54 王子レイサム
さて。
レイサム王子の素行を一言で表すならば。
――理想の少年王子。
だろう。
素直でやさしく受け答えも丁寧。
見目も麗しく、まるで絵物語の中の存在だ。
でもやっぱり、かもちゃん的な匂いがするんだよねえ。
すこし探ってみたいところだけど、王子はフィフィくんといつもいっしょなので、やりにくい。
応接役を任せた以上、二人を露骨に引き剥がすわけにも行かないし、どうしたものだろうか……
「獲物を見定めるモノホンの姿……」
そこ、不穏当なこと言わない。
◆
思案の結果、やっぱりレイサム王子に接触することにした。
本当の自分を見せない彼の存在が不安、というのは、もちろんあるんだけど……今回に関しては、純粋に興味が強い。
場所は、王宮の庭。
領邦君主にして当代きっての芸術家、ロッサ・ファロッサが整備した、調和の美を体現した空間。
そこに設えられたお茶席は、庭の中に椅子と机、それにお茶道具をそろえただけのかんたんなものでありながら、居るだけで自分が溶けてしまうような心地よさを感じる。
そんな空間に、迷い込んできた、少年一人。
レイサム王子だ。
フィフィくんは、いっしょじゃない。
お兄さんことハーディル王に送る肖像画を仕上げてしまうため、今日は一日モデルをやってもらってる。
暇をしているところに、このお茶席が目に入って、様子を見に来たのだろう。
正確に言うと、そうなるように水を向けたんだけど。
「こんにちは、レイサム王子」
興味深そうにこちらを見る少年に、声をかける。
「あっ、失礼しました、王妃さま!」
「構いませんよ。ちょうどいい、一服していってくださいな」
恐縮する少年に、そう言って微笑みかけた。
かかった獲物は逃さない。
そんな心境が表情に出ていたのか、そばに控えているロマさんが犯罪者を見るような視線で見てくるけど、わたしは気にしない。
「――レイサム王子。フィフィと仲良くしてくれてありがとう」
お茶菓子を振る舞いながら、少年に声をかける。
猫なで声になったのが悪かったのか、ロマさんから不穏な雰囲気を感じるけど、わたしは無実です。
というのはともかく。
「そんな、フィフィ王子にはお世話になって、こちらこそありがとうって言いたいです!」
両手をぎゅっとにぎりながら主張する王子は、とてもかわいらしい。
かわいらしいのだけど……やっぱり従妹の姿を連想させる。
「そう言ってくれるのは、素直にうれしい。フィフィくんも、あなたと仲良くなれたことを喜んでる。そうやって上手くいっているところを、あえて混ぜ返すなんて、無粋の極みでしょうね」
淹れたてのお茶を供しながら話しかけると、王子は不安を面に出す。
漠然とした不安に怯える、そんな様子ではあるけれど。
「なぜ、なんて無粋なことは言わない。でも、よければ本当の貴方を見せてくれないかな? おたがい、もっと仲良くなるために」
おたがい国を背後に背負った関係。
建前と建前で成立している友好に、「本音は?」と切り込むほど無粋なことはない。
ましてや相手は少年だ。
大人げないし、悪趣味ですらあるだろう。
それでも、予感はあるのだ。この少年とは、もっと仲良くなれそうだ、と。
「――へえ? お望みとあれば、素を出させてもらうぜ」
唐突に、声のトーンが変わった。
声音から幼い甘さが消えて、表情にも強い芯が通る。
「話してみな。素の俺様をお望みってことは、ぶっちゃけて話したいってことだろう?」
いや、ちょっと変わりすぎじゃないだろうか。
猫をかぶるにも限度があるんじゃないだろうか。
戸惑いながらも、平静を装う。
「話が早くて助かるよ……といっても、本音は、完璧な優等生を演じているあなたが、本当はどんな子なのか、興味があるってだけの話なんだけど」
「なんだよ肩透かしだな。てっきり銀の王国の王位を対価に、なにかお願いでもあるもんだと思ってたぜ」
椅子に深く座り直しながら、王子は口の端を釣り上げた。
ああ、なるほど、なるほどね。
この子が日輪の王国に来たのは、アルジェント王の思惑だけでなく、本人の意志でもあった、と。
しかし初手からこんな発想が出てくるあたり、アルジェント王の人柄が偲ばれる。
きっと息子すら信用しない系の野心家なんだろうな
「わたしは銀の王国とは友好的な関係でありたいと思っておりますが、そのための手段は選びたい。ことに、血が流れる手段は御免被りたいかな」
「かかっ。こっちとしては、もうちとぶっちゃけてほしいんだけどな」
「ぶっちゃけの本音なんだけどね。王子、あなたと、フィフィが友だちになってくれた。その友誼が生涯続いて欲しい。それが本心です」
本心を伝えると、王子はわざとらしくため息をついた。
