63 残る者
巨大な男だった。
天を衝く長身であり、全身を鎧う分厚い筋肉のせいで、横にも大きい。
比較対象がなければ実際よりずいぶん低く見えるだろう。隣に人を並べれば、縮尺が狂って見えるかもしれない。
「王都か……ふん、賑わっていてけっこうなことだ」
王都を眼前に望みながら、男はつぶやく。
異様なまでの存在感。そして引き連れる一団のただならぬ雰囲気。
衆目を集めているが、男は意に介さない。
鋭い鷲の瞳を王都に向けている。
「城壁の外に広がってるあばら家の数が半端じゃねえな」
「各地より流れてきた者たちでしょう」
一団の一人。
黒髪の幼い少年が、男の独白に言葉を添えた。
戦乱収まって世は確実に安定に向かっているが、長い戦乱は田畑や産業を痛めつけた。
食い詰めた人間が、食と将来を求めて王都に集まるのは、自明の理だった。
「恐ろしいな」
どこまでも広がるあばら家をながめながら、男がつぶやく。
「父上。なにが恐ろしいのでしょうか」
不審げに問う少年に、男は「ふむ」と唸り。
「流民街の人間も、食わねば死ぬ。だが、流民街は広がり続けている。これだけの人間を食わせる力が、あのクソでけえ街にはあるってことだ」
そう説明する。
大陸の過半を支配する日輪の王国の王都。
とはいえ、永の分裂と戦乱の末、ようやく定まった都だ。
それが、これほどの――おそらく数万規模の流民を抱え込む力を持っているとは、にわかに信じられない。
「はい。さすが英雄王です」
少年の声には、あこがれの色が隠しきれない。
当然か、と男は思う。
この年頃の人間であれば、この広大な王国を再統一した英雄王に、憧れを抱くなと言う方が無理がある。
「……まあ、当の英雄王は、はるか北の空だがな」
分裂し、戦乱の渦中にある北洋帝国に対する抑えとして、英雄王ハーヴィルはいま、日輪の王国北の果て、船の邦に居る。
「いまの王都の主は、白の聖女、ですね」
そう言う少年の声には、どんな感情も含まれていない。
むしろ男の表情に、複雑なものが混じる。
「ああ、皮肉なことにな」
そう、吐き出して。
男は王都に足を向ける。
「さて。白の聖女様に、会いに行くとするか」
◆
宴を定期的に開きながら、地方領主たちの持ち込んできた訴訟や案件をさばく。
そんな作業にも慣れた、冬の終わりのある日。
執務室にやってきた宰相が、新たな客の来訪を知らせてくれた。
「風の邦のヴェーダ領主、ザイン・ザイノフスク」
「ずいぶんと強そうな名前だね」
「強いですな。先の大乱において、地獄の風の邦で戦い抜き、ハーヴィル陛下から旧風の邦の守護を期待されるほどには」
それは……お兄さんにとって最高の評価を得ているっていうんじゃないだろうか。
「それに、王妃殿下にとっても、おそらくは重要になるであろう方ですよ……良くも悪くも、と、言うべきですか」
「ずいぶんと思わせぶりだね――それに、その理由を……どうやらフィフィくんも察してるみたいだね」
フィフィくんに視線を向ける。
ヴェーダ領主ザインの名前が出たとき。
そして宰相の先程の言葉にも、フィフィくんは反応と納得を示した。
「どうだろう。フィフィくん、教えてくれないかな?」
「は、はいっ! 宰相閣下、説明させていただきますので、間違った所があれば教えて下さい!」
緊張しながらそう言って、フィフィくんは説明を始めた。
「まず、ザイン様の先祖は白の聖女サンダース様に扶育された方なんです」
「なるほど、陛下やフィフィくんのご先祖様とおなじ境遇だったと」
日輪の王国建国後、白の聖女は建国王ホーフの庶子を養育している。
これが後に風の邦の領邦君主になるわけだから、一緒に育てられた彼の祖先は、さしずめ幹部候補といったところか。
「はい。成長してからは領邦君主の右腕として活躍し、子孫は大臣や将軍として風の邦で権勢を誇ってました……継承戦争の頃に、没落して一族もバラバラになっちゃったみたいですけど」
400年だもんなあ。
そりゃ没落もするだろう。
途絶えずに残ってるだけでも正直すごいと思う。
「――ただ、それで辺境に流れていたのがよかったのか、風の邦の滅亡に巻き込まれずに済んだんです。逆に、流れてきた人たちを集めて一つの勢力を築いて、陛下のもとに駆けつけてくれたんです」
「……ありがとう、フィフィくん。それは、良くも悪くも重要な人、だね」
白の聖女と縁の深い、しかも武人だ。
もちろん、仲良く出来れば、非常に頼もしい存在なんだけど……
先代白の聖女と違って、武人じゃないわたしに、拒否感を示す可能性もある。
宰相からの補足はない。
フィフィくんの説明に、過不足はなかったってことか。
