56 日輪の王妃
我が朋友よ。
国を離れてもう3年になるが、君は元気にしているだろうか。
海を隔てたこの地でも、君の悪名は轟いているのだが、君が嫁をもらったという話はついぞ聞かないぞ。
そろそろいい年なんだから、身を固めて皆を安心させてやったらどうだ。本業にも差し障りが出ているだろうに。
まあ、いまさら分別臭い説教をするつもりはない。
それは側にいるであろう爺さんたちに任せておくさ。
それより、いま、君には知りたいことがあるはずだ。
わかっているとも。女のことだろう――おっと、手紙を破るなよ?
女。
それも北の大陸の――と聞いて、思い浮かべる人間が居るはずだ。
そうだ、日輪の王国の王妃のことだよ。
こっちでは、彼女の話を聞かない日はないってくらいだ。
そちらでもうわさにはなってるだろうし、君も気になっているだろう。だから、教えてやろう。
身上定かならぬ身で王妃に迎えられ、教皇に聖女と認められ、王不在の王国の執政として、存分に腕を振るう、正体不明の美姫のことを。
◆
王妃の名は、リュージュ・センダンという。
この名は、すでに耳に入ってるかもしれないが、こちらでもまず聞かない姓だってことは、付け加えておこう。
その素性は……不明だ。
すまん。本腰入れて調べたんだけどな。
輿入れ前に、王国の聖地にある、王室伝来の館に住んでたとこまでしか辿れなかった。それ以前はお手上げだ。
親も、兄弟もわからない。
王宮はおろか、王国のどこにも存在しない。
目的はわからんが、素性を徹底的に消されてる。
理由は……推測になるんだが、彼女の容姿と関係してるんじゃないかと思う。
――絹糸そのもののような美しい白髪に、青玉のごとき瞳。白真珠のように白い肌の美姫。
まず聞かない、そんな容姿を持つ人間が、過去に居た。
白の聖女。日輪の王国をうち建てた建国王ホーフを将として支えた異色の聖女だ。
王妃は白の聖女の再来だと、日輪の王国は謳っている。
白の聖女の容姿に合致するからこそ、彼女は王妃に選ばれたんじゃないか、と、勘ぐっている。
目的は、一応考えられる。
再統一の英雄、ハーヴィル王の出身である風の邦は、白の聖女に扶育された建国王ホーフの庶子が入った領邦だ。
その出自と、建国神話を強く想起させる、白の聖女を妻にすることは、王の権威を高めるのは間違いない。
ただ、それなら、他国の王族を娶っても十分に目的を果たせるはずだ。
君じゃないんだから、日輪の英雄王が、嫁の来手に困ってるわけでなし。
わざわざ、素性を消されても問題ない程度の家柄の娘を、白の聖女に仕立て上げる、なんてリスクを犯す理由としては、微妙だって気がするよな。
あんがい、一目惚れして、なんて線も……さすがにそりゃないか。
まあ、王妃の素性についてわかったのは、この程度。
期待はずれかもしれないが、それくらい徹底的に素性が消されてるって事実を、考察の材料にしてくれ。
次に、ここからが本題だ。
君が本当に求めている――王妃の人柄や能力について、伝えよう。
さっきも言った通り、王妃の素性はわからない。
ってことはだ。親兄弟、一族。そういった信用できる血縁が無いってことだ。
だってのに、王妃は執政として、王不在の王国を、立派に運営できている。傀儡でもなんでもなしにだ。
それがどれほど無茶なことか、ひょっとして君にはピンとこないかもしれない。
だからあらためて、断言しよう。
こんな芸当ができるのは、王族の子女か、それに準ずる人間――生まれたときから王妃としての教育を施されて来た人間だけだ。
繰り返すが、彼女は消されても問題ない程度の素性の人間なんだ。しかも若い。まだ16か17だって話だ。正体不明にもほどがある。
もちろん、王妃も無手で政務を取り回してるわけじゃない。
現在王妃が政務を取り得る根拠ってのは、厳然と存在している。
政治を後見する有力な後ろ盾。
身辺の安全を保証する強力な武力。
正当性を保証する絶対的な大義名分。
後ろ盾は、王国宰相、オービス・クライスト・ジーザスター。
こいつが王妃の庇護者――まあ義理の父のようなものだな――として後見している。
知ってるだろうが、北の大陸に名高い名士で、その人脈の広さと見識には定評のある傑物だ。
武力は、日輪の王国再興の功将たち。
正確には、彼らの中で、領地を治める素養を持たない。あるいは庶民出身で治める手数すら足りないって連中だ。
俸給を貰って王宮で飼い殺されていたそいつらを、どうも王妃はまとめあげて、直属の親衛隊に仕立て上げたらしい。
そっちでいう子飼い兵団の構成員が、全員功成り名遂げた歴戦の将だってんだから剛毅な話だ。
そして最後に、大義名分。
経典教の教皇が、王妃を聖女だと認定している。
北の大陸――特に南部の方じゃあ教皇の影響力はかなり強い。そいつの聖女認定だ。
勘ぐっちまうと、王国の早期安定を望むハーヴィル王と教皇が示し合わせたんだろうが……王妃のあらゆる行為に大義名分を与えたようなものだ。
と、ここまで聞いたら、君は思うだろう。
うらやましいことだ。
そこまで恵まれていたなら、相当の無茶だって通せる。
王妃の執政で王国が安定に向かっているのも納得だ、と。
言っとくが、いま挙げたのは、あくまで根拠、根っこの部分だからな?
