26 王妃様の一日(ロマ視点)
さて、皆さま、はじめまして。
わたくし王妃様の侍女をしております、ロマ・ウィルシェイン・エンテア・ソレグナムと申します。
皆さま、我が国の王妃様について、どうお思いでしょうか。
建国王ホーフを支えた白の聖女の再来にして、若く美しい王妃。そのような認識の方が大部分だと思われます。
披露宴などで直接王妃様と接した人間であれば、奥ゆかしく在りながら、挙措には芯が通っていて、なるほどこの方が白の聖女の再来か、と誰もが納得することでしょう。
しかし、あえて言わせてください。
実態は違うのです。教養がないのは、境遇を考えればしかたないにしても、粗野だし一人称俺だし誰に対しても馴れなれしいし、国王陛下に対して「お兄さん」などと呼ぶし、あげくにあの不必要に大きい胸! が! もうっ!
……失礼いたしました。
そのような王妃様に、淑女としての教育を施したのは、ほかならぬわたくしでございます。
披露宴での王妃様の振る舞いは、まさにわたくしの苦労が報われたもので、話に聞いたわたくしは、不覚にも胸に痺れるものを感じました。
ですので。
「あふぅ……ふぃふぃくん……」
朝、王妃様の寝室。
起床の準備が出来たので、起こしに来てみれば、だらしない顔で寝言をつぶやく王妃様。
どうしてくれようか。
◆
王妃様の容姿は、常の人とは異なっております。
まず目を引くのは、そのお髪です。
処女雪のような純白でありながら、艶のある髪の主は、おそらく世界にふたりと居ないでしょう。
深く、吸い込まれるような蒼玉の瞳。美しく弧を描く細い眉。驚くほど整った目鼻立ち。そして。
「――くっ」
シーツを突きあげる、ふたつのふくらみが目に入って、思わず心を乱される。
大きいのだ。
いえ、世の中もっと大きな方も居るのでしょうが、このふくらみがハル兄さまを魅了したのかと思うと……いえ、落ち着きましょう。
思わず王妃様の胸に手を伸ばしかけて、かろうじて自制を働かせる。この胸め。
「王妃様。起きてくださいまし。朝の支度が整っております」
三回、深呼吸して心を落ち着かせてから、王妃様に声をかけます。
王妃様は「ふへへへ」と、整った顔をだらしなく歪めるだけで、目を覚ましません。
その後、三回声をかけて、王妃様はようやくお目覚めになりました。
「ロマ、おはよう!」
寝起きで元気なことです。
でも、ロマ、と愛称で呼ばれるのは、すこしうれしい。
わたくし自身にはなんら問題はないのですが、不思議なことに、親しく接してくれる人間には恵まれませんでしたから。
「おはようございます、姉さま」
なので、わたくしもそんな挨拶をお返しします。
国王ハル・ハーディル陛下の従妹にして義妹であるわたくしにとって、王妃様は義理の姉にあたります。
正直な話、紹介された当初は、ハル兄さまの正気を疑ったものですが。
いえ、いまでも奇行を見せられるたび、というかモノホン振りを見せられるたびに、この人でよかったのかと問い質したくなります。
「んー。いい天気。今日も気持ちいい一日になりそうだね!」
そう言って伸びをする王妃様。
このふくらみが! このふくらみが! このふくらみがーっ!
◆
何事もなく。
ええ、何事もなく朝の準備が終わりました。
その後は、王妃様のお食事の時間となります。
いまだに各地で賊が出没する時世。食事はけっして豪華とは申せません。
それでも毎日の食事に不足しないのだから、戦乱の最中に比べれば素晴らしいものです。
「またごはんとパン……」
王妃様は、米とパンが揃って出てくることに、なぜか激しく疑問を持っておられるようです。
文化の違いなのでしょうか。美味しいのですけれどね、ごはんとパンの組み合わせ。
ともあれ、お食事中の王妃様は、基本的に静かにしておられます。
食事の作法を一から仕込んだわたくしとしては、喜ばしいことです。
公的な場での所作に比べると、かなり粗もございますが、人目のない場所での事。許容範囲ということでよろしいでしょう。
正直、あの蛮族めいた殿方たちの存在を許している王宮です。
王妃様の所作は、泥中の花といっていいでしょう。まっとうな宮廷に入ったなら、及第点程度なのですが。
◆
「さて、今日もフィフィ君と勉強の時間だねひゃっはー!」
食事を終えると、王妃様は目をキラキラに輝かせておっしゃいました。
義理の息子への行きすぎた執着を指摘すべきか。
それとも広間にたむろするあの連中に毒されすぎていることを指摘すべきか。
お願いだから指摘すべき点をひとつに絞らせてほしい。
これで、どちらも好意的な目で見られているというのだから、不可解極まります。
とくに武将方に人気が高く……いえ、あれはすでに人望と言ってよろしいでしょうか。非常に慕われております。
ひょっとすると懐かれている、のほうが相応しいのかもしれませんが。
