51 ロッサ・ファロッサ
さて、皆さま。
海の邦と深き森の邦。
図らずしも起こった、領邦君主たちの奇妙な領土争いを、わたしの手で解決することになりました。
といっても、一方からは白紙委任状をもらっている現状、解決はそう難しいことではありません。
――そう考えていた時期が、わたしにもありました。
「奥方様には申し訳ありませんが、これ幸いと引いたとあっては、このロッサの名が廃り申す!」
おお……
どうしたものか、これ。
◆
「……と、体面上は断らねばならぬこと、奥方様にはお許し頂きたい」
王宮の一室。
設えられた茶席で、主客として相対しながら。
絶句するわたしに、領邦君主・ロッサは、先程とは打って変わった態度で謝ってきた。
おい。
立場はわかるけど、一瞬途方に暮れちゃったんだけど。
と、ジト目を向けると、男は視線で謝して、言葉を続ける。
「――正直、拙も非常に悩んでおるのです。いかにして世間体と拙の評判を損なわず、むしろ土地を渡さずうまいこと名声を手に入れられないものか」
「いやそれはさすがに都合良すぎでしょう」
欲張り過ぎな発言に、思わず突っ込む。
「そうなのですが、そうなのですがな、ああ、奥方様、なにかよい思案がありませぬか?」
と、思い悩むように頭を抱えながら、ロッサさんはちらりと視線を向けてくる。
いや、知性と教養に関してはわたしより上なんだから、ヒャッハーたちの真似は本当に止めて欲しいんだけど。さすがに倍以上年上の息子は要りません。
「そう都合のいい思案はないでしょう。なにもかも、なかったコトにしてしまえばいいのですけれど」
「そうはいきますまい。なにせあの場には、かなりの人目もありましたゆえ」
人目?
一瞬首をひねって、ヒャッハーたちのことだと思い至る。
「あれは人目に数えなくていいんじゃないですかね? 心配なら、他言しないようにお願いしておきますけど」
とわたしが言っても、ロッサさんは首を横に振った。
「いや、彼らが広めなくとも、彼らに蔑まれることだけは、したくはないのです」
「……どういうこと?」
「簡単な話です。男児たるもの、好漢たちに親指を下に向けられるような真似は避けたい」
うん。ロッサさん好き。
ヒャッハーたちをものすごく評価してくれてるから好き。
でも今回の件を除いたとしても、ロッサさん自身はヒャッハーたちに胸を張れるかっていうと……微妙な気がする。あえて指摘はしないけど。
そして、ロッサさんの主張には、ひとつの見落としがある。
ものすごく根本的な、問題の根幹に関わる見落としだ。
それは。
「ロッサ様、貴方が懸念されていることは、一切起きないかと」
「ふむ? どういうことですかな?」
「わたしはお二人が勝負をした翌日、ヒャッハーたちに事情を尋ねたのですが」
「その節は、拙もご迷惑をおかけしたようで、かたじけなく」
ロッサさんがお礼を言ったのは、彼を部屋に運んでもらうよう手配した件だろう。
「いや、それはいいんですけど……事情を聞いても、あの子達から、なにを賭けたか、なんて話は出てきませんでしたし、そもそもお二人の勝負に興味を失って、勝手に飲んでたみたいなんですけれど……」
その言葉に、ロッサさんは、ぴしり、と硬直した。
「え、いや、あの美しい名勝負を、見ていなかった……?」
美しい? と思ったけど、この人の美って調和の美だから、どっこいどっこいとか泥仕合を美しいとか形容してるのかもしれない。
「みたいですね」
「拙の、ひりつくような鉄火の勝負を、男の勝負を見ずに、酒をかっくらっていたと?」
「まず間違いなく。あの子達、まず嘘はつきませんし」
ガターン、と、ロッサさんが椅子からぶっ倒れる。
いや、そうはならんでしょ、と思ったけど、それだけショックだったんだろう。
「それでは、あれだけ拙が見せた男気は……」
床から見上げてくるロッサさんに、わたしは事実を言い渡す。
「たぶん、領邦君主・リオン以外の誰にも認識されておりません」
悲しい、悲しい話だった。
◆
「でも、そうなると話が早いんじゃないですか?」
ロッサさんが正気を取り戻すのを待つことしばし。
お茶のおかわりを干して、ようやく落ち着いた彼に、わたしは声をかける。
「と、申されますと?」
「他に誰も見ていない、となれば、あとは領邦君主・リオンとの話だけです。変に意地張らなくても、勝負をなかったことにできるのでは」
これを利用して名声を、みたいな話は、見た人間が居ない時点でご破産だ。いっそなかったことにしても、誰も困らない。
だが、ロッサさんは。
「ううむ」
とうなり、難色を示した。
「ロッサ様、なにかご懸念が?」
「いや、そうではない。そうではないのですが……これはどうにも、拙の口からは言い出しにくいことでして」
……自分から言い出すのもバツが悪いから、わたしが命じた形にしろと?
それは、いくらなんでも都合が良すぎなんじゃないかなあ。
いや、それでわたしにメリットがないわけじゃないけど――と、ひょっとして。
「ロッサ様。ひょっとして、わたしを巻き込んで三方得に収めようとか考えてます?」
尋ねると、ロッサさんはいたずらっぽく、口の端を釣り上げた。
肯定、ということだろう。
三方得。すなわち。
リオンさんは、深き森の邦と問題を起こさずに済む得を。
ロッサさんは、賭けで失うはずだった家宝や領地を渡さずに済む得を。
そしてわたしは、領邦はその君主の所有物ではなく、王国から領邦君主に預けられたものであるという建前を、新たに確認する得を。
もちろん表沙汰には出来ないし、三人の間での了解でしかないが、海の邦、深き森の邦に通用する論理が手に入るのは大きい。
「此度の件では、奥方様にご迷惑をおかけしましたので」
と、言って。
ロッサさんは、口を広げて微笑みながら、こう付け加えた。
「――それに、それがいちばん美しい」
領邦君主・深き森の邦。
ロッサ・ファロッサ・シルヴァルティアという方は、調和の美を尊ばれます。
それは、ひょっとして、人間関係にも、政治スタンスにもあらわれているのかもしれません。
「まあ、もっと旨味のあるやり方があるのなら、それはそれで大歓迎ですがな!」
まあ、こういう人でもあるのですが。
ともあれ、奇妙な領土争いは、わたしが仲裁する形で、内々に始末をつけることが出来ました。
やれやれ、一安心、といったところですが、ひとつ、問題が。
「兄様……いいかげん、教えて、下さい! あの夜……なにが……あった、のか!」
リオンさん、妹姫さんのことは、よろしくおねがいします。