「綺麗事過ぎて中身が見えねえのはあんたもだぜ……まあ教皇に聖女認定される人間なら、本気なのかもしれないが」
「聖女認定は高度な政治的判断なんで、そこは考慮に入れないで欲しいかな……フィフィくんと仲良くしてほしいのは、純粋に実利。フィフィくんには同年代の友達が必要だし、貴方との友誼は、フィフィくんの立場を強化することになるからね」
「そうかよ。まあこっちとしても、おんなじ利益があるんだから、仲良くするのはやぶさかじゃねえんだけどよ」
そう言って、お茶に口をつけてから、王子は深くため息をつく。
今度は、意思表示としての演技ではなく、本心からのものに見える。
「――フィンバリーのやつは……あいつは人が良すぎる。話は合うから頭はいいはずなんだがな」
どこかフィフィくんを案じるような言葉に、王子への好感度が爆上がりだ。
「大国の王であれば、お人好しであることも許される。そう思いませんか?」
「逆に怖ええよ……だがまあ、あんたはこう言いたいわけだ。日輪の王国の次代の王はフィンバリー王子。銀の王国の次代の王は俺様。そういう状況をこそ望む、と」
うん。
それは、わたしとしても望ましい状況ではあるんだけど。
抜かりなく言質を取りに来るあたり、油断できない子だ。
暗黙の了解と言葉に出した了解では、拘束力もメッセージの強さもぜんぜん違うからなあ。
「わたしの後ろ盾が欲しいなら、正直に言ってください。言質くらいは取らせてあげますよ?」
そう言って微笑むと、王子はほんのすこし、表情に悔しさをにじませて。
「わかった。正直に言ってやる。銀の王国の継承候補の第一は、ぶっちぎりで俺様だ。そこは動かねえ。だが父王は猜疑心が強いやつでな。太子の地位があいつの自由になる今の状況は美味くない。既成事実でがんじがらめにして、父王とて手を出せない状態にもっていきてえんだよ」
「はい。その言葉が正しい限り、わたしは貴方が太子であり続け、将来王になってくれることを望みます」
「日輪の王国は、と言って欲しいところだがな」
「そこまでの言葉は、貴方にとっても強すぎる。そこまでいくと、アルジェント王と貴方は、食うか食われるかの状態になってしまう。わたし個人の望みで留めておくくらいが、牽制としても、ちょうどいいんじゃないかと思いますが」
「俺様としては、父王と俺様が、おたがい剣を喉元に突きつけながら、平和的に時間が過ぎていく――ってのを望んでるんだがね」
抑止力による平和よりは権力の拮抗による平和を。
それもまた、一つの解には違いない。
だけど。
「日輪の王国の犬にはなりたくないでしょう?」
そこまでこちらがテコ入れすると、王子がこちらの紐付きになってしまう。
それは、どちらにとっても良い影響をもたらさないだろう。
「俺様が、おとなしく繋がれてると思うか?」
「わたしは思いませんよ。でも、貴方の国の民はどうですかね?」
「どういうことだ?」
「仮にも黄金の王国の末裔が、日輪の王国の力を背に権勢を振るう貴方の態度を許容するでしょうか。わたしはかえって足元を揺るがすことになるのではと危惧いたしますが」
わたしが指摘すると、王子はかっと目を見開いて……お茶を一気にあおった。
「……だな。その通りだ。ちと欲張りすぎたようだ。あんたとフィンバリーのやつと縁ができた。それで満足しておいたほうが良さそうだ」
不遜ながら苦言を飲む器量はある。
この王子、なかなかに名君の資質を備えている。
そして。
「いい子だね。フィフィくんを快く思ってくれてありがとう」
「なっ!?」
不意打ちに、王子は思わず動揺を態度に表す。ちょっとかわいい。
「人を語る、その時の感情の所在くらいはわかるよ。わたしはね、フィフィくんのことを家族として大事に思ってる。だから、フィフィくんを好きになってくれたキミのことは好きだよ。フィフィくんと、仲良くしてくださいね?」
「悪いがそこは、好きにさせてもらう……好きにあいつと仲良くしてやるさ。あんたの頼みとは関係なくな」
落ち着きを取り戻した王子は、ふてくされたように、そう、答えた。
「キミが女の子なら、フィフィくんのお嫁さんにほしかったところですよ」
「気持ち悪いこと言うな。男同士、友達らしく。あいつのすっとぼけたところを助けてやるぜ」
照れくさいのか、横を向きながら、王子ははっきりと宣言する。
だからわたしも、心からの言葉を口に出す。
「ありがとう。フィフィくんを、よろしくおねがいします」
銀の王国王子。レイサム。
理想の王子を演じる、若く不遜な俺様王子。
だけど、フィフィくんに好意を持ってくれる、フィフィくんと同年代の友人で。
わたしにとっても、本音で話せる、好ましい相手です。