60 街道
さて、皆さま。
道、と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか。
日常に存在する、身の回りの道路。剣道柔道、あるいは書道や華道など。あるいは中国の、道の教えなどを思い浮かべる方も、いらっしゃるかもしれません。
わたしが思い浮かべるのは、王の道です。
ペルシア帝国の広大な版図を、迅速に移動するために敷かれたこの道は、ローマ帝国にも継承され、使用され続けました。
「学問に王道なし」の「王道」としても有名ですが……王妃としての在り方にも、だれか王の道を整備してくれないか、と思う今日このごろです。
といった戯言はともかく。
暖かな冬を迎えた花の宮殿ですが、その暖かさゆえか、のんびりと冬ごもりも出来ません。
今日も今日とて政務に勤しむ毎日。
といっても、海の邦や銀の王国の一件のような、大きな問題も、そうそう起こらない。
むしろ各地の治安に、世紀末からの脱却の兆しも見られて、政に携わる一員として、喜ばしい限りだ。
特に顕著なのが、主要街道の治安改善。
きっかけは、お兄さん――ハーディル王の北征。
王自ら率いる軍の行進だ。
行軍、補給路の安全については最大限の力が注がれた。
その結果、低地両邦へ続く北国街道の治安は劇的に改善される。
これによって、北征に関係ない一般の商業活動も活発化し、街道沿いの都市がにわかに潤った。
治安維持は儲かる。
近在野盗と手を組んで、上がりをかすめ取るよりよほど。
その実例をまざまざと見せつけられ、中央からは、治安を改善するよう圧力をかけられる。
「ここらが潮時か」と見切りをつけた領主の多さが、全国的な街道の治安改善につながっている。
「詐術の類だけどね」
「詐術、ですか?」
わたしのつぶやきを聞きつけた、補佐役のフィフィくんが首を傾けた。
「うん。全国的な治安改善のきっかけとなった、北国街道の発展。これを意図してやったとしたら、の話だけど」
お勉強モードになったのを察して、宰相閣下は報告を中断し、「面白そうな話が始まった」とばかりに大将軍が寄ってきた。宰相に睨まれて逃げた。
「……北国街道が活気づいたのは、陛下の北征の恩恵が大きくて、他が真似してもそんなに効果がないってことですか?」
しばし考えてから、フィフィくんは自分の考えを述べる。
「うん。正しい。ただし、北征そのものの恩恵は、決して大きくはないと思う」
「どういうことですか?」
謎掛けのような言い方になってしまったせいか、フィフィくんが首を傾ける。かわいい。
「――王国南部の物資と富が集まる王都と、復興の途中でありとあらゆるものが足りない低地領邦を繋いだこと、が、大きいんじゃないですかねえ」
と、口を挟んだのは、舞い戻ってきた大将軍だ。
さすが大将軍。本質をついている。
「加えて言うなら、北国街道が、大軍を滞りなく進行させる大きな街道であり、隊商や行商人の、大量の往来を受け入れる余地があったこと。滞っていた陸の流通路をこじ開けた最初の一例であったことによる恩恵が大きい」
「他の場所でも、街道の安全が確保できれば、人も物も動く。それによって潤いもする。けど、北国街道ほどは無理で、だから北国街道に続けって思わせたのは、詐術だってことですか?」
「そういうことだね」
多くの領主にとって、北国街道の隆盛は魅力的すぎる夢幻だ。
だけど、街道の安全が程度確保できれば、人も物も動く。それによって潤うのは確かで。
条件に恵まれた領主が努力すれば、北国街道の夢を現実のものにすることも、あるいは可能だろう。
だけど、それはあくまで条件に恵まれた領主であればの話だ。
主要街道から外れた、これといった産物もない僻地の領主が努力の正当な対価を得られるかというと、疑問だ。
そうなると、明確に勝ち組負け組が……
「……?」
考えを進めていて、違和感を覚える。
北国街道に関する報告を思い返す。
この現象が行き着く先を、官僚たちが予想しないはずがない。
だったら、彼らが見据えているのは、行き着く先の、さらに先。
「――宰相閣下。北国街道の件、わたしは別の思惑も絡んでいるように思います。そのために、時の流れを早めようとしている人間が居るのではありませんか?」
わたしの問いに、宰相は「ふむ」とうなずく。
「と、待ってください。宰相閣下にはそれで通じるんでしょうが、拙にはさっぱりわかりやせん。よければ順を追って説明して欲しいんですがね」
頭をかきながら大将軍が言うと、フィフィくんもこくこくとうなずいた。
しまった。勝手に思考を進めて置いてけぼりにしちゃってた。
「北国街道が潤ったのをきっかけに、全国の治安が改善されてきてる。これは歓迎すべきことだけど……フィフィくん、その後、どうなると思う?」
「その後、ですか……」
フィフィくんはしばし、頭を悩ませて。
「治安が良くなったことで潤うのなら、戦で解決って方法をためらうようになる?」
「うん。半分、正解」
「もう半分は、王妃殿下。治安が良くなっても儲からない奴らの話ですかい?」
フィフィくんの不足を補うように、大将軍が質問してきた。
「その通り」
荒廃する東方国家群への流通路にして、先の大戦でも国土を守りきった湖の邦。
その重要な友邦として、極めて密接な関係にある剣の邦。
大河や海の恩恵に預かる海の邦や深き森の邦、風の邦。
そして北国街道が通る旧黄金の邦、旧草原の邦。
きわめて大きく括るなら、いずれも大きな恩恵を受ける潜在力を持つ。
だが、群小領主レベルの話になれば?
