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30 領邦君主


 さて、皆さま。

 領邦、という言葉は、皆さまにとって聞き慣れないものだと思います。

 わたしもそうでした。領邦という言葉自体は、元の世界にもありましたが、いまいち馴染みのないものです。


 日輪の王国において、領邦というのは広大な版図を有する、それ自体が一つの国だ。

 その主は領邦君主リンクスと呼ばれ、領内の高度な自治を許されている。


 建国の功臣を祖とし、相克戦争後、国王不在の時期には、王冠同盟として国体を維持した歴史の主役たち。

 お兄さんことハル・ハーディル・エンテア・ソレグナムもまた、領邦のひとつ、風の邦エンテア領邦君主リンクスの血を引いている。


 そんな領邦も、先の大乱を経てその数を半減させた。

 現在残っているのは、海の邦マレア湖の邦ラクシア深き森の邦シルヴァルティア剣の邦グラディアの四邦のみ。


 国内が不安定な折、それぞれ他国と境界を接していることもあり、ほとんどの領邦君主リンクスとは、まだ面識がない。

 ただひとり、面識があるのが。



「むむ……うーむ……うむむむむ……」



 眼の前で手を“┐”の字にして唸る、この中年のおじさんである。







 その日は、アンナさんと待ち合わせ。

 目的は、フィフィ君の訓練の見学だった。



「フィフィ君、無理をしなくなって、元気になってきたから、日に日に動きがよくなってるんだよねー。楽しみ!」


「あ、あたくしも……うぇへへへ……楽しみです!」


「それはどういう意味かな?」


「ひぅっ!? すみません! 赤将軍様と……フィフィ王子の! 組み合わせもいいなって! 思っちゃってすみません!」



 これはいけない。

 ちゃんと釘を刺しておかなくちゃ。地蔵菩薩として。



「アンナ様、復唱してください。フィフィ君は聖域!」


「ひっ、フィフィ君は聖域!」



 アンナさんに教育を施していると、肩にぽんと手が置かれた。



「――お二人とも、場所をわきまえていただけますか?」


「すみません」


「ひうっ!? も、申し訳ありませんっ!?」



 静かに怒るロマさんの表情に、声をそろえて謝罪する。


 場所は、王宮を出て庭園にさしかかったところ。

 べつにヒャッハーたちがうろついてるわけでもないが、人の目があってもおかしくない場所だ。



「……大丈夫ですよね? 人目は……」


「そう思うなら、はじめから自重してください」



 そうですね。従者さんにもめっちゃ苦笑されてますね。すみません。


 反省していると、アンナさんがちょいちょいと指先をわずかに曲げた。



「王妃様……あちら……に……」



 指の向いた方に視線をやる。

 そこに居たのは……造成中の荒れ地の中、変なポーズしながらうんうん唸っているおじさんだった、というわけである。


 ロッサ・ファロッサ・シルヴァルティア。

 深き森の邦シルヴァルティア領邦君主リンクスであるおじさんの、それが名前である。



「顔を合わせたからには、挨拶しない訳にはいかないよね?」


「挨拶しておくのが無難でしょう」



 ロマと顔を合わせながら、そう結論づける。

「では」と造成地まで歩いていって、大きな岩の前でうなっているおじさんに声を掛ける。



「ロッサ様」


「ううむ……」


「ロッサ様?」


「これは……むむむ」



 ぜんぜん気づかない。

 思わず振り返ると、ロマが「がんばれ」とばかりに応援のポーズ。


 もう少し大きい声で、と息を吸った、その瞬間。



「――これだぁっ!」



 ロッサさんがいきなり叫んだ。


 びっくりした。

 呆然と見ていると、ロッサさんは目の前の巨岩を、奇声とともに持ち上げて――またすぐに下ろした。



「よし!」



 眼の前で手を“┐”の字にして、納得行ったようにうなずく。



「やはりこの角度。もっとも庭園に調和する……すぅばらしいっ!」



 なにやら悦に浸りながら、岩の周りをぐるぐると回るおじさん。


 どうしよう。どう見ても百キロ以上ある岩を持ち上げたり、持ち上げる前と違いがわからない微妙な違いにこだわったり、集中しすぎて周りの声が聞こえなくなってたり……突っ込みどころが多すぎる。



