33 教皇よりの使者
さて、皆さま。
教皇、と聞いて、どんな人物を思い浮かべるでしょうか。
キリスト教の最高位。全世界12億人以上の、カトリック教徒の最高指導者。全知全能の神の、地上の代理人。
であるからには、神の教えを体現するような、愛に溢れた善き指導者だろう、と、そんな人物像を、なんとなく思い浮かべるのではないでしょうか。
わたしが思い浮かべるのはあの方です。某先代ローマ教皇。
フォースを操り風雷を纏いその覇気は世紀末覇者のそれだと一部で評判だったあのお方の姿が、ものすごく印象に残っております。
というのはさておき。
この世界にも、教皇と呼ばれる方がいらっしゃいます。
大陸全土、とくに南方、経典同盟諸国に強い影響力を持ち、法典皇国に対する聖戦を主導するなど、強力な指導力を発揮してきた方です。
そんな人物から使者が送られてくる、というのだから、何事かと不安になります。
「さて、悪い予感はしないが……」
お兄さんは気楽なものです。
気楽というより、不測の事態にも対処できるという余裕なのかもしれませんが。
◆
いつもの王様の部屋。
いつものようにお兄さんはベッドに腰を掛け、わたしは椅子に座って、まったりとお話タイム。
そんな中で、教皇からの使者に関して、不安を口にしたのだけど、お兄さんの返答は件の如し。
「いやいや」
思わず手を左右に振って、楽観を否定する。
「――お兄さん、このタイミングでの使者が、面倒じゃないと思う?」
結婚に関しては、書簡で祝福をいただいてるから、それではないだろう。
国内が統一され、結婚式が終わって、なにかと余裕が出てくるであろうタイミングだ。
なにか厄介な頼み事をされるのでは、って心配は、杞憂ではないだろう。実際は治安回復で手一杯なんだけど。
「往来の不安のせいで、結婚の祝福は、こちらの使者に書簡を預ける形だ。あらためて、ということかもしれないぞ?」
と、お兄さんはあくまで楽観的だ。
まあ、お兄さんは教皇の人柄をよく知ってて、それで心配してないのかもしれないけど。
「お兄さん。教皇ってどんな人なの?」
「そうだな……こんな話がある」
尋ねると、お兄さんは糸目を細めたまま答えた。
「七年前、王冠同盟に大乱が巻き起こったとき、それを知った教皇は、こうおっしゃった――『いまこそ聖戦のとき。異教の教えを掲げる法典皇国と戦うため、諸国に聖戦の触れを出すのだ』と」
「なんで!?」
「いや、これは猊下の深謀遠慮でな。大陸の過半を占める王冠同盟が乱れれば、経典同盟の諸国が、それぞれ勢力拡大に動くやもしれん。そうなれば戦乱は大陸全土に拡大し、経典の教えを奉じる者同士が殺し合うことになる」
「……だから経典同盟の戦力を南に向けた、と」
その行為は……手放しには評価できない。
命は等価だ、とは言わない。
わたしだって、フィフィ君やお兄さんの命と、見知らぬ人の命を天秤にかければ、前者を取る。
ましてや国が違う。民族が違う。宗教が違う。
こんな時代だ。相手を人間扱いしなくても、おかしくはない。
「教皇の行いが不満か、リュージュ?」
「……いや、不満ってわけじゃない」
たしかに、戦争以外の手段もあったんじゃないかと思わずにはいられない。
でも、お兄さんの説明は構造を単純化しただけで、実際はもっと複雑な利害や思惑が絡んでるんだろう。
教皇にそこまでの強制力がないとか、法典皇国側からの圧力も無視できないくらい高まってたとか、人口増に生産力が追いつかなくて飢餓人口が無視できないレベルになってて、戦争という名の人口調整が求められてたとか……ぱっと思い浮かぶ自分が嫌になる。
とにかく、教皇だって、安易に戦争という手段を取ったわけじゃない。そう思いたい。
そしてわたしも。責任ある立場である以上、教皇の選択に否定的な感情を抱いた以上、襟元を正さなくちゃいけない。
「――ただ、誰を殺し、誰を生かすか。わたしが選ばなきゃいけない時が来たら……出来る限りのことは考えたい。そう思っただけ」