主要街道から離れすぎて、恩恵に預かれない領主も出るだろう。
そこに勝ち組と負け組が生まれるのは、必然じゃないだろうか。
「勝ち組と負け組は、否応なしに反目する。いわばこれは、分断策。不穏にして中央の力を必要としない独立領主の群れの半ばを、平和を望む勢力に塗り替える。この国が潜在的に抱えていた反乱の連鎖爆破の危険を、大幅に緩和させる目論見がある、と、わたしは踏んだんだけど……」
「明察です」
宰相は、わたしの推論を肯定してから、しかし苦笑を浮かべた。
「ですが、半月早い推論ですな。そのような策を取った場合、必然的に負け組に塗り分けられた一方の反感は高まり――規模は小さくなろうと、反乱の危険自体は高まる。その想定と対策について、現在議論が為されている最中です。近いうちに裁可をいただく予定で、北国街道の件を報告したのですが……見抜かれてしまいましたな」
「いえ、変に勘ぐってしまって、お恥ずかしいです」
うわあ。
間違ってたわけじゃないけど、したり顔で解説しといてこれは、恥ずかしすぎる。
「……しかし、だとすれば、難しい」
「そうですな。策とは申しましたが、実際は避け得ぬ破綻をどう捌くか、という話でしかありません」
宰相の言うとおりだ。
北国街道の劇的な復興をきっかけに起こった大きな潮流は、人為では止められないほど大きいもので、しかも好ましい――日輪の王国にとっては、最善に近い妙手と言っても良い。
「ですが、はたして今以上に時を進める必要はあるのでしょうか。陛下が王宮に不在の折、早期に反乱を起こさせるのは、危険ではありませんか?」
官僚たちの意図は明白だろう。
地方の有力領主にわざと反乱を起こさせて、これを潰す。
それは集権のためには、好ましいことなのかもしれないが……お兄さんが北に在る現状で押し進めるには、リスクが大きすぎるように思える。
「いや……これは、大将軍として意見させていただきますが、現状、小規模な反乱は怖くありませんな」
と、大将軍が手を上げて意見する。
「本当に怖いのは、国内の反乱が国内の領邦や諸外国の侵攻と連携した場合ですが……王妃殿下のおかげもあって、その危険はほとんど無いでしょう」
王国南部の領邦――海の邦と深き森の邦は領邦君主自ら王宮に留まっている。
南の隣国銀の王国も同様に王子が滞在しており、なにより法王に聖女と認められたわたしの存在が、経典同盟諸国から、敵対する大義名分を奪っている。
湖の邦はもとより交易立国であり、東方国家群が荒れている以上、もう一方の出口である日輪の王国本国が荒れることを望まないだろう。
そして分裂状態にある北洋帝国に対しては、お兄さんが船の邦に在って睨みを効かせている。
……なんだか官僚たちの強気の半分くらいは、わたしが原因な気がしてきた。
「なるほど……であれば、皆には、起こりうる全ての事態の想定と、その準備を」
宰相と大将軍。
政治と軍事を担う二人に、そう命じてから、わたしは宣言する。
「わたしは、わたしに出来ることを――やりましょう」
◆
「で、王妃様は、いったいなにをなさるつもりなんです?」
王宮の一室。
静かに茶を喫しながら、法典皇国出身の男装の麗人、ユラさんが尋ねる。
人づてに一連の話を聞いて、興味をいだいたのか、それとも一官僚としてわたしの意図を知っておきたかったのか。
「ユラ。この国は、急速に安定に向かっている。でも、その流れが早すぎて、振り落とされていく人間も居る。わたしたちは、それすら利用しようとしている」
でも、と、わたしは言葉を続ける。
「――振り落とされ、あがく人間を、待ってましたと叩く。その行為が、振り落とされるかもしれない人間の目に、どう映るだろうか。そう考えると……わたしは、日輪の王国の王妃として、この国を支える執政として、示すべきだと思うんだ。振り落とされようとしている人間に、君たちを見捨てたりはしないという意思を」
「騙して、利用して、捨てたのだと恨まれても、ですか」
「そうだね。これは、振り落とされた人間から、反乱という選択肢すら奪う悪魔の策略なのかもしれない。でも、それで本来振り落とされるはずの人間を、少しでも多くすくい取れるなら……わたしの職分の中でそれが出来るなら、やるべきだと思ってる」
試すようなユラさんの問いに、そう答える。
「……あなたは、つくづく興味深い人だ」
しみじみと、男装の麗人は言った。
「天下に類のない権力者であるはずなのに、誰よりも弱者の心を知っている。またそのことが力になっている」
称賛でもなく非難でもなく、言葉通りただ興味深げに、彼女はつぶやく。
ここには居ない誰かと比べているような、そんな様子だった。