――なかなか、会うのに心構えが要る人らしい。
書斎の椅子に体重を預け、深く息をつく。
「……さて、仲良く出来ればいいんですけどね」
◆
ヴェーダ領主ザイン・ザイノフスクとの面会の場を設けたのは、報せを受けてから、しばらくしてのことだった。
それほど待たさず会えたのは、他ならぬわたしと縁深い人間だからだろうか。
場所は、王宮の一室。
白の聖女絡みの、デリケートな話になる可能性を考慮して、謁見の間を避けたのだ。
面会の場に姿を現したのは、黒髪の、巌のごとき巨漢と……息子なのだろう。同じ色の髪を持つ幼い少年。
ザイン・ザイノフスクとその嫡男だと、紹介された。
しまった。
フィフィくんを連れてくればよかった。
と、ちょっと後悔。
一方、わたしの姿を認めて、巨漢はほんの少し、眉を動かした。
少年のほうは、驚きを隠そうともしない。
たぶん、伝承にある白の聖女と瓜二つの姿に、驚いているのだろう。
「王妃殿下。まずは遅参の無礼を詫びるとともに、我が王ハーヴィル陛下との結婚を、息子ともども祝わせていただく」
何事もなかったように、巨漢は礼を示す。
圧倒されるような偉丈夫だが、所作は堂々としたもので、洗練すら感じる。
「いえ。陛下の祖国を守る重責を担って居られるのです。誰が責められましょう」
「ご厚意、まことにかたじけなく存じます」
巨漢は頭を下げた。
「風の邦では、なにかご不便はございませんか?」
「なにぶん焦土と化した地。難儀はあれど、それを解決するのが領主の務めと存じております」
うーん。そっけないというか、なかなか胸襟を開いてくれない。
まあ領主視点、権限を維持するためには、王室に頼りきるのも問題だし、彼の態度もわからなくもないけど。
「頼もしい限りです。なにかお困りのことがあれば、遠慮なく仰ってくださいね」
「そうですな。困ったこと、ではありませんが……すこしお尋ねしてよろしいか」
「ええ。なんなりと」
白の聖女絡みか、と身構えながら、巨漢から投げかけられた言葉を真正面に返す。
「ここに来るまでに、賑わう街道を見た。人と物の集う王都を見た。秩序と活気のある王宮を見た。先の大戦のころからは考えられない、まるで見知らぬ世界のようでした」
なるほど。
縁の深い相手だ。
あちらはあちらで、色々と調べて来たらしい。
「お尋ねしたいのは、王妃殿下。あなたがなにを望み、なにを目指しているか、です」
ここでこんな質問が出てくるってことは、この人、かなり先まで見えてる人なんだろう。
お兄さんが信頼するだけのことはある。
だけど、質問の答えは、わたしの中ですでに定まっている。
だから語る。迷うことなく。
「より多くのものが、平和を享受できる世を」
世は、平和に向かっている。
わたしが。王様や家臣たちが。国のみんなが。
望んで、その方向に向かおうとしている。
だから、わたしがやるべきは。
「――目指すは、一人でも多く、掬い取ることを」
フィフィくんや、彼の息子さん。
次の世代の生きる世を、よりよきものにするためにも。
◆
謁見が終わり、親子は退出した。
広間の喧騒を背に、あてがわれた部屋に戻ってから、息子が父に尋ねた。
「よろしかったのですか、父上。白の聖女のことで、王妃殿下に尋ねるべきことがあったのでは?」
「ああ。だったんだがな――その気が失せた」
吐き捨てるような言い方に、少年は不審げに眉をひそめる。
「会って話してわかった。俺とあいつは別の生き物だ」
巨漢の将は鋭く断じた。
「――考えの根っこの部分が根本的に別物だ。戦なんざ俺からしたら息をするようなもんだが、あいつはそれを必要としていない。その価値観で、この国を塗り変えようとしている……これがどういうことだかわかるか?」
父の言葉に、息子は首を横に振る。
「――俺と、そこらのぼんくらが等価値になるってことだよ」
考えてもみろ、と男は語る。
武功で身を立てた男が戦を奪われて、なにが残るというのか。
「翼を折られた鳥のようなものだ。しかも、しかもだ。度し難いことにあいつは、そんな哀れな鳥たちを、救ってくださるという。空も飛べぬ鳥を、一生懸命飼ってくれるとさ……鳥の言葉を代弁しようか? ――『ふざけるな』だ」
「……ならば、どうしますか」
破滅を予感してか、少年の表情が、悲壮なものに変わっている。
「お前は王都に残れ。あの王妃なら、悪いようにはせんだろうさ。王子は同年代だ、せいぜい仲良くしておけ。気が向きゃ王妃が本物かどうか、試すのもいいだろうさ」
「父上は」
少年の問いに、男は強く、強く、拳を握り込み、言った。
「決まっている。あいつが俺に陸を這う生き物になれと言うのなら……同じ選択を、叩きつけてやるだけだ」