64 訪れる春
さて、皆さま。
ヴェーダ領主ザイン・ザイノフスクとの面会を終えて、ひとつ、気になったことがあります。
かの領主は、わたしが心備えしていた事案――白の聖女について、深く触れることはありませんでした。
まあ、彼の立場になって考えてみれば、理由は推察できる。
なにせ国王、権臣、はては教皇までが、本物と認めた白の聖女だ。
たとえ偽物だったとしても異を唱えるわけにはいかず、さりとて黙っているには、「白の聖女が養育した子供の末裔」という立場が邪魔をする。
――藪をつついて蛇を出すよりは、なるべく触れずにおきたい。
そう思うのも、無理はないだろう。
「あるいは単純に、白の聖女に関する記録はすでに散逸しており、その事実について触れられたくないから、という可能性も考えられますわね」
とは、ロマさんの言。
言われてみれば、その可能性も十分考えられる。
なにせ400年も前の話だ。
そのうえ彼の家は、一度没落している。
白の聖女に関して問われても、大したことを答えられない。
それでは面子が立たないから、なるべく話題に出さずにいた、と言われれば、それもまた納得できる話だ。
ただ、話した感じ、そういう小賢しいことをしそうな人には見えなかったんだけどな。
どっちかというと、胸襟を開いて「実はこんな事情でな」と全部ぶちまけそうな。
そんなひっかかりが解消されないまま。
ザイン・ザイノフスクは、春の訪れを待ちかねたように、帰郷していった。
まあ、彼の存在は風の邦の要だ。
世情が安定に向かいつつも、内乱の危機を孕んでいる。
そんな情勢下、在地で睨みを効かせてくれるのは、正直ありがたい。
その上、彼は息子さんを残してった。
中央とのパイプ役を、彼に一任するつもりなのだろう。
フィフィくんより年上ではあるが、それほど離れていない。
それもあってか、フィフィくんとも仲良くしてくれている……のだが。
その、息子さん。
名前をソレンという。
黒髪の幼い少年だが……目が怖い。
目つきが悪いってわけじゃなくて、目が大きくてくっきりしてるのにそこから感情を感じないというか……爬虫類系、みたいな。
物静かで、礼儀正しくはあるが、どこかつかみどころがない。
そのうえ、年に似合わず立場をわきまえて、フィフィくんには常に目下の態度をとる。
なので、フィフィくんも距離感を測りかねている感じだ。
フィフィくんの周り、レイサム王子含めて、基本タメ口でフレンドリーな人ばかりだったからなあ。
「家宰にするには悪くないが、友とするには手応えのないやつだ」
とは、レイサム王子の言。
能力や才覚に不足があるわけじゃないけど、王子の友とするには堅苦しすぎる、といったところか。
とはいえ、いっしょに剣の稽古をしているときなんかは、フィフィくんも楽しそうだ。
普段相手をしてもらっている赤将軍とは実力も体格も違いすぎるから、彼との稽古は新鮮なのかもしれない。
案外、レイサム王子の先の言葉は。
そんなフィフィくんを見て、友人を奪われた気分になった王子の、嫉妬混じりの評価なのかもしれない。
どちらにせよ。
フィフィくんと同じ年頃の男の子が増えたことは、喜ばしいかぎりだ。
「姉さまがそうおっしゃると、刑吏を呼びたくなるのですが」
「呼ばないでね。犯罪的な意味はないから」
ロマさんに突っ込まれたので、否定する。
うっかり否定するのを忘れると、本当に犯罪者にされかねないので。
◆
「……平和だねえ」
春。あたたかな日差しを感じながら、しみじみとつぶやく。
「農繁期に備えてか、多くの領主が領地に戻りましたからねえ」
同意するロマさんも、どこか眠たげだ。
領主たちが領地に戻っていった結果、王宮の人口過密状態は見事に改善された。
中央とのつながりを重視して残る者、あるいはザイン・ザイノフスク同様、子女を残して行く者も居るが、王宮のキャパの範囲内。
