25 王と妃
さて、皆さま。
絵物語、と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか。
いわゆる漫画の源流となるような、イラスト入りの物語を想像される方が多いのではと思います。江戸時代の草双紙みたいなやつですね。
わたし自身は絵物語に類するものを、読んだことがありません。
幼いころ読んだ絵本なんかは、そのカテゴリに入る気がするけど、なんだかイメージする絵物語とは違う気がします。
そんなわたしが絵物語と聞いて、どんなものを思い浮かべるかというと、あれです。三国志とか、南総里見八犬伝。
実際に見たことはないので、あくまでイメージですけど。
そして、この国の絵物語が、いまわたしの手元にあります。
日輪の王国の建国王ホーフと、彼につき従う白の聖女。
二人の英雄をモデルにした創作上の男女の恋愛譚。オブラートに包まずに言えば、エロ本です。
タイトルは、「花の君と白き乙女」。
以前ヒャッハーこと赤将軍ジャックさんに教えてもらった本です。
やっと手に入れました。
正確には、お兄さんにねだって手に入れてもらいました。
そして現在。
わたしはお兄さんの部屋にて絶賛読書中、なのです。
◆
夜、国王の寝室。
普段はお兄さんが書き物をする時に使う、ベッド脇の机を占領して、わたしは「花の君と白き乙女」を拝見する。
「おおぅ……これはけしからんですよ」
一組の男女が、あられもない姿で絡み合う挿し絵。
版画とはいえ、わたしの感覚的にも十分通じるような絵柄だ。
「……なあ、リュージュ」
所在なさげにベッドで寝転んでいたお兄さんが、ふいに声をかけてきた。
「なに、お兄さん?」
絵物語から視線を離さず、返事する。
ロマさんの前では「ハル陛下」と呼ぶけど、さすがに面と向かっては恥ずかしいので勘弁してほしい。
「いまの自分の姿に、なにか疑問はないか?」
「自分の女の姿には、疑問を持ち続けてるつもりだけど」
問われて即答する。
いまのわたしが女の子なのは否定できない。
すでに半年以上女として過ごしていて、かなり順応しちゃってるのは否定できない。
でも、いまの自分に違和感を持たなくなったら、取り返しがつかなくなる。魂の最終防衛ラインは、なんとか死守したいところだ。
「……言いなおそう。なぜお前は自分の部屋でなく、俺の寝室でそんな本を読んでいるのだ?」
お兄さんは困ったように頭をかくと、質問しなおした。
なるほど。
たしかに、こういった本は、隠れてこっそりと読むべきなのかもしれない。
わたしも中学のころから二人部屋の男子寮住まいだったけど、この手の本は、相手の前では見なかった。貸し借りはしてたけど。
でも、わたしにだって切実な事情がある。
「この絵物語を手に入れたくて、まずロマさんに相談したんだ。そしたら、信じられない変態を見る目で見られた」
「あたり前だ」
お兄さんのツッコミが鋭い。
「まあ、わたしもちょっと無遠慮だったと思う……で、話をしただけでそれだし、実際に絵物語を持って帰ったりなんてしたら、面と向かって変態呼ばわりされかねないでしょ? なのでお兄さんの部屋で見ることにしました」
すでに手遅れ、と突っ込まれるかもしれない。
しかしショタコンはあくまで冤罪。無実ゆえダメージは軽い。
一方、脛に傷持つエロ関係での変態あつかいは、後ろめたさもあって致命打なのである。
「いや、お前の趣味に口出しする気はないが……」
「趣味じゃありません。あくまで白の聖女の民間でのイメージを知るためです。あと興味津々なだけです」
わたしは断固抗弁する。
いや、本気で興味本位と参考のつもり、だったんだけど……
思いのほか質が高くて、自分の中でどう位置づけたものかわからない存在と化している。
とりあえず、大変けっこうなものではあるんだけど。
「……まあ、そういうことにしておこう」
あきらめたようにため息をついて、お兄さんはこちらに背を向けてしまった。
趣味じゃないです。興味津々なだけです。
◆
お兄さんにあきれられながらも、丹念に絵物語を読み進める。
物語自体は、それほど長くない。話もわかりやすくてえっちで、ヒャッハーが愛読するのもわかる。
しかし……なんだろう。
胸がものすごくもにょもにょする。
最初は、ちょっと興奮した。
でも、だんだんわからなくなってきた。
はたして自分は男女どっちにより強く、共感しているのか。
花の君、と言いたいところだけど、いまのわたしには共感すべきパーツがついてない。
そして抱かれている方の女の子は、わたしのモデルにして目標でもある、白の聖女様なのだ。
がっつり共感しそうになって、あわてて自制する。
最後までその繰り返しで、胸のモヤモヤがものすごい。
正直、実用という点に関しては、題材が悪かったと言うしかない。
