41 海の邦の兄と妹
さて、皆さま。
ここで海の邦の歴史について、おさらいをしておきたいと思います。
海の邦は日輪の王国南部にあり、経典同盟諸国と国境を接する領邦です。
その歴史は日輪の王国と等しく、建国王ホーフを補翼した功臣を初代として、いまもなお、続いております。
海の邦の名を冠するだけあって、彼の国は強い海軍力を有している。
西海航路の覇者の名は、成立以来常に海の邦とともにあった。
相克戦争のおりには、庶子であるエルランド王子をいちはやく支持し、邦を真っ二つに割るきっかけを作った。
両王子の死後は、その勢力を王冠領にまで伸長させ、王冠同盟南の雄として、日輪の王国を他国の介入より守りきった。
そして、さきの大乱においては。
自邦のさらなる拡大を志し、他国の支援を得て、当時王冠領中央部をまとめ、北の飢民軍と戦っていたハーディルの後背を脅かした。
しかし、ハーディルのあまりにも早い勝利が、海の邦の野望を頓挫させた。
北の脅威を粉砕した彼は、自軍より精鋭2万を引き抜いて南下。寡兵で徹底した遅滞に努めていた若き将軍アルサーブと合流し、海の邦軍を迎え撃った。
痛打され、大河以北の地を放棄した海の邦は、大河を防衛線として抵抗。
十分な数の船を揃えられなかったハーディルを苦戦させるも、大河上流を支配する深き森の邦に支援されては、持ちこたえることはできなかった。
ここにおいて海の邦はハーディルに降伏を打診。
大乱の一刻も早い沈静化と、統治能力を持つ人材の深刻な不足に悩まされていたこともあり、許される。
ただし、領地は大乱以前の半分に削られた。
海の邦にとっては、領土が減ったことそのものよりも、大河に関する諸利権を失ったことのほうが、より痛手だっただろう。
なんにせよ、海の邦は大乱を生き延びた。
それを指揮していたのが、領邦君主リオン・マレアなのだ。
――実物は、かなりアレだけど。
注射を受けることを知った子供が、視線で母親に助けを求める。
そんな表情のリオン・マレアと大将軍を見ながら、わたしはそんなことを思いました。
◆
「ふう」
と、自室に戻って、一息つく。
人格的にはともかく、立場的には警戒すべき領邦君主との会見。
はたしてうまくいったのか。宰相閣下に聞きたかったけど、残念ながら宰相閣下は絶賛説教中である。
「――0点です」
心を読んだように言ってきたのは、背後に控えるロマさんだ。
「ロマ。わたしの対応、そんなにまずかったかな?」
「ええ。控えの間で会話を伺っておりましたが、失礼ながらよろしくないと思いました」
ロマさんは力強くうなずく。
0点、ということは、わたしの対応は、ロマさん的には根本から間違ってるってことだ。
ならばどんな対応が正解だったのか。尋ねてみると、彼女は自信たっぷりに、平坦な胸を張って断言した。
「――問答無用で粛清が最適解です」
「そんな無体な」
過激すぎる発言に、思わず突っ込んだ。
リオン・マレアは中堅国家に等しい領土を持つ有力者であり、それを名分も無しに粛清するわけにはいかない。
お兄さん不在の中、勝手にやるとなれば、よけいにだ。
「さっきも言ってたでしょ? あの人に害意はないよ。少なくとも、わたしやフィフィ君に対しては」
「甘いです姉さま。たとえ先程の会話に嘘がなくとも、あの男は、実のあることはなにも言っておりません」
「どういうこと?」
「勝ちの目のない賭けはしない。あの男はそう言いました。ですが、勝ちの目のある賭けをすることを、否定してはおりません。そして友人に博打を打つ人間はいなくても、知人に博打を打つ人間が居ることを否定してはおりません」
まあ、そりゃそうだけどさ。
それは貴族特有の言い回しであって、そこまで勘ぐらなきゃいけないことなのかというと……微妙な気がする。
どうにもロマさんはリオン・マレアが嫌いすぎるように思う。
そりゃあわたしだって、当時リアルタイムで海の邦の侵攻を体験してたら、彼のことが大嫌いになってたかもしれないけど。
あいにくとわたしの初対面の印象は、ヒャッハーと仲の良い金ピカ優男、なのだ。
「わたしには、領主自ら王宮を訪ねてきた海の邦がそこまで敵対するとは思えないよ」
「……姉さま。相手が美男子だからって、評価が甘くなってませんか?」
