65 従う者
さて、皆さま。
白の聖女について、これまで知り得たことは、少なくありません。
曰く、流浪の英雄、健国王ホーフが大陸に現れた当初から、その傍にあった。
曰く、兵として抜群の武勇を備え、隊を率いて奇功を挙げ、軍を率いて敵なし。
そして。
教皇に聖女と讃えられ、建国王に忠を尽くし、今の世にも数々の文化を残した、おそらくは戦国の世の人間。
彼女がなにを成したのか、400年後のわたしはよく知っている。
だけど。彼女が何者で、なにを思い、この世界で生きたのか。400年を隔てた現代を生きるわたしが知る由もない。
もし、過去の彼女と話ができたら。
わたしと同じ境遇の彼女は、いったいどんな話をしてくれるのだろう。
そう、思わずにはいられません。
◆
さて。
きっかけは、フィフィくんとの会話でした。
政務の合間の、何気ない雑談。
あたらしくできた友達と、うまくいっているか。
そんなありきたりな母子の話題に、フィフィくんは一瞬、迷ってから。
「リュージュさま、実は相談したいことがあるんです」
そう、言いました。
「フィフィくん、聞かせてくれるかな。相談事ってなに?」
さしあたって思い当たるものはない。
あたらしくできた友達――ヴェーダ領主の息子、ソレンくんとは、うまくいっているように見えた。
「ソレンさんは、ちょっと愛想が悪いところがありますけど、いい人です。でも、リュージュさまを怖がってるというか、なにかを迷っているというか……そんなところがあって」
告げ口の後ろめたさからか、フィフィくんはためらいながら語る。
ふむ。と首を傾げる。
恐れ、迷い。
わたしが彼に、それを生じさせるような存在、なのだとしたら……原因は、ひとつ。白の聖女がらみしかない。
「ぼくには、打ち明けてくれませんでした」
無念そうに、フィフィくんは言う。
悩みを打ち明けてもらえるくらいには、仲良くなれたつもりだったのだろう。
「――でも、放って置いちゃいけないことだと思うんです」
そんな、フィフィくんの思いに。
母として返す言葉は、ひとつしかなかった。
「わかった。わたしに任せて」
◆
王妃と領主の息子。
非公開、非公式に会うとなると、やはりお茶会に頼ることになる。
了解を取り、即日のお茶会。
やってきた少年――ソレン・ザイノフスクの表情は、わずかに硬い。
要件を察したから、というよりは、わたしに関わる事自体を恐れているのだろう。
白の聖女が育てた子供の子孫。
そしてこの親子の、わたしに対するスタンス。
白の聖女が、彼らの一族になにかを託しているのは間違いないと見ていい。
――さて、となると。
彼の父、ヴェーダ領主ザイン・ザイノフスクとの面会を思い出す。
あの時は、白の聖女に関する話題を避けられた。
結果、出しそこねた宿題を、やり直すつもりで。
ソレン・ザイノフスクに相対す。
茶を喫して、落ち着いたところで。
おもむろに、話題を切り出す。
「今日はあなたに尋ねたいことがあって、この席を設けました」
ソレンくんが、心の中で身構えたのがわかった。
なるほど。フィフィくんと話しているときの様子を見て、これを察するのは無理だろう。フィフィくんはよく見ている。
「わたしに関することで、なにか悩み、恐れている。わたしの目には、そう映っています。理由を、聞かせてくれませんか?」
フィフィくんの名は出さなかったが、敏い彼なら察したかもしれない。
友人に対する理解を深めたのは、なにもフィフィくんだけではなかったろうから。
わたしの言葉に、覚悟を定めたのだろう。
普段は感情の読めない少年の瞳に、強い力がこもる。
その力を、そのまま言葉に込めて。少年は言った。
「自分が恐れているとすれば……あなたの正体を知ることで、選択の余地がなくなることでしょう」
少年の言葉は、直接的ではなかった。
しかし、意図は通じる。
「ザイノフスク家は、白の聖女からの遺命を託されている。そして、わたしの正体如何で、望まずとも敵対関係になるかもしれない、と」
「そのとおりです、王妃殿下。内容はどうか、聞いてくださいますな。私はフィンバリー殿下や王妃殿下に刃を向けたくない。かといって、遺命を捨てることもできないのです」
親に捨てられた子供のように。
少年は、寄る辺ない不安を無表情の奥からこぼした。
「それは、あなたの父も同じ思いですか?」
思えば、彼の父、ザイン・ザイノフスクも、白の聖女に関しての会話を避け、また早々に王都を離れた。
その理由は、いまのソレンくんと同様ではないかと、以前推測していたけれど。
だが、わたしの質問に。
ソレン・ザイノフスクはうなずかない。
「父は……父も、遺命に縛られることを厭うております。あの人は、昔も、今も、己の力と才覚のみを信じるいくさ人ですから」
