48 北
さて、皆さま。
ハーディル王の遠征より、一月あまりが過ぎました。
予定通りであれば、すでに船の邦に入り、北洋帝国の対応に当たっている頃合いです。
王様が留守の王宮でも、いろいろ問題は起きたけど、向こうではさらに大変なことになってるかもしれない。
まあ、お兄さんがいる以上、どんな問題があっても解決してくれるだろうけど。
「――お兄さん、元気でいるかな」
それはそれとして、心配はしてしまう。
なにせもう一ヶ月も、フィフィくんと会っていないのだ。
フィフィくん分が切れて、廃人のようになってるんじゃないか。今度姿絵でも送ろうか、と考えてみたり。
もちろん姿絵は二枚描いてもらいます――わたし用にね!
気分的には保存用布教用も含めて、あと二枚欲しいところだけど、自重しておく。
「早く帰ってこないかなあ」
行ったばかりで、すぐに帰ってこれないのはわかっているけど、やっぱりこの国の中心はお兄さんなのだ。
◆
はるか北。
日輪の王国の、そして大陸の果て。
北洋を望む地に、船の邦はある。
その名が示す通り、多くの良港を持ち、海の邦が西海の覇者であるなら、船の邦は王国における北海の中枢だ。
主要都市が沿岸部に多く存在し、だからこそ先の天災において壊滅的な被害を被った。
それは首都ホルメスとて例外ではない。津波に洗い流され、わずかな痕跡を残すのみとなっていた都は、邦同様、再興の途上にあった。
その、仮の城――いや、簡易の砦とでも呼ぶべき場所に、国王ハル・ハーヴィル・エンテア・ソレグナムは居た。
王が使うにはあまりにも質素で、そして無骨な執務室。
陣中で使われる、折りたたみ式の椅子に腰を掛けながら、王都からの手紙を読んで……深いため息をついた。
「リュージュは、よくやってくれている」
政務を滞らせることなくこなし、王子の監督ぶりも素晴らしい。
海の邦の問題で下した判断とその対応は、見事の一言だ。
正直、期待はしていた。
信頼できる家臣たちの力を借りれば、大過なく国を回していけると信じていた。
だが、リュージュの働きは、期待以上だ。
「しかし……それが、ありがたくもあり、申し訳なくもある」
王妃の座も、摂政の地位も、血の繋がらぬ息子を持つことも。
有力な門地もなく、ただ一人の親類も持たず、出会ったときには身一つしかなかったリュージュには、あまりにも大きい負担だった。
だが唯一、リュージュは王妃に相応しい条件を備えていて。
なにより惚れた。
一目惚れだった。
なんとしてでも彼女が欲しいと思った。
だから口説いた。
元男だと主張する彼女を警戒させないために、真意を脇において。
だからか、我ながら理屈っぽくて、野暮を絵に書いたような口説き文句だったと思う。
――三食昼寝つき、夜伽なし。この条件で嫁に来る気はないか?
