42 海の邦のお家事情
さて、皆さま。
いま、わたしの手元には、一冊の本があります。
海の邦の姫君、アンナさんからお借りしたものです。内容はお察しです。
とはいえ、設定面に関しては。
見るべきところがおおいにありました。
物語の主人公であり、様々なしがらみに囚われながら、抜け出そうとあがく領邦君主・リオン・マレア。
彼にとってのしがらみとは、たとえば長年良好な関係を築いてきた南隣の王国に現れた、野心あふれる王。
たとえば叔父であり、主にすら牙を剥きかねない、獣性野生の塊のような水軍大将。
たとえば異父兄であり、理想的な忠臣を演じながら、主にも理想的な主君であることを求める執事……などなど。
全員が主人公を(性的に)狙っている……というアンナさんの妄想はさておき。
「――姉さま、これは」
「ええ」
ロマと、思わず顔を見合わせる。
海の邦側の視点で見れば、より多くのことが鮮明になる。
その大半が、領邦君主・リオン・マレアの主張を裏付けるものだったが、一点、気になる部分があった。
これは、本人に質しておきたいところだけど。
「さきに宰相閣下に相談すべき、なのかな?」
「……相談? これを資料にして、ですか?」
ロマさんが、ものすごく微妙そうな顔をする。
冷静になって考えれば、破廉恥だしセクハラだし、精神攻撃ですらあるかもしれない。
「……宰相閣下、お泣きになるのでは」
「じゃあその前に、南方の事情にくわしい人に裏とりしとこうか」
「姉さま、誰か心当たりが?」
「心当たりがありそうな人は知ってる……宰相閣下のことだけど」
本末転倒である。
……いや、一人、心当たりがあった。
おそらくは南方に強いつながりを持ち、そのため教皇猊下の応接役に選ばれた人が。
◆
「――と、いうわけで、お呼び立てしたわけですけれど」
「王妃様が、死ぬほどろくでもない理由で、俺の休暇をぶっ潰してくれたってのはわかりました」
政務室に駆けつけた応接役さんに事情を説明すると、ものすごく深い溜め息をつかれた。
ごめんね!
たしかに理由はろくでもないけど、つまらない理由ではないから! 大事なことだから!
「まずは確認したいんだけど……領邦君主・リオン・マレアがいま、この時期にやってきた。そのことについて、貴方の意見を聞かせてください」
「ぶっ殺してしまえ――と、官僚たちなら誰もが思っとるでしょうな」
応接役さんの答えに、ロマさんがうんうんと強い同意を示した。
よし、きみは落ち着いとこうか。
「そう思ってるのは、官僚たちだけ?」
「そうですな……まあ、一部の民衆も、同じ思いなんじゃねえですかね」
そういえば、そっちからの恨みも当然買ってるか。
とくに王冠領南部の住民には、海の邦の侵攻で直接被害を被った人も居るだろうし。
「兵士たちは、それほど恨んでないの? たしかにヒャッハーたちは、あんまり気にしてなかったけど」
「最前線で頭ン中に天下の形勢を描ける人間なんて、数えるほどだ。ほとんどは放り込まれた戦場で必死に戦うだけですよ」
なるほど。そういうものなのかもしれない。
ましてや最後には打ち負かし、しかも王によって罪を裁かれた人間だ。
けっして兵士たちが三歩歩くと忘れてしまう鳥頭だったり、兵卒総ヒャッハーだったりするわけじゃないに違いない。
「その点後方では、食料の流入ルートを抑えられるわ、本来人手を割かなくていい安全地帯にまで手を取られるわで、地獄見たからな。王に権力を集約したい官僚としては邪魔な存在でもあるし、この際、と思ってる奴も多いでしょうよ」
まあ、潰したら潰したで、今度は海の邦統治にリソース割くハメになって地獄を見るんですけどね。
「さすがに実行するような子はいないよね?」
「ま、そうでしょうな。かと言って恨むなというのも無茶な話ですがね」
さすがに心の中にまで干渉はできない。
「その通りです姉さま。とっとと処してしまいましょう。さいわい妹姫がおりますし」
ロマさん、実行に移すのはアウトなので自重してください。
いちいち物騒すぎて応接役さんがどん引いてます。
◆
「さて――こほん」
と、物騒な雰囲気を払拭するように、咳払いする。
応接役さんには、まだ聞きたいことがある。