思いを打ち明けると、お兄さんは細い目をより細めて「そうだな」と笑った。
◆
翌日。
王宮の庭園は、静かなものだった。
そろそろ教皇からの使者が来るということで、南門脇の練習場にも広間にも、ヒャッハーたちは居ない。ちょっとさみしい。あの子達、寂しがってないだろうか。
そして、美しく整備させた庭園を前に、仁王立ちしてるおじさんが一人。
「ふむ……」
深き森の邦の領邦君主、ロッサ・ファロッサ・シルヴァルティアである。
「もうっと、じいっくり、手を加えたかったが……まず、我が名を出しても恥ずかしくない出来であるな。くそ、教皇め。完成を急がせおって」
教皇相手になんて言い草だ。
というツッコミはさておいて。
「ロッサ様、庭園造成の大役、お疲れ様でした」
「おお、奥方様! いやいや、まだまだ庭園は未完成――ではなく、教皇御本人を迎えても恥ずかしくない出来ではありますが、まだまだ調和が足りておりませんな! なによりもっと使ってみたい高価な奇岩名木が――ゴホンゴホンッ! いやこのロッサが手掛ける以上、より完璧に! 完全に! 調和の取れた庭園に仕上げてみせましょうぞっ!」
ははあ……さては国の金が使えるのをいいことに、自分の創作欲求十二分に満たすつもりだな?
いや、予算組みは、文官さんたちがちゃんと見てるだろうし、その範囲でなら自由にやってくれたらいいんだけど。国の権威強化にもつながるし。
「そうですね。楽しみにしております……ところで、ロッサ様。ロッサ様は、教皇猊下をご存知ですか?」
「いや、あいにくと面識はありませんな! なかなか行動的なお方ではあるようですが! 文はいただいたことがあります! なかなか美しい筆跡でしたなあ!」
目をつけるとこはそこなのか領邦君主様。
「――明確な哲理を持った筆の運びは力強くも美しい! そうでありながら耽溺の色がない! まずもって一流の人物――と教皇を評すのは、不遜かもしれませんなぁ……くくく!」
おお、筆跡から人となりまでわかるとか、さすが当代随一の芸術家。
そしてちっとも不遜と思ってないような表情ですよロッサさん。
「まあ、教皇がどんな方か、もうじき奥方様にもわかるでしょうな!」
「というと?」
「使者が来る! 使者はその主を映す鏡! 教皇の器も思惑も、自ずから読み取れましょう!」
自明の理であるかのように断言するロッサさん。
従者は主を映す鏡、とは、歴史好きのわたしにとって馴染み深い真理だ。
まあ、わたしに従者から、その主の有り様を読み取る力があるかと言うと、ちょっと不安だけど。
――絶対的に経験値が足りないんだよなあ。
若さは言い訳にしたくない。
お兄さんがわたしと同じ16歳の頃には、乱世の地獄で己の旗を立てていた。
その妻なら。フィフィ君の母なら。そして近い将来、国政の一端を握るなら……もっともっと経験値を積み上げておかないと。
まあ結局、その時々の手持ちでやりくりするしかないんだけど。
「――ふむ、奥方様。南門で人気が揺れておりますな。ひょっとすると、教皇よりの使者が来たやもしれませんな」
と、唐突に。
ロッサさんが南門に顔を向けて言った。
思わず南門に目をやって。
人気というのはわからないけど……なんとなく、門のあたりがざわついているのが、遠くからでもわかる。
「しかし、この揺れようは尋常ではありませんな……これはよほどの」
ロッサさんの言葉が止まった。
門を通って、使者が姿を表したのだ。
遠目からだが……年の頃は壮年か、老境に入ったあたり。
連れている従者らしき人間たちより、頭ひとつ半高い長身。そして、身にまとう気格は新世紀創造主のそれ。
「ふううむううう」
厳かで、腹に響くような声が、両手を広げた使者の口から発せられた。
「余が! 余こそが! 教皇より遣わされた使者であぁる!」
教皇よりの使者は、とんでもない威厳を備えた方でありました。
使者を基準に考えるなら、その主である教皇は、後光を物理的に発するような超人になりそうなんですが、どうなのでしょうか。
……いやこれどう考えても御本人だよね!?