38 政務
さて、皆さま。
日輪の王国国王妃、リュージュ・センダンでございます。
お兄さんの親征によって、王不在となった国を預かることになってしまいました。
王の代理。
しかもお世辞にも安定期とは言えない王国の。
もう、聞くだけで責任重大かつ多忙極まりないイメージではありますが。
意外にも、やることはそれほど多くありません。
基本的には重要案件の決済。それも、判を押すだけ。
官僚たちが十分に練った方策には、ほとんど異論を挟む余地がないので、安心して判を押せる。
「あ、あの……リュージュ様……そんなに簡単で、大丈夫なんでしょうか?」
あまりに簡単なものだから、フィフィ君が不安そうに尋ねてきた。
わたしの補佐という大役が、自分に務まるか。心配していただけに、肩透かしを食らった気分なのだろう。
「うん。簡単だよね」
フィフィ君の気を晴らすように、笑顔で返す。
書類の決裁を行っている執務室は、普段王様が使っている場所で、必要な資料などが一通りある。
資料に混じって、なぜか「花の君と白き乙女」(エロ本)まで置かれているのは……王様は意外と興味津々なのかもしれない。
見つけた時、ロマさんがノータイムで燃やそうとしてたのがちょっぴり怖かったです。
というのはさておき。
「でも、この簡単な作業に至るまでに、多くの人が考えて、意見を戦わせて、方策をまとめてくれてるんだと思う。そこに思いを巡らせておかないと……たぶん将来、馬鹿みたいに作業量が増えることになる――ですよね、宰相閣下?」
ご意見番として執務室に腰を落ち着けている、宰相閣下に意見を求める。
宰相――オービス・クライストス・ジーザスターは、君子然とした笑みを浮かべて、言った。
「パパとお呼びください。王妃殿下」
「教育に悪いので自重してとっとと答えてくださいエセ君子」
まったく。フィフィ君の前でなんということを言うのだ。
わたしがパパ活してる女子だと勘違いされたら、どうしてくれようか。いや、フィフィ君はそんなこと知らない。
ジト目を向けると、宰相閣下はちょっと嬉しそうに目を細めた。
「これは手厳しい。ですが、そうですな。我が国の統治体制は、いまだ十分に整ったとは申せません――いや、もっと申せば、有能な個人が未整備の機構を無理やり回している、といったところで」
下手にそれで回るものだから、優先順位も低くなる。見事な悪循環である。
そしてその有能な人が居なくなると、たぶんわたしは死ぬ。仕事量的な意味で。
「だ、だったら、宰相閣下。はやくどうにかしなくちゃ」
話を聞いていたフィフィ君が、あわてたように訴える。
だが、宰相は困ったような笑いをとともに言葉を返した。
「そうしたいのは山々ですが……なにぶん、さきに処理せねばならぬことが多すぎましてな」
それはそうだ。
治安の回復。農地の復興。遠征に際した兵站の確保。
ただでさえ十分に手が回らない現状、有能な人材による才能の暴力で国をぶん回すのは、間違っていない。
いずれは……それこそフィフィくんの代になるころには、誰がその職についても機能するよう、機能化しておく必要があるだろうけど。
「まあ、国王陛下不在の折です。そのあたりの問題は、陛下が帰ってこられてから対策していただくとして……ひとまずは楽させてもらっておきましょう。どうせ厄介事はやってくるんですから」
「ふむ、厄介事……ですか」
「新興の国が、王不在で、留守を預かる王妃も若い。いたずら心を起こす国もあるでしょう」
「とはいえ、王妃殿下は教皇自ら聖女とお認めになられた方。南部の経典同盟諸国も、下手な動きはせぬと思いますが」
「ま、そんなにあからさまなことは、してこないでしょうけどね」
逆に言うなら、あからさまじゃないことなら、やってきかねない。
軍を起こすことはなくとも、離反工作、反乱扇動。
そこまでいかなくても、人材引き抜きや諜報網の構築など、いろいろと考えられる。
王様がはるか北方で長期滞陣しているのだから、いろいろと仕込むには絶好の機会だろう。
「はたしてそこまで警戒が必要ですかな?」
「必要だね。なにせ日輪の王国は、大陸で最も強く、広大な版図を持つ国だ。機会があれば力を削ぎたい。そうでなくとも、万一攻めてこられたときに備えた手を打っておきたい――そう考える国はきっと出る」
その可能性は、十分に理解していたのだろう。
わたしの言葉に、聖者のような微笑みを浮かべて、宰相は言った。
「では、そのための備えをしておきましょう。なに、王妃殿下のご思案ともなれば、みなに否やはないでしょう」
「……宰相閣下。ひょっとして誘導しました?」
「誘導はしておりませんな。ただ、おかげでかねてよりの懸案事項に、大手を振って人を割ける、とそれだけの話です」
そういって、宰相はにっこりと笑った。
自分から勝手に火の中に飛び込んだ夏の虫。例えるなら、そんなところか。
まあ、判子を押す以外の仕事をこなせたのだと思うことにしよう。
人を引き抜かれた部署からは、きっと盛大に恨まれるんだろうけど。
◆
「ふいー」
と、部屋に戻ったわたしは、寝室に直行してベッドに寝転がる。
作業自体は簡単なものだったが、判子一つで動くものの大きさを考えると、やはり気疲れしてしまう。
フィフィ君も、似たようなものだろう。
疲れた様子だったので、今日のところは夜の勉強は控えるよう言っておいた。たぶん勉強する余力はないだろうけど。
「姉さま。お疲れ様です。よろしければ肩でもお揉みいたしましょうか」
「ロマ。ありがとう。すっかり肩凝っちゃってさ。ちょっとキツかった」
ロマさんの好意に甘えることにする。
ベッドにうつ伏せになって寝ると、ロマはわたしにまたがって、軽く肩を揉み始めた。
「お加減はいかがでしょうか」
「気持ちいい……」
すこし強いように感じたが、それがまた心地いい。
「ありがとう。気持ちよすぎて、このまま寝るかも」
「どういたしまして。ですが寝てしまわれると、イタズラしますので起きていてくださいまし」
「なぜに?」
「お風呂とお食事がまだですので。明日の活力を得るためにも、しっかり食べてしっかり温まってください」
なんというか、気遣いの言葉がうれしい。
「……ありがとう」
「姉さまには、兄さまの居ないこの国を守っていただくのですから、わたくしもできることはお手伝いさせていただきますわ」
肩を揉む手のぬくもりが心地いい。
ゆっくりと、眠気が全身を包んでいく。
まどろみながら、今日のことを思い出す。
お兄さんの居ない王宮。
お兄さんの代わりとして過ごす一日。
いつもどおりではないけれど、いつものみんなが助けてくれる。
だから明日も頑張れそうだと、そう、思いました。
「――えいっ」
「ひわっ!?」
ロマさんは、ちょっと破廉恥だと思います。