57 巾幗英雄
さて、皆さま。
巾幗英雄、という言葉をご存知でしょうか。
巾幗とは、中国で用いられる女性用の頭巾、髪飾りのことで、転じて女性を指す。
つまりは、女性の英雄を指す言葉である。
その代名詞として語られる、老病の父に代わり、男装して従軍した木蘭。
あるいは春秋の覇者、越王勾践の兵を鍛えた伝説的女武芸者、南林越女。
女性としては異例中の異例とも言える、正史の列伝に名を連ねられた明の名将、秦良玉。
またその名を冠さずとも、世界には巾幗英雄の呼び名に相応しい女傑が数多ある。
それはもちろん、こちらの世界でも同じ。
代表とも言える、白の聖女を始めとして、この世界にも英雄と謳われる女性が数多く居る。
そして、乱あるところに英雄あり。
先の未曾有の大乱の中でも、巾幗英雄と呼ばれるべき女性は、存在した。
というか、現在進行系で存在してるんだけど。
◆
「ヒャッハー! アネさん、おはようだぜー!」
「今日もいい飲み日和だぜー!」
「おはよう板の人!」
朝。花の宮殿。
階段を降り、広間に出ると、日常風景が広がっている。
海の邦の領邦君主・リオンさんや教育係のシャペローさんといった不定期組も居ない、純粋にいつものメンバー。
と。
その中に、見慣れない人が混じっていた。
年の頃は、二十半ばくらいか。浅黒い顔の美男子。
広間の柱に背を持たれ掛けさせ、うつらうつらと眠っている。そんな姿すら絵になるっている。
ヒャッハーたちも気にしてないし、身内の人なんだろうけど、見覚えのない人だ。
「姉さま。先に執務室に行っていただいてよろしいですか? わたくしちょっと始末しなくてはいけない人間がおりますので」
「え、いや、あの、そこの人」
「まあまあ、どうぞお先に」
ものすごくいい笑顔で背中を押してくるロマさん。
断れそうにない圧力に、わたしは従うしかなかったのである。悪気はないんだし、程々にね。
――見慣れない彼は気になるけど、あとでみんなに紹介してもらおうかな。
そんな事を考えながら、わたしはヒャッハー(巨乳派)の抗議と悲鳴の声を聞きながら、執務室に向かった。
◆
その日の昼。
昼食のため、私室に戻る途中、広間を通りがかって。
そこで見たのは、いつもどおりの宴会風景……ではない。
30過ぎの金髪美女――フェリア領主夫人、アルヌ・ゴッタルドさんが、今朝の褐色の美男子をぶっ倒してる姿だった。
「なにやってるの!?」
思わずうろたえた声を上げてしまったけど、さすがに許される場面だろう。
わたしの声に、夫人は優雅に振り返って、こちらに向かって一礼する。
「これは、王妃殿下。ご機嫌麗しゅう。見苦しいところをお見せしてしまって……お恥ずかしいですわ」
いや、頬を赤らめる場面じゃないよね?
お恥ずかしいってより、ひと喧嘩済ましましたって場面だよね?
「王妃様のお手を煩わせるまでもございません。不審者が居りましたので、ぶっ飛ばしただけですわ」
「不審者……てっきりここの王臣だと思ってたけど、違ったの?」
「いえ。少なくともわたくしは見たことがございません。なので手っ取り早く尋問しましょうか。王妃様にはお恥ずかしいところをお見せしますが」
やっぱりお恥ずかしいところの認識がズレてる気がする。
「それは、勘弁願いたいねえ」
と、透き通った声。
同時に男の体が跳ね上がる。
バネじかけのおもちゃのような、非人間的な動きに、一瞬、認識が遅れる。
そして、男が跳ね起きたと理解したときには……彼は、地に倒れ伏していた。
アルヌさんが、これまた非人間めいた機敏な動きで、飛び退る男の体に踵を叩き込んだのだ。
「お恥ずかしい。王宮ぐらしが続くと、どうにもなまってしまって仕方ありませんわね」
照れくさそうに言うけど、まじで何者なのこの人。
「アルヌ様は、尚武の気風を持つ剣の邦の有力領主の娘。先の大乱でも最前線で戦っておられた方ですわ」
ロマさんが説明してくれる。
いや、一応知識としては知ってるんだけど、美麗な容姿に似合わないトンデモ体術を見せられると、何者だって感想しか出てこないと言うか。
「まったく。不審者の侵入を許すなんて、あなた方もだらしがないですわね。そんなことで姉さま――王妃殿下をお守りできると思っているのですか?」
「だってよお。そこはしかたないっつーか」
ロマさんが皮肉ると、ヒャッハーたちは歯切れ悪く頭をかく。
たしかに、らしくない。
こう見えて、ヒャッハーたちはかなり鋭い。
敵と見れば、即座にとっ捕まえるくらいのことは、できそうなのだけど……アルヌさんの早とちりで、バッチリ関係者だったりしないよね?