突き放すような言葉。
親子の距離が遠い。そう感じる。
初めてこの親子と面会したときよりも、いっそう、だろうか。
それは彼が、フィフィくんを己の主と見定めたためか。
それともこの王宮で、親子の絆が解れるような、なにかがあったのか。
「あえて言いましょう」
少年は言う。
「――私は、なにがあっても王室に忠誠を誓います。そのためなら、父に刃を向けることも厭わない。ゆえに、王妃様を試すような真似はできません」
もし偽物であれば、王室に忠誠を誓う事は、叶わなくなるから。
忠誠心ゆえに、わたしを試さない。それは、理解できる。
だが……「父に刃を向けることも厭わない」
そう言った彼の表情からは、間近に迫った現実を見据えたような、そんな切実さを感じる。
――これは。
わたしが気づいたことを察したのか、少年の肩が、わずかに震える。
どうすべきか。
問い詰めるべきではあるが、フィフィくんの友人である彼に、己の意思で父を売らせるような真似はさせられない。
しばし、思案してから。
「……あなたの思いはわかりました。その誓いは、我が王家にとって、そしてフィンバリー王子にとって、かけがえのないものです」
「ありがたきお言葉……」
「しかしわたしは、あえて尋ねましょう。白の聖女の遺命について、話せる範囲で、可能な限り教えてくれませんか?」
少年は、しばし迷ってから。
うめくように口を開いた。
「もし後世に白の聖女が現れたなら、その真偽を暴け。性質を暴け。そのための問いを鉄牌に記して遺す。正しく答えた者を自分と思い仕えよ」
そして、正しく答えられなかった者は、手段を問わず討て。だろう。
その危険を犯してまで、ソレンくんの忠誠を買うべきか。
彼自身の迷いと苦痛を解くためにも、彼を友と思うフィフィくんのためにも、挑戦する価値はあるんじゃないかと思う。
「……その鉄牌は、ここにありますか?」
「父より預かって、ここに」
そこに忍ばせてあるのだろう。
少年は、服越しに、胸元に手を当てた。
「ふむ……」
あらためて、情報を整理する。
様々な傍証から、白の聖女は戦国時代の人間の可能性が高い。
そのわりに、サンダース・エマンスキーなんて名前なのは非常に不可解だけど……音だけで伝わったので、ロシア人めいた名前になったのかもしれない。
そんな彼女が残した問い。
それも、問われた者の真贋と性質を見極めるような。
――禅問答だったらどうしよう。
一瞬嫌な予感が脳裏をよぎったが、多分それはない。
様々な解釈や解答を、判定役のほうが管理しきれないだろう。
だからまあ、それほど難しい問いではないだろう。
そして、彼女のあり方を考えれば、白の聖女が望む性質は、おそらくはわたしの望むそれに近しい。
正直、勝算は高い。
でも、確実ではない。
なにせ400年前のものだ。
鉄牌自体の真贋や伝承過程での変質もあり得る。
あと漢文だったらどうしようとか。クセ字だったらどうしようとか。
……ちょっと不安になってきた。
せめて他にも残ってる文章とかがあれば、もうすこし安心して挑戦できるんだけど。
「――っ!!」
気づいて、思わず声を上げかける。
そうだ。あるじゃないか。白の聖女が文字を刻んでいそうなものが他に!
「――白の聖女の十字架杖を、ここに」
教皇猊下より授かった、白の聖女の聖遺物だ。可能性は十分ある。
ほどなくして、白の聖女の杖――装飾を施し、杖に仕立てられた十文字槍が運ばれてくる。
――教育係さんが分解して中子を見たがってたなあ。
などと思い出しながら、目釘を外して中子を検める。
「……ふふふ。なるほど、それでサンダース・エマンスキーですか」
そこに刻まれていた文字を見て、思わず笑ってしまう。
彼女が彼であったなら、そして彼女が仕え続けたというのなら、健国王ホーフもまた、異世界からやってきたのだろう。
「ソレン・ザイノフスク。あらためて、真偽を明かしましょう。鉄牌を見せてください」
ソレンくんは、不安を隠しきれない様子ながら、それでも神妙に、胸元から取り出した肉厚の鉄の板を差し出してくる。
丁寧に受け取り、検めると、劣化を想定してのことだろう。金象嵌で細かな文字が刻まれている。
「これは……杖に刻まれているのと同じ系統の文字、ですか」
後ろで見ていたロマさんがつぶやく。
わたしはにっこりと笑顔を浮かべて、少年に答えた。
「答えは、“否”です」
わたしの言葉に、ソレンくんは弾かれたように平伏した。
「あなたに絶対の忠誠を。願わくば父も同様にしてお救いください」
十字架杖――十文字槍に刻まれていたのは、持ち主の名。
すなわち真田左衛門佐。
そして鉄牌には、こう刻まれていた。
――汝豊家二仇ナス者ナリヤ