陳情の類ものきなみさばけて、結果、ゆっくりした時間が持てるようにもなった。
「……春、か」
しみじみとつぶやく。
それは、ありとあらゆるものが動き出す季節。
「――陛下たちは、どうしてるんだろう」
そんな言葉が、口をついて出た。
なんだか、お兄さんに対するこういう呼び方も慣れてきた気がする。
最初は、ロマさんに対する気遣いで始めたんだけど。
「北の情勢に関しては、姉さまのほうが詳細に把握しておられるでしょうけれど」
前置きして、ロマさんは言う。
「――北洋帝国が動き出すとすれば、それは帝国統一に向けた軍事行動のため、でしょう」
「そうだね。もちろん壊滅的な打撃を受けた農地の再整備のためにも、この季節に軍を動かすことは考えにくいけど、彼らの意識が国内に向かうのは間違いないかな」
「と、いうことは、兄さまも戻れる……というわけには、いかないのですね」
わたしの顔を見て察したのか、ロマさんが肩を落とす。
お兄さんが戻ってきてくれたら、わたしとしても心強いんだけど。
「そうだね。現在、北国街道は、空前の賑わいを見せている。これは、日輪の王国の心臓である王都から、復興途上の低地両邦へとあらゆる物資を送り出す動脈の役目を果たしているからだね」
順を追って説明する。
「復興のための物資を、低地両邦で吸い上げているのが、低地総督軍であり、陛下たちの親征軍なんだ。いま陛下たちが帰還すると、その分吸い上げる量が減る――北国街道の活気に水を指す結果になってしまうからね。もう少し……船の邦の居留地に、十分な都市機能が備われば、こんな心配をしなくていいんだけど」
王都を中核として、各地から集まった物資を吸い上げるだけの体力が、いまの低地両邦にはない。
王と親征軍という外付け装置を、いま外すわけにはいかないのだ。
――お兄さんはここまでわかってたんだろうか。
そう、ふと思う。
それとも思わぬ効果の強さに、帰るに帰れなくなったのか。
さすがに後者じゃないかとは思う。
そこまで計算通りだというのなら、わたしの能力を過大評価し過ぎだ。あと王宮をもっと大きくしておいてほしかった。切実に。
「姉様。なんとか……こちらから打てる手で、兄様を早くお戻しすることはできませんか?」
「……だめですね。陛下を戻すなら、どうしても王族を代わりに送らなきゃ箔が落ちます。この場合わたしかフィフィくんですね」
お兄さんの一族は、先の大乱で死にすぎた。
お兄さんとフィフィくんと、ロマさん。もう、これだけしかいない。
フィフィくんの教育係、シャペローさんも、遠い親族ではあるのだが、遠すぎて王族扱いはできない。
「さすがにフィフィを送るわけにはいかないし、姉様が行くならロマも同行しますので、意味がない……」
わたしについていかない、という選択肢が念頭にないロマさんに、なんというか、あったかい気持ちになる。
「まあ、こっちはこっちでやることが多い。とくに、不遇をかこつ領主たちをすくい上げていかなきゃいけないんだから」
冬の間、王宮に来なかった領主たちは要注意だろう。
彼らの情報は、お兄さんとも共有しておくべきかもしれない。
ぽっと出の王妃じゃ無理でも、おなじ乱世を駆けたお兄さんなら救える。そんな場合もあるはずだ。
――帰ってきたら、お兄さんともっと話そう。
北の空を思いながら、心に決める。
たぶん、以前に比べたら、格段に建設的な話ができるようになってるはずだし。
お兄さんと思いを、視野を、未来図を語り合うことができたら、よりよいナニカが見えてくるんじゃないかと思う。
「とはいえ、姉さま。各地の領主に手紙を送るためにも、もっと語彙を増やして修辞を覚えませんと」
「そうだね……」
ロマさんに目先の問題を示されて、肩を落とす。
新米王妃、リュージュ・センダン。
文章力は、成り上がりの領主よりはまし、程度。
まだまだ王妃として、勉強することは多いみたいです。