36 北よりの報せ
天災のようだった教皇様の、お帰りになる日が近づいてまいりました。
教皇様の居る生活も慣れてしまって、お別れとなるとさみしくもなりますが、応接役の人の健康を思えば、喜ぶべきなのかもしれません。
やべーくらい痩せたし。
送った胃薬が合わなかったんじゃないかと不安になるくらい。
ともあれ、教皇様の出発を明後日に控えた、そんな一日の始まりに。
「国王陛下にご注進っ!」
北よりの報せが飛び込んできた。
◆
さて、皆さま。
帝国、と聞いて、どんな国を思い浮かべるでしょうか。
ローマ帝国、ペルシア帝国、大宋帝国、ロシア帝国、大日本帝国……はたまたスター・ウォーズの銀河帝国のような創作上の帝国まで、人によって様々だと思います。
わたしはあれです。ゴールデンバウム朝銀河帝国。
はしょり気味とはいえ500年近い歴史が作中で語られていて、勃興から滅亡に至る流れを俯瞰できて、ものすごく面白かったです。
それはさておき、この世界にも、帝国は存在いたします。
日輪の王国の北、巨大な二つの島を中心に北の海――北洋一帯を支配する、海の帝国。
――北洋帝国。
大陸の覇者、日輪の王国と並び称される強大国である。
いや、強大国だった、と言うべきか。
北洋帝国は、先の大乱の原因となった天災で、日輪の王国以上の大被害を被っている。
都は壊滅状態となり、皇帝や主だった皇族も生死不明。
政府を失った帝国は一夜にして崩壊し、生き延びた有力者がそれぞれ覇を唱える大戦乱は、いまなお続いている。
「――北が難しい。思ったよりもだ」
呼び出されて謁見室に行くと、待っていたお兄さんは開口一番、そう言った。
「北……って、北洋帝国が?」
「うむ。アルサーブ――低地総督から報告があった」
「低地総督……って、低地両邦……旧船の邦と沃野の邦を預かってる人だよね?」
二つの領邦を統べる、といっても、土地は壊滅、田畑は海水をかぶって土壌改革から、住民の多くは他の地に移住して、新たに入植したのは戦乱と群雄争覇の末に膨れあがった兵士。
しかも農業生産が壊滅しているため、大軍の進駐もままならないという完全に罰ゲームな役どころだ。
それだけの無茶にも応えられると、お兄さんから評価されてるって、地味にすごいことだと思うけど。
「そうだ。低地両邦は北洋帝国と国境を接している。ゆえに、低地総督には、かなりの裁量権を与えているのだが……もはや手に余る、と。やつが音を上げるとは、よほどのことだ」
「対応を誤れば北洋帝国の戦乱に巻き込まれかねない。現地の肌感覚では、それくらいヤバイ、と?」
「ああ。そのうえ、低地と王都を往復していては間に合わぬほど、情勢の変化が目まぐるしい、ということでもある」
「欲しいのは追加の兵じゃなくて、お兄さん自身だってこと?」
「無論、兵の増派も避けられんが……戦を避けるためには、俺が抑えに出ねばならんようだ」
なんだか腐女子が喜びそうな言い方になってしまったが、お兄さんがスルーしてくれたことで、事なきを得た。
「行くの?」
「行かねばならん」
短い問いに、お兄さんも短く答える。
しばし、無言。
視線が絡み合う。
ああ、と、理解した。
以前、お兄さんは言った。
――反乱か、戦争か……将来、俺が出ねば収まらん戦が起こる。その時には、留守をおまえとフィフィに任せようとは思っている。
フィフィ君を後継者にするためには、それは必要な過程で。
「いまがその時、なんだね」
「想定よりも、はるかに早かったが、な」
それはそうだろう。
わたしが王の留守を預かり、フィフィ君が補佐役となる。
そんな配役を描いていたのだから、早くても数年後を想定していたに違いない。
フィフィ君はまだ幼い。
わたし自身、おかざりとはいえ政務に当たるには、足りないものが多すぎる。
もちろん、大将軍と宰相閣下が居れば、判断に困ることはないだろうけど……責任は重い。
だが、わたしの不安を拭い去るように、お兄さんは笑って言う。
「――リュージュ。たしかに、想定よりもはるかに早い。好機と呼ぶには、不安な要素が多すぎる……だが、お前もまた、俺の想像よりはるかに早く、成長している」
「……そうかな。あんまり実感ないけど」
「保証する。結婚して王宮に来た当初のお前は、比べ物にならんよ」
そんなに褒められると、うれしいやら恥ずかしいやらで反応に困ってしまう。
「……えへへ」
はにかんでいると、いきなり頭を撫でられた。
