69 ザイン・ザイノフスク
さて、皆さま。
ひとつ、語らせていただきましょう。
一般的に、王の影響力は、王都においてもっとも強く、王宮から離れるにつれ弱くなっていく。
ゆえに、王ならば誰しも。
その統治を国土の隅々まで行き渡らせるための機構造りに腐心するものです。
そんな模索の中で、世界史上に散見される、わたしたちの目には奇妙に映る機構がある。
広大な国土において、少ない人員で、どの地域にもまんべんなく影響を及ぼせる。そんな機構が。
解法は単純。
王とその宮廷自体が、移動して地方を巡ること。
各地の諸侯と、貴族と、都市の代表と、交流を深め意志を同じくし、政治を、裁判を執り行う。
――移動宮廷。
そう呼ばれる統治方式は、この世界においても、珍しい発想ではない。
他ならぬこの国の王――ハル・ハーヴィル自身が、混乱する北洋帝国と対峙するため、官僚を引き連れて低地両邦に動座している。
そして風の邦南端において、現在わたしがやっていることも、それ。
目的は、明解。
不満分子の不満を解消すること。
ザイン・ザイノフスクの手の者が煽る不安を、宮廷への不満を、将来への不安を、根こそぎ吹き飛ばすこと。
――それによって、反乱に同調する存在を霧消させる。
そのために、北国街道の発展に深く関わった官僚に来てもらった。
そのために、多くの領主たちにとって戦友である功将たちに来てもらった。
その効果は絶大。
わたしの元を訪れる人の喧騒が。
窮状や不満を訴える者たちの、どこか救われたような表情が。それを示している。
「なにより、この地に駆けつけるまで3日足らず。これが効いています」
忙しい面会の合間。ユラさんは実感を込めてそう評す。
「――王妃様が即座に動員をかけていれば、万を下らない数が集まっていた。それは、集まってきた領主たちの数が如実に物語っている。こんなモノを見せられたら、みな想像せずにはいられないでしょう――反乱を起こした瞬間、万の軍勢が即座に攻め寄せてくる。そんな光景を」
それこそが、無茶な強行軍の理由。
風の邦だけに留まらず、各地の不平の輩に、そう思わせられたなら万々歳だ。
「戦わずして、勝つ……そうなれば、うれしいんだけど」
ロマさんが点ててくれた茶を喫しながら、つぶやく。
「もはや、他の領主たちが動くことはないでしょうな。となれば、あとはザイン・ザイノフスク次第」
他の領主同様、ザインにも召喚の使者を送った。
ただし、数日遅らせて。状況が定まった。多くの者がそれを理解した頃合いを見計らって。
おそらく彼は来るだろう。
どのような形でここを訪れるか。
それで彼の本心も、見えてくるはずだ。
◆
ユラさんとのやりとりから、2日。
ヴェーダ領主、ザイン・ザイノフスク来訪の報せを受けた。
引き連れているのは、わずか数十名。その全員が武装している。
供回りとしては多く、軍としてはあまりに少ない。
が、信頼できる配下を集めたとしたら、そんなところだろう。
最後にひとつ、博打を打つにも、丁度いい頃合いの人数でもある。
「――会いましょう」
納得して、ユラさんに場所の設えを指示する。
最後の博打すら、打たせないために。
王宮を出るとき、わたしは皆に言った。
先代聖女の遺産を授かるために、風の邦に往く、と。
だから、これから行うザインとの面会は、そのための儀式になる。多少の特別扱いも、この際許されるだろう。
「姉さま」
「大丈夫だよ、ロマ」
心配げなロマさんに、笑顔を向ける。
「ここが勝負所なのは、間違いない。だけど、万に一つも起こさせないから」
そう言い諭して。
ザインと合うための支度を手伝ってもらう。
そして、時が来た。
場所は、街を囲う壁の外。街道を逸れた、広い平野。
生い茂る草を風が薙いでいく。
風の邦にふさわしい風景の中で、たったふたつ、床几(折りたたみ式の腰掛け)が置かれている。
そこからかなり離れた位置に、ヴェーダの将兵が。
床几を挟んで対象の位置に武装したヒャッハーたちが集まっている。
わたしの傍らには、近侍の護衛一名に加え、異邦の元女将軍、ユラさんと、先の大乱の女性英雄アルヌ・ゴッタルド。
そしてわたし自身は……完全武装だ。
手には十字架杖。
教会の手に渡り、杖としての装飾が成された十文字槍。
身に纏うは真紅の鎧兜。
重量で動けなくなることを避けるため、紙漆主体だがそれなりの強度はあるし、見栄えはいい。
「――よう。お望みの通り、来たぜ。王妃殿下」
床几にどっかと座って、ザイン・ザイノフスクは言った。
傲岸不遜な態度に色めく近侍を、手で制する。
供はなく、一人。
ただし、帯剣は許している。
顔には、やや憔悴の色が見て取れる。
「うれしいです。素直に来てくれて」
笑顔を向けると、ザインは渋面を見せた。
「他のありとあらゆる手段を奪っておいて、うれしいですもねえよ」
「すべての手段を奪ったわけではありません。ただ、ほんのわずかでも勝ちの目があるとすれば、あえて敵中に潜り込んで蜂起、局地的な優勢を作り出し、敵大将を討ち取ること、くらいですか」
「それも、こんなだだっ広い中で、アルヌを含む三対一の状況を作られちゃあどうしようもあるまいよ」
入り組んだ市街地であれば。
そして状況のわかりにくい建物内であれば。
あるいはザインが王手を決めうる状況を、作らせてしまったかもしれない。
だがそれも、互いに矢が届かない距離。衆人の目があり、隠れようのない平野では、実現しようがない。
