01 リュージュ・センダン
さて、皆さま、あらためまして。
この度、日輪の王国の国王妃となりましたリュージュ・センダンと申します。
と、堅苦しい口調はここまでにして。
さきほども言った通り、わたしは元日本人である。
日本的に名乗るならば、センダン・リュージュ。漢字では栴檀龍樹と書く。
「栴檀」はめずらしい名字だが、ことわざの「栴檀は双葉より芳し」のおかげで、地味に通りがいい。
「龍樹」という名前の由来は、両親いわく、大昔のインドの偉大なる仏僧ナーガールジュナ(龍樹)。
後宮に忍びこんで美人と見るや手当たり次第手をつけまくったり、インドめいたスーパーパワーでわりと好き勝手やってたりと、なかなかファンキーなお方である。
なぜあやかった。本当にこの人見習っていいのかおい。
とツッコミたくても、両親はすでに天国だ。そしてわたしは異世界。遠すぎってレベルじゃない。
まあ、いろいろさておいて。
栴檀龍樹は名前ほど非凡な人間ではない。
親戚の世話になり、男子校で寮生活を送る、ごく普通の男子高校生である。
それがなぜ、異世界に居るのか。
なぜ、女の子の姿になっているのか。
しかもなぜ、王妃様なんかやっているのか。
……正直わたしが教えてほしい。
そもそも、この世界に来たのもいきなりだった。
気がつくと、いきなり水の中だった。
そりゃあ大混乱だ。口の中に水は入ってくるし溺れかけるし……とにかく、光が見えたから、そっちに向かって必死に泳いだ。
で、やっと水面に出て、めいっぱい酸素を取り込んで。
我に返ってあたりを見回して、そこが広い湖だと気づいた。
周りは深い森。湖はドーナツ状で、その中心に小さな島があった。
見知らぬ風景に困惑しながら、とにかく手近な小島に上がろうと、平泳ぎで向かって。
地面に手をかけたところで、水辺に立つ男と、ばったりと顔を合わせた。
それが国王陛下である。
もちろんこの時は、まさか彼が王様だとは思わない。
大柄だけど、人のよさそうな糸目のお兄さんで、黒髪だったから、とっさに違和感も覚えなかった。
驚くお兄さんをよそに、水の中から「こんにちは」と這い出して。
声の高さに違和感を覚えて。
おもわず自分の体に目を向けて。
白くて長い髪と大きな胸が見えて。
股間にあるべき存在が失われた事に気がついて。
「……目の毒だ。頼むから、これを羽織ってくれ」
途方にくれるわたしに、お兄さんはマントを寄越してくれた。
らしくもなく動揺してたのが、いまとなっては妙に印象深く感じる。
◆
その後、素性を尋ねられて、包み隠さず答えた。
だけど「高校」とか「学生寮」とか、あたり前のことにいちいち質問を挟むお兄さんに不安を覚えて、わたしも「ここはどこか」と尋ねた。
「日輪の王国」「王冠領」「加護の島」……さっぱりわからない。
落ちついて見れば、お兄さんの服は、あきらかに現代人のそれとは違う。
そこで、ようやく理解した。
ここが異世界だと。
しかも自分が居た世界より、かなり古い社会制度の。
理解して、怖くなった。
力もない。金もない。住む所もない。
それでいて世間知らずの、見た目だけはかわいい。
いまのわたしは、そんな少女の姿なのだ。
それが中近世な治安の世界に放り出されたらどうなるか。
想像だけで心が折れそうになって、途方に暮れていると……お兄さんは、こんな提案をしてきた。
「三食昼寝つき、夜伽なし。この条件で嫁に来る気はないか?」
悩んだ末、わたしは承諾した。
――男と結婚? あきらかにめんどくさい事情がある? それがどうした死ぬよりマシだ!