「……いきなりなに?」
「すまん。つい」
意図がわからないけど。
まあいいか、と気を取り直して、話を戻そうとした――その時。
「――話は聞かせてもらったあ!」
大気を吹っ飛ばすオーラを纏いながら、新世紀創造主がご登場なされた。
◆
「教皇様」
「うむ。国王よ、王妃よ、ぬしらの悩み、聞かせてもらったぞ!」
驚いた様子も見せず、お兄さんが声を掛けると、教皇様はそう言って熊を殺せそうな笑みを浮かべた。
いや、この謁見室、聞き耳立てたくらいで聞こえる構造になってないんだけど。
控えてる衛士さんたちが一瞬だけぴょこんと顔を出してすぐに引っ込めたのがちょっとコミカル。
「――王よ、征くのだな」
「征かねば、北で戦が起こりますゆえ」
「だが、征けば南に不穏を抱えることとなろう」
王様と教皇様は、端的に言葉を交わす。
教皇様の言葉はもっともだ。
再建間もない王国。世情も不安で治安も悪い。
そんな状態で、都に王不在となれば、邪心を起こす人間も居るだろう。
「――こたびは、聖戦は起こさぬぞ」
「聖戦を起こせば、より多くの命が失われるゆえ、ですか」
「余にとっては、経典を奉じる者の命は等価よ。なれば、より犠牲の少きこそ、余が拓く道である!」
「選ぶ」でも「歩む」でもなく、「拓く」ってあたりがさすがすぎる。
「ご安心を。北に多くの兵は裂きません。都に大将軍がある以上、国内外の野心家たちも、下手な真似はしないでしょう」
「ふむ?」
教皇が仕草だけで説明を促すと、お兄さんは言葉を続ける。
「田畑の荒れた低地両邦では、多くの兵は養えません。街道の治安は荒れており、輸送もままならない以上、大規模な派兵はかえって現地に混乱と治安悪化をもたらすでしょう」
「なるほどな」
お兄さんの言葉に、深くうなずいてから。
「――では、余は余の力で、王国の安寧に寄与するとしよう。王妃の資質を鑑て、不要と思っておったが」
教皇様は、わたしに向き直り――笑った。
◆
「――日輪の王国、国王妃リュージュ・センダンよ」
群臣居並ぶ謁見の間。
己の正体を明かした教皇は、王宮を震わせる厳かな声で、わたしに呼びかける。
「この教皇マハーカーラ3世が認めよう。おぬしは間違いなく、白の聖女の再来であると」
群臣に淡い驚きが見て取れた。
教皇の好意の大きさに対するものだろう。
教皇がわたしを白の聖女と認める意義は大きい。
もとより王が認めた存在であるわたしの地位は、少々のことでは揺るがない。
だけど、反乱や他国からの攻撃の際は、わたしは格好の攻撃対象になりうる。
王を騙した偽聖女を廃する、なんてのは、大義名分として十分に想定できるもので。
教皇様の聖女認定は、その名分を物理的に消し飛ばす威力を持っている。
それはそうだろう。
教皇が聖女と認めた存在を、誰も否定なんて出来やしない。
驚きなのは、教皇様がそれを、国を安定させる方便に使ったってことだけど。
経典の教え的に大丈夫なんだろうか。
この教皇様まじはんぱない。
「――ゆえに、授けよう。戦乱の末に教会に収められた、白の聖女の聖遺物を!」
教皇の使徒が、純白の布に覆われた、長い棒のようなものを掲げる。
シルエットを見れば、杖っぽい。
先端はおそらく十字。白の聖女が戦場で振るったという十字架だろうか?
覆いが、取り払われる。
ぎらりとした、金属の輝きが目に入った。
ひと目見て、十字架だと思った。
美しい装飾の施された、純白の杖の先端に、鋼の十字架が取り付けられていると。
だが、違う。
杖の優美さに騙されてしまうが、よく見れば鋼の十字は無骨で、鋭く、人を切り裂く刃が備わっている。
おそらく、杖の部分――柄は、あとから作られたものだ。
白の聖女が使っていた柄は、考えれば400年も前のものだ。おそらくは朽ちてしまったに違いない。
そして元の柄は、いまのものよりはるかに長く。
おそらくは黒か朱の漆が、塗られていたに違いない。
――十文字槍。
白の聖女の聖遺物は、間違いなくそれだった。
「王妃リュージュよ! 白の聖女の再来として、国を安んじるがよい!」
「我が国の安寧のために、全霊を捧げることを――誓います」
教皇様から、聖遺物を受け取りながら、思います。
これは、間違いなく十文字槍だけれど、同時に十字架杖でもあると。
戦とは別の役目を持つわたしには、この形であることこそ、好ましいと。
……でもやっぱり正体は戦国武将だろ白の聖女さん。