ロマがジト目で睨む。
なんて風評被害を。
「ええー。あれ美男子かなあ? 線が細すぎだし、あんまり男受けする顔じゃないと思うけど。そういう意味ではヒャッハーたちのほうがよっぽど受けがよさそう」
「元男だということを差し置いても、姉さまは男の趣味がおかしいです」
ロマさんはきっぱりと断言した。
「そうかな? アンナさんなんかは、同意してくれそうだけど」
「言っておきますが、あの方も、まっとうな趣味をしてらっしゃるとは言えませんからね? ……まあ、ちょうどよろしい。彼女を呼びましょうか。あの男と接触して、口裏を合わされる前に」
荒ぶってるなあ、ロマさん。
まあ坊主憎けりゃ袈裟まで、の坊主本体がやってきたんだから、当たり前かもしれない。
と、いうわけで、領邦君主・海の邦の妹姫、アンナ・マレアさんをわたしの部屋にお迎えして。
「わたくしの好みは王妃殿下に近いです」
アンナさんは開口一番、そう言った。
ですよねー。
「おい姉さま。アンナ様呼んで真っ先に聞くのはそれですか」
ロマさんが目を眇めてるけど、わたしは悪くない。
◆
「あたくしから見た……兄様の人柄、ですか」
まずは兄であるリオン・マレアが王宮に来ていることを明かして、彼の人柄を尋ねる。
直接思惑なんかを聞いてもいいのだけど、アンナさんの立場もあるし、あまり角が立たない聞き方を選んだ。
手ぬるい、と、ロマさんの表情が言ってるけど。
「博打が……好き、ですね」
すこし迷ってから、アンナさんは答える。
例え話に博打を使ってたし、そうだろうね。
ロマさんが「使えねーなこいつ」みたいな表情してるけど、いい加減怒るからね?
まあアンナさんは、ロマさんの表情には気づいてない。
なにやらギュッと手を握りながら、力強く言葉を続ける
「そして……負ける、んです。負けて、流れるように……受けに回るんです……うぇへへへ! そんなお兄様が、素敵、だと、思います!」
そんなアンナさんのことを、お兄様は残念な妹だと思ってると思うよ。
そして妹に総受け扱いされてますよお兄様。
「広間の、たくましい方々に……囲まれてた、んですよね!? なぜ、あたくしを呼ばなかったのですかお兄様はっ!?」
貴女にそういう目で見られるからだと思います。
「アンナ様」
「ひ、ひゃい!?」
「そこまで力強くおっしゃるからには、アンナ様は、兄君の小説を書いておられると推察いたしますが、いかがでしょうか」
「ひゃい! 書いて……ます!」
なぜいまそんなことを聞いたのか。
一瞬突っ込みかけたけど、たぶんあれだ。リオン・マレアの人柄を、アンナさんの本を通して探ろうとしてるんだろう。
すでに本になっているものであれば、作為はないだろうし、腐ったバイアスがかかってるとはいえ、生の情報が得られるのは大きい、と考えているのだろう。
その推測は、おそらく正しい。
だが、ロマさんが見落としている点がある。
男同士の小説を、わたしたちが読み込んで分析しなければならないという非常に大きな問題だ。
「見せていただけますか? 王妃様も、きっと興味を持って読んでくださると思います」
「はいっ! 持ってまいります! そして新しく書かせていただきますっ! 楽しみに……しておいてくださいっ!」
いやそれはけっこうです、とは言えない雰囲気だった。
恨むよロマさん。
ちゃんと責任とって読んでもらうからね。
まあ、話題が斜め上にかっとびましたが、リオン・マレアとて、乱世に生きた一国の主です。
ロマさんの主張するように、表裏のない人間ではないかもしれません。
そのあたり、ぜひとも宰相や大将軍とも相談したいんだけど……絶賛説教中なので、相談できるのはもう少しあとになりそうです。
そして。
「……どうしよう。フィフィくんにも一緒に考えてもらって、経験積んでもらいたいけど、手段が教育に悪すぎる……」
「まあ次の国王になろうって方が、男色趣味に走ったら目も当てられませんわね……そのときには、姉さまが責任持って子供を生んでください。三人くらい」
別にその手の趣味を否定するつもりはないけど。
フィフィくんには、ちゃんと女の子を好きになってもらわないと。
切実に。切実に、そう願います。