ヤケクソの決断だった。
話を疑いもしなかったのは、お兄さんの人徳ゆえか、それともわたしの慧眼ゆえか。いや、後者はないか。
その後、わたしが連れていかれたのは、湖のほど近く、森の中の大きな屋敷だった。
かなり立派な造りだったが、身なりや言動から、お兄さんがそれなりの身分なんだろうと見当をつけていたから、それほど驚かなかった。
お屋敷では、礼儀作法から淑女の教養に至るまで、様々なことを叩き込まれた。男口調を矯正されたのも、この時だ。
まあ、良家に嫁入りするんだから、それにふさわしい振る舞いを覚えるのは当然だろう。
それにしても、求められる所作や教養が高度すぎるんじゃないかって疑問はあったが。
準備ばかりで、いつになったら結婚するんだとか、お兄さん屋敷を空けすぎじゃないかとか。
いろいろ不満もあったけど、三食昼寝付き夜伽なしの条件は守ってくれてるのだからと、がんばって課題をこなした。
で。
やっとこさお兄さんが王様だと知って。
そりゃ作法も教養も詰め込まれるわ、と納得して。
王宮に連れて来られてからは、結婚の準備で、別棟の館に缶詰の毎日。
それでも、晴れの舞台なのだから。
王様の面子を潰すわけにはいかないからと、がんばった。
この時わたしがイメージしていた披露宴の姿は、さきに語った通り。
そして現実はヤンキーか不良の飲み会である。しかもエンドレス。
勝手な想像をしておいて、文句を言うのも違うと思うけれど、「大陸に冠たる王国」「英雄王の名だたる名将、名臣が集う宴」「その宴にふさわしい立ち居振る舞いを」などと聞かされていたのだ。
勘違いしたわたしにも、文句を言う権利くらいはあると思う。
◆
「……つかれた」
長い宴が終わった、その日の夜。
王様の寝室までたどり着いたわたしは、倒れ込むようにして天蓋付きのベッドに寝転がった。
「大丈夫か、リュージュ」
お兄さんがベッドに腰をかけて、気遣わしげに声をかけてくるけど、大丈夫じゃない。
「だいじょうぶじゃない……しにそう……気疲れしすぎて……」
「すまん。あやつらもな、悪気はないのだ。ただ、いかんせん一代で功成り名遂げた者が多くてな。礼儀作法の方が、すこしおろそかというか……」
「すこしちがう。あれが許されるなら、わたしも礼儀作法の勉強とか、もっと楽できたはず。わたしだけスパルタは不公平」
「スパルタ?」
お兄さんが首をかしげる。
基本言葉は通じるんだけど、こんなふうに通じない言葉もあるから、すこし不便だ。
「きびしかったってこと」
「すまない。王妃ともなると、外国の賓客と会うのは避けられなくてだな……多少厳しくとも我慢してもらわねばならん」
ちがう。あれはぜったい多少ってレベルじゃない。
わたしに礼儀作法を叩き込んだのは、外見的に同年代――15、6歳くらいの少女だったのだが、わたしになんの恨みがあるのか、情け容赦ない厳しさだった。あと親の敵のように、わたしの胸を睨んでた。少女の胸は平坦だった。私怨か。
そんな感じで、わたしがベッドに寝転んで、お兄さんがベッドに腰をかけて、うだうだとお話しする。
結婚の儀式が終わって初夜のときは、イロイロ段取りがあって緊張したし警戒もしてたけど、夜伽なしの約束はちゃんと守られてるので、いまはゆるゆるだ。
「やっと終わったねえ」
「そうだな。リュージュもお疲れ様だった」
「うん……死ぬほど疲れた。騒ぐし喚くし喧嘩するし、賭けまで始めるし……でも、あんなでも、祝福してるつもりなんだってのはわかって……それは救いだったかな」
またご一緒したいかというと、もうごめんだけど。
「ああ。悪い奴らではない。これからも、頼りにすべき男たちだ。リュージュも、奴らと上手くつきあってくれればありがたい」
「……ですよねー」
救いは無い。
ヒャッハーどもとのつき合いは、これからも続くのだ。
考えただけで目が曇りそう。誰か癒しを。心に癒しを。
「……甥っ子くんはいい子だったねえ」
しみじみと、思い出す。
披露宴で唯一の癒しだった。
あの子とのつき合いも、これから長くなるのだと思うと……ものすごく救いになる。
「うまくやっていけそうか」
「まだ実感なんてないけど……がんばる」
正直息子として、どうつき合っていけばいいか、まだわからない。
だけど、すごくいい子だ。
わたしは好きだ。お世話してみたいし可愛がりたい気持ちは人一倍ある。
この気持ちがあれば、がんばって足りないところを埋めていける……気がする。熱意だけはあります。
「頼りにしている。俺も、もう少し目をかけてやれれば良いのだが……いかんせん多忙でな。人に任せてばかりだ」
「再建から一年経ってない、出来たての国だもんね。忙しいのも仕方ないか……まあ、わたしなりに、出来る限りのことは……やってみるよ……奥さんだしね……」
三食昼寝付き、夜伽なし。
その条件で嫁になるというのが、お兄さんとの約束だ。
夜伽はなくても、わたしとお兄さんは夫婦で、家族なのだ。
この世紀末な王宮で、うまく王妃様できるか。
すこし不安だけど、甥っ子くんがいれば、がんばれる気がする。
「……リュージュ?」
王様の声。
心地よい睡魔が、体を包み始めた。
もうすこしお話ししたいと思いながらも、意識を保っていられない。
「ありがとう……お前に巡り合えて、本当によかった」
まどろみの中で、お兄さんが微笑を浮かべる気配を感じた。
疲れと睡魔にかまけて、伝え損なってしまいましたが……わたしも、この世紀末な世界で、お兄さんと家族になれてよかったと思っております。