「なぜ、ここまでやった――いや」
頭を振って、ザインは言い換える。
「なぜ、危険を犯して利を捨ててまで、戦を避けた」
「はて?」
「韜晦してくれるな。それを知りたいがために、恥を晒してここまで来た」
その言葉で、彼の優秀さが否応なしに知れる。
「わたしが利を捨てた。この"利”とは、あなたに反乱を起こさせた上で、これを鎮圧する。それによって国内の不満分子を排除できること、ですね」
「その手段を思いつかなかったとは言わせん。貴様が思いつかなくとも、宰相や大将軍。あるいは他の誰かが献策しているはずだ」
「ええ。その意見はたしかにあり、わたしはその手段を取りませんでした」
そして、それを理解しているザインが、あえて反乱を起こしたのは……やはり死ぬ気だったのだろう。
「で、取ったのが中核戦力とともに強行軍で風の邦に入り込み、近隣領主たちを掌握すること……見事と言うしかない。だがこれも、領主たちの兵を率いて俺を攻め滅ぼす手筋があったはずだ」
「もちろん、その選択肢はありました。しかしわたしはそれを選ばなかった」
「かわりに領主たちの陳情を聞くことで、不満分子の不満を解消しやがった……これは想像の埒外だ。貴様の思案だとしたら、やはり俺と貴様は別の生き物だと、実感するぜ」
別の生き物。
乱世の空気を吸い、生きてきたザインの、それがわたしに対する実感なのだろう。
考えてみれば当然だ。
ザインは流賊に蹂躙され、地獄と化した風の邦で戦い続けた。
乱世の最も悲惨な渦中で戦い、あがき、生きてきた男にとって。それを誇りとする男にとって。わたしの行動理念など、まるで共感できないのだろう。
だが、と、ザインは話を続ける。
「ここでも、もはや兵を集める手段を喪失した俺を、攻め滅ぼすという手が取れたはずだ。だが――」
「ええ。あえてか細い勝ちの可能性を示し、この場に来てもらうという手段を取りました」
ザインは、わたしに対する拒絶の意思表示として、反乱を起こそうとした。
己の生など度外視していただろうが、武人として、最後まで勝利の目は追い続けた。最後まで、破滅的な手段は取らなかった。
だから、絡め取れた。
今日この場に、引きずり出すことができた。
「なぜだ。なぜそこまでして俺にこだわる。俺が死んだほうが、はるかに容易く、あんたの言う“より多くの者が平和を享受できる世”に近づけたはずだ」
――ああ、やっぱりこのひとは。
確信する。
自分の考えが間違っていなかったと。
だからわたしは、胸を張って応じる。
「答えましょう。一つは、あなたの息子――ソレン・ザイノフスクから頼まれたこと」
「だがそれだけでは、反乱を起こそうっていう男を生かす理由にはならない」
「一つは、わたしの信念にもとること」
「なるほどご立派な信念だ。だが、それとて無理を通す理由としては弱いだろう」
「最後は……あなたがハーヴィル陛下に故地を預けられた人だから。それだけ信頼されている人が、気に入らない未来像を示されたからと反乱を起こすものかと、疑問でした」
そう。ずっとそれが引っかかっていた。
だけど、これまでの行動と、なにより彼の言葉で確信した。
「――死ぬことで、わたしを助けるつもりだったんですね」
わたしを認めることはできなくても。お兄さんのことは、認めていた。
だから、己の死が、日輪の王国の平和に繋がるような手段を、選び続けたのだ。
答えが返ってくるまでに、長い時間を要した。
「……俺の主はあくまで陛下だ。だが、陛下は貴様の描く未来像を認めるだろうと思った。だから、居場所のねえ俺は、最後にひと奉公しようかと思った……それだけだ」
「やはり、そうでしたか」
「そうか」
わたしの言い方に、腑に落ちるものがあったのだろう。
しみじみと、ザイン・ザイノフスクはつぶやく。
「――貴様は、陛下が信じる俺を信じた。だから切り捨てなかったのか」
「今の今まで、確信が持てなかったんだけどね」
苦笑で返す。
確信に近いものはあったけれど、不安は、ずっとあったのだ。
「負けた」
清々しい表情で、ザインは笑う。
「――だが、悪くない。俺を封じた一連の手は、国内の不満分子に対する絶大な牽制となった。間抜けな反乱になったが、以て暝としよう」
それは、差し伸べたわたしの手をはねのける言葉。
負けは認めるが、最後の最後、己の意志までは渡さないという覚悟のあらわれ。
だけど、それすら拒否する絶対の手札が、わたしの手には残されている。
「暝してもらっちゃ困るよ。キミにはまだ働いてもらわなきゃ――白の聖女の従者としてね」
わたしはソレンくんから借り受けた鉄牌を取り出し、示す。
ザインがみるみる渋面になる。
「……俺をこの場に引きずり出したのは、このためか」
「ただ聖女の遺言を伝えるだけじゃ、あなたが死ぬのを止めるのは、あなたに己の意志を曲げさせるのは、無理だと思った。だから腹の底から負けを認めさせて、従ってもらおうと思った」
そう。これは戦だ。
戦わずして勝つための。
白の聖女の遺言に頼らず、ザインに、かの聖女の遺産に、わたしを認めさせるための。
そしてわたしは、鉄牌に刻まれた文を読む。
問は、「汝豊家二仇ナス者ナリヤ」。
答えは「否」。
ザインは天を仰ぎ嘆息して。
それから、苦笑交じりに答えた。
「古き誓いに従い、あんたに絶対の忠誠を……まったく、我が主はとんでもない女を嫁に選んだものだ」
なぜか、ザインだけでなく周囲からも、同意の声が上がった。