「ふぅむふむ、ふっぅむ……やや、これは、奥方様ではありませんか! ご機嫌麗しゅう!」


「……ロッサ様も、楽しそうでなによりです」


「くくく、ちょうど深き森の邦シルヴァルティアより藤蔓石とうまんせきが届きましてな! どうですかな奥方様! この絡み合う藤蔓ふじづるがごとき美しさ! 見事とは思われませぬか!?」


「はい。そうですね」


「そうでしょう、そうでしょうとも! 拙は思うのです! 万物は調和によって成り立っていると! その調和を崩さぬまま、人の手によって、より大きな調和を作り出すことこそ芸術であると!」



 ロマさんたちに視線をやると、みんなさっと視線を逸らした。従者さんまで。

 関わりたくないんですねわかります。







 さて。

 ロッサ・ファロッサ・シルバルティア。

 領邦君主リンクスである彼が、なぜ王宮の庭いじりをやっているのか。


 答えは単純である。

 彼が、庭園の造成に関するあらゆる権限を、王様から授かった責任者だからだ。


 領邦君主リンクスとしての責務を息子にぶん投げて。

 自ら望んで、彼はこの場所にいる。


 当代随一の芸術家にして能書家、美食家。

 それが彼のもう一つの姿だ。ちょっと多才過ぎる気もするけど、本当だ。

 ちなみに、結婚の披露宴のとき、料理だけでなく、宴の演出を取り仕切ったのは彼だったりする。



「――それでですな、奥方様! 茶碗を焼くには火力が必要なのですが、焼きすぎると土が火に負けてしまう! だが焼きが甘いと使い物にならない! このギリギリのところを攻めるのが勘所でしてな! 経験を積んだ窯師に任せとるのですが……火の見過ぎで目が弱ってしまうのが悩み所ですな! 拙も、いっそ自ら焼きたいとたまらぬのですが、めしいてしまっては美しいものを愛でることもできない……考えものですなあ!」



 領主の務めより芸術を優先するだけあって、情熱過多……なのはいいとして。

 もう少しギアを落としてください。止まってください。だれか助けてください。



「あ……あの……うぇへへへ」



 アンナさんは助けてくれようとしてるんだけど、完全にスルーされてる。

 というか絶好調になりすぎて、わたしの相槌すら聞いているのか怪しい。

 あー、今日は曇り空だなあ。と、現実逃避してみたり。



「――おや、王妃殿下ではありませんか」



 悟りの領域に足を踏み入れていると、突然声をかけられた。

 知った声だ。振り返ると、そこに居たのは予想通り、白髪白髭の老人――オービス宰相だ。



「宰相閣下」


「ん――ん? これはオービス殿ではありませんか!」



 ロッサさんに続いて、全員が宰相に礼をとる。



「宰相閣下、ちょうどよかったです」


「ふむ……なるほど。王妃殿下、私はこれからロッサ殿と、造成の進捗について相談せねばなりません。申し訳ありませんが……」


「はい――ロッサ様、いろいろとお話していただいてありがとうございました」



 宰相は一瞬で状況を察してくれたらしい。

 気を利かせてくれたので、これ幸いと退散することにする。



「なになに。こちらこそ、つき合っていただいてかたじけない! 藤蔓石とともに深き森の邦シルヴァルティアより珍しい食材も届いておりますので、こんど馳走いたしましょう!」



 どうしよう。

 ご馳走は食べたいけど、この人の長話を聞くのは……とても悩ましい。



「ロッサ殿、食材は饗応用ですからな? 多少は目をつぶりますが、あまり使いすぎぬように頼みますよ」


「くっくっく、承知しておりますよオービス殿……」



 そんな二人の会話を聞きながら、ようやくその場を脱した安心感に、胸をなでおろす。


 領主としてはともかく、芸術家としては、ロッサさんは有能な方です。

 ですが、芸術家特有の、偏執的なこだわりがあるようで……なかなか難しい方でもあるようです。



「……いける!」



 そしてアンナさんはどこまで行かれるのでしょうか?

 わたしは早くフィフィ君のところまで行きたいです。




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