思い返せば頭を抱えたくなる。
大将軍に話したときは、「またまたご冗談を……え、本当に? え? え? なんでそれで口説けたんです?」みたいな顔をされた。当然だろう。
だから、ハーヴィルとしては、彼女が妻になってくれただけで、ずいぶんと借りている気分なのだ。
身分も、門地も、教養も、無いのを承知の上で迎えた妻が、王妃として十二分以上に活躍してくれるのだから、感謝と同時に申し訳無さを感じるのも仕方ない。
「――陛下。アルサーブです。失礼いたします」
と、ハーヴィルの思索を破って、長身の青年が執務室を訪ねてきた。
年の頃は、二十代半ば。ハーヴィルと同年代。
顔の作りは端正で、麦藁色の長髪をゆるく編んでまとめている。
筋肉質だが線は細く、遠間から見れば女と見間違うかもしれない。
「おお、低地総督殿、よく来た」
「陛下、余人を交えぬ場です。アルサーブと呼び捨てください」
ハーヴィルが立ち上がって迎えると、アルサーブは苦笑しながら言った。
「そうはいかないだろう。こんな世情だ。船の邦と沃野の邦――低地両邦を統べる低地総督アルサーブに、国王が敬意を払っていない。そんな噂を、間違っても立たせるわけにはいかぬからな。許せ。心のなかでは親しく思っている」
「寂しい限りです……おや、文ですか」
「うむ。都からの便りだ。我が妻はよくやってくれているらしい」
「おお、白の聖女の再来とうわさ高い!」
ハーヴィルの密やかな嫁自慢に、アルサーブは主君にぶつかる勢いで食いついてきた。
――妻の名を出せば、そうなるのも当然か。
ハーヴィルはひそかに苦笑を浮かべる。
アルサーブ・アルザープ。
軍略軍政ともに優れ、ハーヴィルが安心して兵を預けられる名将にして――白の聖女の、熱烈な信奉者である。
――まあ、だからこそ、リュージュにとっては厄介なのだが。
初代白の聖女とリュージュでは、容姿こそ一致しているものの、才能の方向性がまったく違う。
リュージュはリュージュで、非常に優れた資質を持っているし、現状でも相当に優れた調停者で調整者なのだが。
――リュージュは、間違っても武将ではない。
そこが、アルサーブが尊崇する初代とは違う。
軍略はともかく、武人としての才は、からっきし、と断言して差し支えないだろう。
そのくせ妙に人懐っこくて物怖じせず、そのうえ世話好きなところがあるから、泣く子も震え上がる猛将たちも好意を抱き、姉御として慕ってるのだろうが。
「北の情勢が落ち着いたら、王都に来る余裕も出来るだろう。その時には、我が無二の友として、紹介させてくれ」
「もったいなきお言葉です」
と、口では殊勝に言っているが、顔がキラッキラに輝いている。
顔が、早く聖女様に会いたいと主張している。この期待が失望に変わり、好意がひっくり返ることが怖くて仕方ない。
「……だがまあ、そのためには、この地を再興させねばな」
北――旧北洋帝国の情勢は、いまだ混沌としている。
先の地震と大津波で、海上戦力の大半を失ってしまったがために、旧北洋帝国は島嶼ごとに群雄割拠の情勢。
とはいえ、島内勢力を統一した群雄たちは、再び船を造り、他の島に攻め入る準備を始めている。
北洋帝国は大陸にも領土を持っているが、日輪の王国同様、その大半が飢えて流賊化し、餓死、ないしは討滅されて、戦力的には空白地同然になっている。
いま、船の邦や沃野の邦がまだしも良好な状態にあるのは、南に向かい、糊口を凌ぐことが出来た民が故地に戻れたからだ。
それでも食糧事情も治安も「最低よりはマシ」程度でしか無いが。
「陛下がこの地に入られたことで、旧帝国の自称後継者たちから、使者が相次いで参っております」
「けっこうなことだ。せいぜい歓迎して甘い言葉をかけてやるとしよう。間違っても彼奴らが、こちらに兵を向けぬように、な」
「助かります。正直その手の繊細な外交交渉は、手に負えませんでした」
アルサーブが感謝の意を示す。
資質の差もあるが、王と総督では取れる手段の幅が段違いだ。王がこの地に動座した利は、相当に大きい。
「……あんな惨劇は、二度と御免だからな」
大災害の爪痕が色濃く残る地で、ハーヴィルはつぶやく。
察して、アルサーブは静かに目をつむった。
沈黙が流れる。
ハーヴィルは、視線を南に向けた。
――冬は、こちらで越さねばなるまい。王都は頼んだぞ、リュージュ。
手紙を書こう、と、ハーヴィルは思う。
感謝と、信頼を、言葉にして伝えるために。
それから、贈り物をして……愛しい息子の姿絵も、送ってもらって。
――こっそり、リュージュの姿絵も頼まねばいかんな。さて、誰に頼んだものか。
悩む王の姿に、アルサーブは密かに敬意の礼を示す。
無言ゆえに、どちらもすれ違いに気づかなかった。