使い方を間違えたら、芽吹くこともなく枯れちまう。
枯らさず芽吹かせ、美しい花を咲かせる、なんて真似は、普通の人間にゃできないんだよ。
その点、王妃は問題なくこなしている。
なぜそこまでわかるかって? 王妃が執政となって以降、政策に、それ以前とははっきり違う、別の色が混じってきている。
王妃の色であり、王妃の意思。
それを一言で表するなら――「融和」だ。
海の邦の不穏も。
銀の王国への対応も。
他の領邦に対しても、種々の政策に関しても。
王妃には、敵対勢力や異分子を排除しようって意思が、まるで見えない。
ハーヴィル王には養子が居るんだが、王妃はこれも迷いなく嫡子扱いしている。
そもそも、王妃が抱えてる功将達にしたって、もともとは王宮の風紀を乱す荷厄介な存在だ。
王妃は異分子を切り捨てず、抱え続けて、それを上手く使いこなしている。
「――異教の民を子飼いとする」
そちらの専売特許の、上質な模倣者なのかもしれねえが、そうすると、ますます王妃の正体が見えなくなるのが困りものだ。
案外、白の聖女の再来、ってのは、本当なのかもしれねえな。
それも、戦の化身だった先代とはまったく異質の才を持った、だ。
平和の化身、みたいな存在だったら、君もうれしいんじゃないか?
長々と語ってしまったな。
君がさぞかし気を揉んでるだろうなと思ったら、つい熱が入った。
じゃあな朋友。
君の拓く道の先に幸いあらんことを、異教の地から祈ってるぜ。
◆
巨人の石工が造り、小人の芸術家が細工を施した。
荘厳さ、装飾の細緻さを評して、そう謳われる、白亜の宮殿。
その中心。巨人の玉座に座る少壮の男は、手に持つ紙に目を落としながら、ため息をついた。
「――陛下」
「宰相よ。父の如き人よ。この手紙に、君はすでに目を通したろう。どう思う?」
気遣わしげに声をかけた初老の男に、男は問いを返す。
宰相は、その問を、あらかじめ予想していたのだろう。よどみなく返答する。
「彼の国の王妃に関して、一つの見識であるかと。我々が得た情報とも矛盾いたしません」
「だろうね。難儀なことだ」
「難儀……ふむ。彼の王妃の政策が融和的であるとしたら、我らは難儀いたしますか」
男の言いように、宰相は問うた。
表情に不理解の色はない。主の意図を完全に把握しているかのような落ち着きぶりで。
だから問答は、ただの儀式なのだろう。
年若い家臣に理解させる。そして男本人が己の意思を再確認する。
「王妃の行いは、国内を安定させるだろう。それは、彼の国が、他国に目を向ける余力を得るということだ。事実、王は北へと動座し、北洋帝国に目を向けている。王妃が居なければ、おそらく実行し得なかったことだな」
「最強の盾を手に入れた男は、自ずから戦場に立とうとする。ですか」
宰相が故事を引用してうなずくと、男もまた、うなずいた。
「その通りだ。本人が望まずとも、自ずとそれは求められるだろう。願わくは、彼女の目指す融和が、より大きなものであって欲しいものだ」
「誰もが、陛下のように広大無辺な慈悲の心を持つわけではありません」
宰相の言葉に、男は頭を振った。
「余が持っているのは慈悲ではなく野心だよ。平和のため。そう称して、随分と血を流してきた。余のもとを去った者も居た。そんな人間が、まだ余を友と呼んでくれる。ありがたいことだ」
答えを必要としないと、知っているからだろう。
感傷に満ちた男の言に、宰相はなにも答えなかった。
「――さて、北の聖女殿よ。融和を望む君が、この先どのような道を歩むか。海を隔てた地より、見極めさせてもらおうか」
法典を奉じる異教の皇帝は独白する。
その瞳は、はるか彼方を見定めている。