「あいつ普通に絡んできたし」
「後ろめたさとかなかったし」
「いっしょに飲む酒が美味かったし」
「――ちょん切るわよ」
アルヌさんの言葉に、ヒャッハーたちが悲鳴を上げた。
物騒すぎますアルヌさん。
◆
ともあれ。ひとまず拘束して尋問することになった。
アルヌさんに任せると、問答無用で指や歯が無くなりそうだったので、行きがかり上、わたしが自ら尋問役を買って出た。
「あらためて、尋ねましょうか。君は何者?」
「名前はユラ。年は26だね。出身は法典皇国だが、経典教徒だ」
微動だにできなくなった褐色の青年は、涼しげに答えた。
いや、さらっと言われたけど、法典皇国て。
この大陸の南。
半内海を挟んだ先の大陸に存在する、異教の大国だ。
かの国の侵略に対抗するために、経典教国家が教皇の名の下、同盟を組んだのが、経典同盟の始まりだったか。
日輪の王国は、経典教の戒律がゆるゆるなほうだけど、それでもおいそれと名を出せる国ではない。
「わざわざそれ言っちゃう? そう言われると、こちらも警戒の度合を上げなきゃいけないんだけど」
「どうせ調べればわかることさ。探られて痛いところがない……とは言わないが、無用な尋問は御免被りたいからな」
「なんというか……変わってるね」
「変わり者だとは言われてるよ」
あきれ混じりに言うと、褐色の美男子――ユラは笑う。
透明で、感情の読めない笑みだ。
ふにゃふにゃに柔らかすぎて、とらえどころがないというか。
強いて言うなら大将軍やリオン・マレアに近しいものを感じるけど、それとも微妙に違う。見たこと無いタイプの人だ。
「ここに来た目的は?」
「貴方様に興味があったから、ですかね。王妃殿下」
「処刑ですね」
ロマさん、後ろからこそっと物騒なこと言わないでください。
「真面目に答える気がないなら首を落としますわよ」
アルヌさんは本気で物騒すぎます。
躊躇なく実行しそうなあたり特に。
「……困ったな。本当に興味があったからなんだ。少なくとも、最も強い動機はそれだ。正体のわからない、しかし時代を動かす才女。どんな人間なのか、ぜひとも知りたい。出来れば、直接話してみたい。その思いがあって、ここに来たんだ……あ、一応、正門までは正規の手続きを踏んでます。不審者には違いないし、尋問も仕方ないと思うけど、念のため」
「こいつ飲んでるときも、姐さんの話楽しそうに聞いてたぜー!」
「姐さん好きなやつに悪いやつはいないぜー!」
「ママー!」
脈絡のないママ呼ばわりはやめて。
というのは、ひとまずさておいて。
わたしはユラに尋ねる。
「知って、話してみて、どう思いました?」
青年は、まっすぐにこちらを見つめる。
中性的で、透明な。
驚くほど整った顔を、笑みで崩して、彼は言った。
「僕は、強い女性に興味がある」
いきなり興味の対象から外された気がする。
というわたしの感想を読み取ったのか、彼は苦笑を浮かべた。
「武芸だけじゃない。政治や商売で世に才能を示す女性と会いたい。そして語らいたい。そういう意味では――そちらのご婦人にも、興味はあるかな」
青年は、そう言ってアルヌさんに視線を流す。
まじですか。
ちょん切り淑女に興味あるとか勇者すぎるでしょ。
「そう言われると、悪い気はしませんわね」
あれ、いつもみたいに「ちょん切りますわよ」とか言わないのか。意外。
「でも、やっぱり一番興味深いのはあなただ。王妃様。同じ女性として、あなたの在り方には興味が尽きない」
「え?」
と、思わず声を上げる。
この美青年、いまなんと言ったか。
――同じ女として。
ということは。
ひょっとしてこの人って。
「王妃様。この不審者が男なら、真っ先にちょん切っておりますわ」
アルヌさんの言葉に、ものすごく納得してしまった。
「王妃様よお、こいつ女の子なんだぜー」
と、ヒャッハーたちまでそんな事を言う。
「え、君たちにもバレてたのか。ちょっと意外だ」
「そりゃあなあ」
「むしろなんで姐さんがわからなかったのか、それがわかんねえよ」
「サラシで隠しててもわかる。板とは違うのだよ板とは」
あ、ひょっとして取り押さえるのためらってたの、害意がなかった上に女だったからなのか。
相変わらず変なところで鋭いけど、女性への妙な遠慮は何なの君たち。男子校生か。わたしもそうでした。気持ちはちょっとわかる。
「あらためて、自己紹介させてもらうよ。ユラ。家名はない。法典皇国出身の26歳。そして……王妃殿下にお仕えしたく、馳せ参じた次第だ」
そう言って。
美男子あらため男装の美人は、拘束された体を揺すってから。
困ったように、「懐に紹介状が入っているので、確認してほしい」と話した。