66 白の聖女と建国王
真田左衛門佐。
豊家、すなわち豊臣家に関わる人間で、そう呼ばれた者が居る。
大坂の陣において滅亡に瀕した豊臣家を助け、天下人徳川家康の心胆を寒からしめた猛将。
――真田幸村。
日本一の兵。
白の聖女が彼だったなら。
そして死してなお豊家に仇なす者を排除しようとしたのなら。
健国王ホーフの正体も、おおよそ察しがつく。
おそらく、ホーフは豊右府に違いない。
豊、は豊臣家を指し、右府とは右大臣の別名だ。
――つまり、豊右府とはすなわち豊臣秀頼。
天下人豊臣秀吉の世継ぎとして生まれ、次の天下人徳川家康によって滅ぼされた、悲劇の貴公子。
だが、こんな話がある。
豊臣家が滅びて後、京の都で奇妙な童歌が歌われるようになったという。
――花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたよ加護島へ。
いわゆる秀頼生存説。
大坂城を脱出した秀頼が真田幸村に助けられ、島津の治める薩摩、大隅、すなわち鹿児島へ落ち延びたとされる伝承に関する逸話のひとつだ。
だが、目の前の物証を見れば、見方が変わってしまう。
なにせ、わたしがこの世界に流れ着いた湖。
その中央に浮かぶ島の名は、“加護の島”と呼ばれているのだから。
――豊臣秀頼は、真田幸村とともに異世界に行き、そこで未曾有の大国を打ち立てたのだ。
なんとも突拍子もない話だが、であればこの国の名前にも納得がいく。
――日輪の王国。
日輪の子、豊臣秀吉を父に持つ男が建てた国の名として、これほどふさわしいものはないだろう。
彼らがこの世界に流されて、どのような思いをいだき、どのように考えて天下取りに挑んだのか。それはわからない。
だが。真田幸村の忠誠は、この世界においても培われ、秀頼とその子孫に捧げられ続けたに違いない。
――汝豊家二仇ナス者ナリヤ
死してなお秀頼とその子らを護る。
その激越な意思が、鉄の牌に強く強く、刻まれている。
――まあ、結局なぜ真田幸村だけがわたし同様、女の姿になってしまったのは、わかりませんが……
そのあたりの考察は、ひとまずは置いておいてもいいだろう。
今現在の状況で、優先すべきは別にあるのだから。
「――ソレン・ザイノフスク」
目の前で平伏している少年に、声をかける。
真田の――豊家を守護する者の後継者として育てられた血筋の少年。
いまだ家を継いでいない彼が、おそらくは家中の秘伝である鉄牌を預けられていた理由は、ひとつしかない。
「あなたの父を救うために、わたしは全力を尽くすことを約束しましょう――その上で、白の聖女として命じます。答えなさい。ザイン・ザイノフスクには反乱の意思がありますね?」
「……はい」
フィフィくんが、彼から感じた迷いの正体は、これだろう。
親を売るほど薄情でもなく、かといって王室に刃を向けることもできない。
だから、わたしは命令した。
自分の意志ではなく、白の聖女の遺命によって父を売らざるを得なかったという、言い訳のために。
詭弁だ。
だけど、それで少年の心の傷が、少しでも浅くて済むのなら、危ない橋を渡った甲斐があるというものだ。
本来ならこの件に関わることなくフィフィくんと平穏な日々を過ごしてほしかったが、今はなによりも時間が惜しい。
疑惑を確信に変える。
それだけのために、風の邦まで人を往復させるわけにはいかないのだ。
「ソレン。宰相と大将軍に諮ります。フィフィくんにも同席してもらうので、キミは先に事情を説明しておいてくださいね。フィフィくん、悩んでましたよ? 悩みごとがあるのに打ち明けてくれないって」
「は、はい。至らないことで申し訳ありません」
「フィフィくん、そういう他人行儀なとこを直してほしいって思ってると思うんだけど……ま、そのへんはおいおいってとこかな」
苦笑まじりに微笑みかけた。
しかし、成り行きでフィフィくんからソレンくんを取っちゃった形になってしまったな。
折を見て、ちゃんとフィフィくんを優先するよう言っとかないと。
◆
執務室には宰相と大将軍、フィフィくんとソレンくん。
加えて我が国の官僚となった法典皇国出身の男装の麗人、ユラさんが集まった。
はて、ユラさんが何故、と思ったが、宰相閣下が事情を教えてくれた。
街道整備に絡んで、風の邦の現状を把握しているのが彼女なのだ。
「風の邦に不穏な動きがあります。あるいは、不穏な動きが明らかになるのは、これからになるかもしれませんが……」
まず、わたしから、事情を説明する。
風の邦の要、ヴェーダ領主ザイン。その人となりと、反意について。
「……意味がわからない」
語り終えて。
困惑をあらわにしたのは、ユラさんだ。
「――僕が知るところ、ヴェーダ領の統治は見事なものだ。今回の街道整備にも価値ある提案をしている……時代の移り変わりに適応した成功者の一人だ。乱世の領主から脱却出来なかった者たちとは一線を画している。なのに、あえて王室に刃を向けるなんて……」
ユラさんの言うとおりだ。
ザイン・ザイノフスクは、わたしたちが反乱を想定してきた、できる限り救おうとしてきた、時代に取り残された人たちとは違う。
彼の反乱には、まるで動機が見いだせない。
「……残される者も居れば、あえて残る者も居る、ヴェーダ領主ザインはそういう人間だということでしょう」