「次は、貴方自身の意見を、聞かせてください」
さきほどの意見も、貴重ではある。
だが、どうにも斜に構えた見方で、彼自身は別の意見を持っているように見えた。
なので、尋ねてみたのだが。
応接役さんは、やはり斜に構えた様子で、口の端を皮肉げに釣り上げ。
「ま、あっちもめんどくさい事情抱えてるし、イチかバチかで王宮に逃げ込みたくなった気持ちも、わからんでもない――ってとこですか」
そう言って、肩をすくめる。
「日輪の王国に干渉する手駒として、あるいは反乱の神輿として、とにかくあの方は便利すぎる。海の邦に居れば、あらゆる謀略に巻き込まれちまう」
たしかに。
アンナさんの本を見ただけでも、めんどくさそうな要素満載だ。
「――ただ、俺の意見として言わせてもらえば、王妃様が注意すべきは別にあるんじゃねえかと、愚考いたす次第ですがね」
「どういうことです?」
「考えてみてください。海の邦や南隣の王国の連中がろくでもないことを企んでるなら。海の邦嫌いのうちの連中が、見逃すはずがありません」
なるほど、道理だ。
リオン・マレアの狙いが我が国にとって好意的なものでない限り、恨み骨髄の官僚たちが見逃すはずがない。
いまちょっと不安になったけど。
友好的なのが癪に障るとか言ってあえてスルーしたりしないよね――と。
考えていて、思いついた。
わたしが注意すべき、一つの可能性を。
「つまり、キミはこう言いたいんだね? 注意すべきは領邦君主・リオン・マレアではなく、彼を潰そうとする官僚たちの動きだって」
「まさに、ですな」
我が意を得たり、と、応接役さんはうなずく。
「もちろん王妃様が状況を制御できて、なおかつ様々なリスクを許容できるのであれば、進めていいんでしょうが……」
「海の邦を潰すことは、無条件に許容できない」
即答する。
強い断定に、ロマさんが不満を表情に出した。
「姉さま」
「タイミングが最悪すぎる。海の邦に反乱の冤罪をかぶせて、万一火消しに失敗したら……全国規模の反乱を誘発しかねない」
王の不在。北の世情不安。街道の治安悪化。
そこにきて南方にまで反乱が起これば、戦乱の世を生きた領主たちは、そこに好機を見出すかもしれない。
ちょうど、成立直後の漢帝国のように。
いや、漢帝国と日輪の王国じゃいろんな条件が違うけど。
「うちが火種に使いそうな勢力は……両手に余りますけど……ひとつ、ありますね。あちらから売り込んできそうな勢力が」
頭に描いた勢力図を、様々な角度から見れば、自然とそれが見えてくる。
「ほう、察しはしますが……聞かせてもらいましょうか」
「ここ、です」
指先で、指し示す。
その先にあるのは、開かれた一冊の本。
やや装飾過剰で、耽美な文章が、禍々しいオーラを放ちながら本の中で踊っている。
「……王妃様、なんですかい? この、言葉に表すのがはばかられる本は」
「海の邦の妹姫、アンナ様謹製の、男同士の友情を描いた小説です。モデルは海の邦諸勢力です」
自分の目を疑うように、何度も目を瞬かせる応接役さんに、淡々と説明する。
「……気のせいか、肉親の名前も見えるんだが。ダメージ半端ないんだが」
「おや? 思わぬところで関係が」
「って、知ってて呼んだんじゃないんですかい」
応接役さんが目を眇める。
そういえば、彼のお名前、まだちゃんと聞いてなかった気がする。
「すでに実家を離れて一家を立てた身ではありますが……あらためて、名乗らせていただきましょう」
応接役さんは深いため息をついてから。
一礼して、名乗った。
「カイル・フラフメン。大河十二衆、青帆の一族より出奔し、ハーディル王に仕えている者です」
「ああ、小説で出てきた、俺様的な感じでリオン・マレアを押し倒してた」
「兄です。故人です。さすがに泣きますよ」
応接役さんには申し訳ありませんが。
一度すり込まれた認識を変えるのは、容易ではありません。
いまは亡き兄君のイメージは、これからもアンナさんの小説準拠になることでしょう。
そのヴィジュアルイメージが、応接役さんと瓜二つでインプットされてしまったのは、本当に申し訳ないことだと思います。
本当に、本当に申し訳ありません。
でもイメージするわたしも、精神ダメージ食らってるんですよ。