いや、実用する気はないけど。
そこまで行きついちゃうと、後戻りできなくなりそうなので。
――と、いうのは、ともかく、だ。
わたしは「ふう」、と息をついて、寝室を無意味に見回す。
すでに夜も更けている。
本も読み終わったのだから、もう寝たほうがいいんだろう。
でも、絵物語の余韻が残ってるのか、お兄さんの方を見るだけで、ものすごく意識してしまう。
当然か。いまは夜で、ここはお兄さんの寝室で、部屋にはわたしとお兄さんしか居なくて、わたしは肉体的には女の子なのだ。
普段ならともかく、意識させられると、どうしても変な想像をしてしまう。
――ああ、お兄さんがわたしの正気を疑うわけだ。
自分で自分のスイッチを入れてしまってるのだから世話もない。
このままベッドに入っても、意識しまくって悶々としてしまう。
精神的な自衛のためにも、しばらくほとぼりを冷ましたい。
「……お兄さん、もう寝た?」
「起きている」
小声で尋ねると、背中越しに返事が返ってきた。
お兄さんが起きてるなら、ちょうどいい。
雑談でもして絵物語のことは忘れよう。
そう思って口を開きかけ。
……えーと、なにを話そう。
はたと困った。
あらかじめ算段があって声をかけたわけじゃないので、とっさに話題が出てこない。
あせりながら考えて、唯一思い浮かんだのは、雑談にしていい話題じゃなかった。
いや、尋ねようとは思ってたけど、もうすこし自分の中で整理してから聞きたかったことだ。
口にすべきかどうか、すこし悩んで……決めた。
機会は、逃すべきじゃない。
「お兄さんはさ、フィフィ君を次の王様にするために、エルランド王子の故事に倣うつもりなの?」
彼の話は、当然お兄さんも知ってるだろう。
エルランド王子は、聖戦において活躍し、圧倒的な声望を得た。
彼と同じように、フィフィ君を戦場に送るつもりか、と尋ねたのだ。
おそらくそれは有効な手段で。
そのうえで、お兄さんなら「フィフィ君を不幸にしない」って言葉を守ってくれる。
実行するにしても、フィフィ君の成長を待ってのことで、いますぐの話ではないんだと思う。
だからそれは、お兄さんの真意を確認するための質問で。
しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。
「将来、フィフィが戦場に立つかどうかは本人の意志に任せる――だが、王位を譲る手段として、フィフィを戦場に立たせるつもりはないさ」
「誓ってもいい」と、お兄さんは静かに断言した。
背中を向けていながら、力強い言葉は、まっすぐに胸を打つ。
「……うん」
わたしは短く返した。
信じる、ではない。
お兄さんの言葉に偽りがないことは、確信できる。
だって、それがフィフィ君を大切に思うがゆえに出た言葉だと、共感できたから。
「ありがとう。死んだお父さんやお兄さん、義姉さんと同じくらい、フィフィ君を大切に想っていてくれて」
「当然だ」
わたしの言葉を、お兄さんは短く肯定する。
共感しているからこそわかる。お兄さんはモノホンだと。いや、わたしはモノホンじゃないけど。
「でも、フィフィ君のこと、具体的にどうしようと思ってるか、教えてくれたらうれしいかな」
フィフィ君を戦場に出さない、というからには、別の算段があるんだろう。
それならそれで、この際全部聞いておきたい。主に心の準備のために。
「そうだな……実は、たいしたことは考えていない」
と、お兄さんはこともなげに言う。
「――ただ、反乱か、戦争か……将来、俺が出ねば収まらん戦が起こる。その時には、留守をおまえとフィフィに任せようとは思っている」
……いきなりとんでもないことを告白された!?
いや、わかるよ?
実務面でフィフィ君に存在感を持たせようってことだよね?
でもさすがにフィフィ君が名代じゃ誰も納得しないから、わたしが名代、フィフィ君をその補佐にって算段なんでしょ?
やりたいことは理解できる。
有効だってのも分かる。でも。
「わたしの責任、ものすごく重くない?」
「大陸で一番程度には、重いな……だが」
言いながら、お兄さんは寝がえりをうって、こちらに顔を向ける。
「――それがフィフィにとって安全で容易な手段ならば、俺たち二人の苦労など、物の数ではない……そうではないか?」
お兄さんはそう言って、いたずらっぽく笑った。
信頼してくださるのは、とてもうれしいです。
たしかに、フィフィ君のためなら、どんな苦労も厭うつもりはありません。
そのための意志も、覚悟も、お兄さんに直談判しに行ったあの夜に、すでに示しております。
でも能力は、もうちょっと過小評価してくれてもいいんじゃないか、と思わずにはいられません。
「そうはいっても、やらなくちゃだけどね」
なにせわたしは、フィフィ君の母親なんだから。