
「このまま風の邦を守り続けてほしいから、この場にいる三人にも口止めして、わたしの従者になった事実を隠すつもりなんだけど……さすがに領邦を監督する立場にあるあなたの処遇は、お兄さんに相談するつもり」
ことは領邦の、ひいては北方に在るお兄さんの戦略にも関わる事態だ。相談できる時間的余裕があるなら、事後をどうするか、詰めておきたい。
「こっちに着いたあたりで早馬を送ってるから、あらためて顛末を伝えとかないと」
「やむをえないとはいえ、俺相手に博打の真っ最中。情勢がどう転ぶかわからない状況を、陛下に伝えた、と」
「あの時点ですでに大規模な戦いにはならない情勢だったけど、万一に備えてね。あとこちらの意図と行動だけ伝えておいたら、陛下なら勝手に最適の行動取ってくれると思うし」
「なるほど。そうか、そうか……」
わたしが説明すると、ザインはそう言って頭を抱えた。
首を傾げたが、同じように困惑してるのは、ユラさんだけだ。
「どうしたの、ザインさん?」
「いや、その報を受けた陛下の行動が目に見えるようでな……」
「おそらくは、いらっしゃいますわね。もっとも、それがどちらかは、わかりませんけれど」
ザインの言葉に、アルヌさんが深い同意を示した。
「どちらかって、一人は陛下、だよね? もうひとりはわかんないけど……わたしが失敗した万一に備えてってこと?」
「あなたの身を慮って、と、考えて差し上げてください」
首をかしげると、アルヌさんが憐れむように正した。
いや、あんまり意味は変わらないと思うんだけど。
「といっても、わたしが危ないとすれば、この場でザインさんに斬られる危険だけで、その時の備えも手抜かりはない。そもそもそうなる可能性はかなり低かったはず。なにより今から向こうを発っても手遅れ……」
「我が主よ」
わたしの言葉を遮って、ザインは言った。
「――舐めちゃいけない。あんたは南から電光石火の強行軍を見せたが、北からだって出来ないわけじゃない。少なくとも陛下なら、そう考える」
その言葉の、意図を掴んで、わたしは頭をかく。
わたしを心配して、お兄さんが強行軍で来てくれるというのなら……うん。照れくさいけど、正直、心強いかもしれない。
そして、報告が入った。
北より現れた騎兵の小隊、率いる将は、鎧から判明した。
――将の名は、低地総督アルサーブ・アルザーブ。
言っちゃなんだけど、言っちゃなんだけど、それでも言いたい。
そっちかよ。
◆
旧船の邦首都ホルメス。
復興著しい都を守るように建つ城の主は、信頼する友を送り出した、そのままの方角を向いて。ただ静かに、南よりの報せを待ち続けている。
「……陛下、そのようにご心配であれば、なぜ自ら行かれなかったのです」
尋ねる従者に、日輪の王国国王、ハル・ハーヴィル・エンテア・ソレグナムは口の端を釣り上げた。
「リュージュは、我が妻は成すだろう。その功績を、横から盗むような真似はできんよ」
英雄王たる彼が動けば、国王こそが一連の騒動の絵図面を描いた首謀者、と見られかねない。
ゆえに王は妻の身を案じて、南を睨む。
その姿は、彼をよく知る者にとっては、やせ我慢に見えた。
「それほどご心配であれば、我慢されることもなかったのでは」
「言うな、俺も辛い。だが、いま南に送るなら、俺よりもやつが適任なのだ」
自分に言い聞かせるような主の物言いに、従者は苦笑しながらもうなずく。
従者の様子には反応を示さず、王は独り言のように続ける。
「――低地総督アルサーブ・アルザーブ。我が友に、リュージュを引き合わせる、絶好の機会なのだから」
敬虔な神の信徒にして、白の聖女の信奉者。
リュージュが本物だと証され、同時に武略を示した今ならば、安心して会わせられる。
そのためならば、たとえ久しぶりにリュージュと出会う絶好の機会であったとしても、我慢しなくてはならない。そう、ここは我慢だ。我慢なのだ……
自分に言い聞かせる主を見て、従者は「無理しなくてもいいのに……」とため息を落とした。
季節は春。凍てつくような北国の風も、すでに温んでいる。
海を隔てた先で始まった騒乱も、日輪の王国には届かない。