55 肖像画
さて、皆さま。
銀の王国との、手打ちの儀式。
そしてレイサム王子との協力を経て、南方の懸念は払拭されたと言っていいでしょう。
手打ちの儀式――銀の王国からの手切れの意思表示を受けて、勝ちの目の消えた海の邦独立派は完全に手仕舞いだろう。
そうなると、海の邦を潰してやろうと画策していた大河十二衆も、容易には手が出せない。こちらから掣肘も入れているから、よけいにだろう。
結果として、カイル・フラフメン――応接役さんも、ようやく帰還の目処がついたということで、たいへんけっこうな事だと思います。
とっさのときに信頼できる人が増えるのは、ものすごーくありがたいし。
頼りにさせていただきます。
ともあれ、南方は当面小康を保つことだろう。
わたしたちが居る王都も、領邦を除く王領の南端近くにあるので、ここの安全は非常にありがたいことです。
そうなると、残る懸念は北方で頑張ってるお兄さん――ハーヴィル王のことで。
今日は王様を元気づけるために、わたしたちにできることをする予定なのです。
まあ、お兄さんに送る絵の、モデルになるだけなんですけどね。
◆
美しい絵だ。
光を受けて輝く髪。
儚さのなかに、力強い生命力を感じさせる美貌。
ただそれだけがある、シンプルな肖像画は、だからこそ、人の心を震わせる。
つまり。
フィフィくん。
かわいい。
わたしも一枚ほしい。
部屋に飾るだけで、日常が明るいものになる。
今日も一日頑張ろうって思う、本当にほしい。ほしい。
でもこれはお兄さんのだし。さきにわたしの絵を描いてもらわなきゃだし。
「……でも、お兄さんに送る肖像画、わたしのまで必要ないんじゃないかなあ」
さきにもう一枚、フィフィくんの絵が(わたしに)必要だと思う今日このごろです。
「いやいや、王妃殿下の麗しいお姿を見なければ、陛下も寂しいことでしょう。陛下を元気づけるためにも、ぜひとも元気なお姿を見せて差し上げなくては!」
と、否定したのは、わたしをモデルに画布と格闘する宮廷画家さん――の隣りにいる深き森の邦の芸術家君主、ロッサ・ファロッサ。
「そうですかねえ……いや、いいんですけど……なぜロッサ様が?」
尋ねると、ロッサさんは口の端をぐいっと釣り上げ、答える。
「率直に言って陛下へのご機嫌取りです! 王妃様には色々とご迷惑をおかけしたので、めいっぱいお手伝いいたそうかと!」
おお……まあ、そこまで率直に言い切ってくれると、小気味良いけど。
「――ほれほれ絵師くん、調和が足りておらんよ調和が! 胸は実寸以上に誇張すると、せっかくの完成された造形が崩れるから、盛ればいいってものではないのだよ!」
本当にただのお手伝い?
自分の趣味を満足させようとしてない?
いや、双方満足で調和が取れてたいへんけっこう! とか言いそうだけど。
そして宮廷画家さん、さり気なく胸を盛ろうとしないでください。これ以上盛ってどうするつもりなんですか。
「……調和。ありえません。これで調和しているはずがないあきらかに大きすぎますバランスが崩れてます。本当に完成された造形というのは、わたくし……より、ほんのちょっとだけ大きいくらいがベストなんです……」
そばに控えているロマさんが、呪詛のようにつぶやいてるのが怖い。
あ、聞こえたのかロッサさんと宮廷画家さんが露骨にそっぽを向いた。
ロッサさんは、吹き出しそうになるのを我慢したのかもしれない。肩が震えてる。
「王妃殿下。お疲れになられたら、いつでもお休みになってください」
宮廷画家さんが、ロマさんからの圧を逸らすように提案してくる。
だけど、困った。
わたしは全然疲れていない。
フィフィくんの肖像画を見ていると、無限に元気が湧き出てくる。全然疲れる気がしない。ふふふ。
「……姉さま。先程からお諌めしようかどうか、迷っていたのですが……表情が危険なので、フィンバリー殿下の肖像画を見ながらモデルになるのはお止めくださいまし」
と、人前だからだろう。
取り繕ったようにロマさんが言ってきた。
さっきから色々漏れてたので、取り繕う意味があるのかは疑問だけど。
「え、そんなに危険な表情してた?」
自覚がなかったので、首をひねっていると、宮廷画家さんが「ご心配であれば、一度ご覧になられますか?」と、絵を見せてくれた。
やばかった。
「……え、わたしこんな表情してました? してませんよね? こんなエ――というか、表情変だったら教えて下さいよ」
「このほうが陛下も喜ばれると思いましたので」
わたしが抗議すると、ロッサさんが大真面目に言った。
「喜びませんよ。お兄さん――陛下も、なんかこう、ほやーって笑ってる……こんな感じがいいんじゃないですかね?」
と、お兄さんと寝室に居るときの、緩んだ笑顔を見せる。
なんだかロッサさんの顔がひきつった。
「し、自然で良いかと思いますが、それを描かせたとなると、拙が陛下のご勘気を被る可能性がありますので、ご容赦を」
なぜなのか。
なぜちょっと色っぽい感じの絵は良くて、普通の笑顔はダメなのか。
「部屋に飾る絵です。他人の目に映ることもあるでしょう。仮にも聖女に、そんなほやほやした表情を貼り付けるのは、あまりよろしくないと思いますわ」
ロマさんの意見は、まあ、わかるんだけど……納得いかない。
「いま描いてもらってる絵はいいんですか? これはこれでちょっとやばいと思うんですけれど」
「妖艶、の範疇で、まあよろしいかと」
ロマさんは涼しい顔でそう言った。
「そうですな! 陛下を喜ばせ、陛下の客人を喜ばせ、陛下を私的にも喜ばせる! これぞ調和というものです!」
私的って……
お兄さんが私的に喜ぶのは、フィフィくんの肖像画じゃないかって思うんだけど。
不満が表情に出ていたのか、ロマさんがそっと顔を寄せてくる。
「言わんとするところはわかりますけれど、それを口に出すといろんな方面に差し障る、というか悪質な風評被害が生じますので、うっかり口に出さないよう、注意してください」
……あ、ロッサさんの私的に楽しむって、そっち方面の意味もある可能性があるのか。
それを受けて「お兄さんが私的に喜ぶのは、フィフィくんの絵だよ」なんて言っちゃったら……ヤバい。誤解がヤバい。うっかり口にしなくてよかった。ロマさんありがとう。
「ふふ……朔北の地で、絵画を介して陛下とご家族がそろう。それもまた、美しい……」
わたしたちの話をよそに、ロッサさんが力強くつぶやく。
その、言葉で。
お兄さんに渡す絵に、大事なものが足りていないことに気づいた。
「おふたりとも。わたしの絵が仕上がったあとに、もう一幅、描いていただきたいのですが……」
◆
日輪の王国の、そして大陸の果て。
分厚い冬の雲が天を覆う、旧船の邦首都ホルメスの、王の居城。
王都から送られてきた、三枚の肖像画を検めて、国王ハーヴィルは笑みをこぼした。
「……ふ。ありがたい」
王妃リュージュ。
王子フィンバリー。
そして王妹ロマ。
彼にとって恋しい三人の姿が、そこにあった。
王様「しかし、こんな(誘ってるような)絵を送ってきたリュージュの意図はなんなのか……」