と、大将軍が口を挟んだ。
考えてみると、先の大乱を馬上で過ごした彼の感性は、ザインと通い合う部分があるのかもしれない。
「――時代は変わる。王妃殿下は時代に適応できず、残されるものをできるだけすくい取ろうとなさいました。しかし、中にはそれを良しとせず、古き時代の夢を見ていたいと思うものもいる。新たな次代に適応する能力があろうと、です」
――いくさ人、というやつですな。
と、大将軍は深く息をついた。
ザイン・ザイノフスクは乱世の将であり、他のものになるつもりはない。
そういうことだと考えると、なるほど、彼の行動に芯が通る。
納得は、できないけれど。
「看過しておけませんな」
と、宰相が口を開いた。
「――風の邦で反乱が起きれば、遠征中の国王陛下の後背が危うくなる。そして、一度火が付けば、反乱は各地に伝播することは自明です……もっとも、王妃殿下のご配慮もあって、反乱の規模はごく小さなものになるでしょうが」
ふむ。
考える。
そうなのだ。反乱は、たとえ起こったとしても、王国にとって深刻な脅威にはなりえない。
ザイン・ザイノフスクが、それを理解していないはずがない。
理解して、あえて反乱を起こすとすれば。
「意地、ですか」
つぶやいてみて、腑に落ちた。
俺はお前が気に食わない。
だから共に天は戴かない。
たとえ結果として自らが滅ぶ形になっても。
――ああ。
気づいた。
だからザインは、息子に鉄牌を渡したのだ。
白の聖女に縛られた己から脱却するために。
「困りましたな。意地を張られては、こちらとしては兵馬に訴えるしかなくなる」
大将軍の言葉に、ソレンと、彼を心配してだろう。フィフィくんの表情が曇る。
「――そしてそれは、王妃殿下の望むところではない……そうですな、王妃殿下?」
宰相が言葉を引き継いで、微笑みかけてきた。
そのとおりだ。
ソレンくんに言ったように、ザインは救いたい。
本人にとってはありがた迷惑だろうが、全力で努力する。
だからわたしは、あらゆる手段を排除するつもりはない。
わたしは微笑んで――首を横に振った。
「この件を戦にはさせない。そのために、今回は兵馬を使わなくてはならないでしょう」
成算はある。
だが、そのためには不可欠な条件がある。
「――それも寡兵で、わたし自ら、出陣して、です」
「……賛成いたしかねますな」
宰相閣下が眉をひそめた。
「王妃殿下は我が国の要です。わずかな危険でも避けていただきたいところだというのに、敵地に向かうなど……ましてや国王陛下やフィンバリー殿下は、ご家族を戦乱の中で亡くされておられます。どうかお二人の気持ちも、慮っていただきたく」
「そう言われると辛いな」
父を、兄を、義姉を、お兄さんは戦乱の中で失った。
フィフィくんにとっては、祖父であり、父であり、母だ。
彼らはお兄さんに、フィフィくんに、未来を託して死んでいった。
彼らに対する痛切な思いを、お兄さんから聞いた。
同じ思いをさせたくない。それは、泣きそうなフィフィくんの表情を見れば、理解できる。
「しかし、宰相閣下。わたしは確信しています。今までの我々の、平和のための努力が、わたしを危険から遠ざけてくれると」
「どうやら成算あり……って、とこですな?」
わたしの言葉に。
大将軍が口の端を上げると、宰相閣下は逆に肩を落とした。
「納得できる思案を教えていただけると信じておりますよ」
どうやら納得するまでじっくり説明しなきゃいけないみたいだ。
「リュージュさま……ぼくも連れて行ってくださいませんか?」
そして、フィフィくんが思いつめたように口を開いた。
そんな切なそうな表情を見ると、ついお願いを聞きたくなっちゃうけど……わたしは頑張って衝動に耐え、首を横に振る。
「それは、無理かな。フィフィくんが留守を守っていてくれないと、わたしが王宮を空けることなんて不可能だから」
実際、執政の、そのまた補佐とはいえ、フィフィくんは王子で、王様を除く唯一の王族男子だ。
わたしが不在となれば、その職責を代行していいのはフィフィくんしか居ない。
「大丈夫だよ、フィフィくん。わたしは最良の結果を求めて行くんだから。わたしが死んだら、最良じゃなくなるでしょ?」
励ますように声をかけると、フィフィくんはわたしをまっすぐに見て、言った。
「リュージュさまになにかあったら、ソレンを恨みます。だから、リュージュさま。どうか、ぼくにソレンを恨ませないでください」
それは大変だ。
フィフィくんの、貴重な同年代の友達との友情を、失わせるわけには行かない。
「うん、約束するよ。任せて、フィフィくん!」
フィフィくんに誓う。
やりましょう。
最高の未来を諦めないために、似合いもしない鎧兜をつけて。
豊臣秀頼や真田幸村には、はるか遠く及びませんが、わたしが積み上げてきたすべてを使って……挑んでみせましょう。
だから、ザイン・ザイノフスク。
首を洗って、待っていてくださいね?
「……ところで、王妃殿下。そろそろご思案を明かしていただきたいのですが、よろしいですかな?」
はい。説明がまだでしたね。すみません。
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