「みんな、ひゃっはー!」
「ヒャッハー! アネさんだー!」
「たまにはいっしょに飲んでこうぜー! 大将も誘ってよー!」
「みえ……ない!」
とりあえず床に伏せている馬鹿はどうしてくれようか。
◆
王妃様の予定は、日によって違います。
公務ゆえではございません。現在王妃様はもっぱら勉学と語学勉強、それから、珍妙な身体鍛練法に時間を費やしておられます。
その中で、勉学に関しましては、義理の息子であるフィフィ王子とともに学ばれておりますので、畢竟王子の予定に左右されることになるのです。
本日は、午前午後と勉学の時間です。
部屋を訪ねると、王子は顔を輝かせて王妃様を出迎えます。
「リュージュさま! おはようございます!」
王妃様の献身の成果か、それとも王妃様が好意全開なのがよかったのか。
フィフィ王子もまた、王妃様のことを、大変慕っておられます。
「おはようフィフィくん! 今日もいっしょにお勉強だね!」
「はいっ!」
なんというか。
義理の叔母としては、童子趣味の女にたぶらかされているように見えて大変心配です。
◆
王妃様は、フィフィ王子と勉学に励まれております。
基本的には教育係のシャぺロー様がまとめた本を写すのですが、時に質問を投げ合い、和気あいあいとしたものです。王妃様表情。自重してください。
このような有様ですが、王妃様は、実は頭の良い方です。
最初、ハル兄様に教育係を頼まれた時、あまりにも物事を知らず、侮っておりました。
しかし淑女としての作法から基礎的な語彙に至るまで、王妃様は極めて短期間のうちに習得されました。
――もしや、この国の作法を知らないだけで、実は高貴な方なのでは?
異世界から来た人間だとは聞いておりましたが、ただの庶人とも思えません。
王妃様は、自分は元の世界では、普通の学生だったとおっしゃいました。学者を志し学ぶ者であったなら、吸収の早さも納得です。
そちらの世界では、王妃様は男だったとおっしゃいましたが……うそですよね?
たしかに、出会ったばかりのころの王妃様は、粗野で、言葉使いも乱暴でらっしゃいましたが……正直、男であった頃の王妃様が想像できません。姉さまはこんなにお可愛らしくてらっしゃるのに。
……おっと、好意がすべりかけました。
この日の勉強は、さいわい何事もなく終わりました。
ですが、油断すると王妃様の好意が滑って大変なことになるかもしれませんので、このふたりは目が離せません。
◆
「またごはんとパン……」
夕食でも、王妃様はごはんとパンに怪訝な表情を向けておられます。
タンスイカブツとタンスイカブツをいっしょに取るなんてカンサイ人か、とつぶやいておられましたが、あちらの世界でもわたくしたちと同じ食文化を持っている国があるのでしょうか。
結局美味しそうにお食べになるのだから、文化の違いと割り切ればよろしいのに。
食事を終えてくつろいておられると、風呂の準備が出来ました。
王妃様はお風呂を大変好まれていて、そんなあたりも生まれの良さを感じさせます。
お風呂といえば、一度、殿方の不調法で頭から酒を被ったことがあり、いっしょに入らせていただいたことがあるのですが……脱いだ姉さまはすごいです。ハル兄さまも誑かされるはずです。おのれ
「お風呂あがったよー。わたしはもう休むから、ロマも入ってー」
いい匂いを漂わせながら、寝着に着替えた王妃様が、居室に戻ってこられました。
王妃の間の専用浴室を使えるのは、王族にして侍女であるわたくしの役得と言えるかもしれません。
出汁が出て、胸が大きくなってくれるかもしれませんし。いや、あんなものは無駄だと信じておりますが。
◆
お風呂からあがって、寝室の様子を見ると、王妃様はすでに寝息を立てておられました。
こっそりと、邪気のない寝顔をながめながら、思い出します。
ハル兄さまから、王妃様の侍女をしてくれと頼まれた時、わたくしは尋ねました。
「あの方を、妻に選んだのは……どうしてなのですか?」
あの時のわたくしは、相当深刻な表情をしていたのでしょう。
ハル兄さまは、いつものように、飄々とした様子で、しかし苦笑を浮かべながらおっしゃいました。
「俺の結婚相手として、相応しいと思ったからだ……というだけでは、納得しないといった顔だな?」
無言でうなずくわたくしに、兄さまは「誰にも言うなよ?」と前置きしてから、こっそりと、真意をうち明けて下さいました。
……正直、いまでは姉さまのことが、嫌いではありません。
ですが、この気の緩み切った顔で兄さまを誑かしたと思うと……嫉妬が滑っても、仕方ないのではないでしょうか。
そう思いながら。わたくしは寝室の扉をそっと閉じました。
いつもおつき合いいただき、ありがとうございます。
申し訳ありません。所用につき、次回更新すこし遅くなります。
これからも本作におつき合いいただければ幸いです。