14 フィフィ・シェンバリー
さて、皆さま。
王子様の生活、と聞いて、どのようなものを思い浮かべるでしょうか。
教養や武術を磨き、時に乗馬や狩りを楽しみ、将来の配下や盟友との絆を育み、成人すれば王家の一員として、王を扶翼していく。社交界を華麗に彩り、戦場においては一軍を率いて戦う。そのような想像をされるのではないでしょうか。
実際はそれなりに多忙なのでしょうが、優雅でゆったりとした生活を送っているイメージがあり、わたしもなんとなく、そんな印象を抱いておりました。
フィフィ君もそんな生活を送っているのだと、思っておりました。
わたしの目の前で、訓練中のフィフィ君が倒れるまでは。
◆
その日は最初から、フィフィ君の様子がおかしかった。
城門脇の広場で訓練を始めたフィフィ君は、遠目にも調子が悪そうで、手に持つ剣先が、頼りなく揺れている。
「おいおいボウズ、ふらついてるぞ? 大丈夫かぁ?」
「だいじょうぶです……」
気遣うヒャッハーに疲れた笑顔を返して、訓練を始めて。
そして、倒れた。
こっそり訓練を見守っていたわたしは、最初、転んだのだろうと思っていた。
「ああ、ありゃいかん」
さぼって酒をかっ食らっていた――もとい同席していた大将軍がよろめきながらも腰を浮かしたので、大事だと察して。
気がつくと、駆けだしていた。
「おお、アネさん。ボウズが――」
「見てました! フィフィ君っ!」
ヒャッハーへの言葉もそこそこに、フィフィ君の様子を確認する。
意識がない。呼吸はある。
脈を取ろうとして腕を取り、ちゃんと脈を探せなくて焦る。
心臓に耳を当てると、たしかな脈動を感じて、すこしだけほっとした。
「赤将軍、医者を……医者を呼べそうな人に頼んで、呼んできてもらって!」
彼がちゃんと医者を呼べるか、その能力に深刻な疑問を持ったので、そう頼む。
「医者? ボウズ、どっか切らなきゃならんのか!?」
ヒャッハーがものすごく心配げだけど、違う。ことあるごとに手足を切断する前世紀の医者は求めてない。
いや、とにかく専門家の意見を聞かないと。
どんなに前世紀的でも医者は医者だ。わたしとじゃ経験値が違う。専門家の意見は必要だ。
瀉血や有毒な薬の処方なんかだけ避けてもらったらいいのだ。
「たぶん切らない。とにかく、診てもらうから、とにかくお願い! わたしはっ、フィフィ君をっ、部屋にっ……」
フィフィ君の体を抱え起こそうとして、その重さに、驚く。
あたり前だ。
子供といっても幼児じゃない。
この世界の平均は知らないが、フィフィ君の身長はわたしより頭ひとつ低い程度――130cmはある。体重は30kg少々。しかも脱力した状態だ。
それでも、以前なら、わけなく担げたはずだ。
それなのに、少女の細腕ではこんなにも――重い。
「王妃殿下、代わりましょう」
遅れてやってきた大将軍が、声をかけてくる。
「――大丈夫。酔ってはいてもこの程度、落としゃしませんよ」
「あり、がとう」
言いながら、渾身の力を込めて、フィフィ君を背負う。
力を込めすぎて、息がつまる。頭がくらくらする。歩を進めるたびに膝が震える。
「でも、わたしに、運ばせて。これでも――母親、だから」
「……ああ、たしかにこの状況じゃあ、必要なことなのかもしれませんな――医者の手配は、こちらでやっときましょう。赤将軍、王妃殿下について行ってやりなさい」
「がってんだ大将軍!」
よけいな人つけなくてよろしい。
いっぱいいっぱいでツッコむよゆうないから。
◆
「おそらくは気の病ですな」
フィフィ君の部屋に運び込んで、待つことしばし。
やってきた王宮医師は、フィフィ君をひと通り診察して、そう言った。
「気のせいってこと?」
「いえ、気の病です。疲労か不眠か、あるいは心が原因で体内の気が変調を起こすのです。おそらくは……それらが複合したものでしょうな」
部屋を見渡して、王宮医師は言った。
フィフィ君の部屋は、王子のものとしては、比較的つつましい。
装飾よりも機能性を優先しました、という感じのベッドや調度。
使い込まれた、分厚い木製の机の上には、紙束が山と積まれている。
中央に置かれた、豪華な飾りのついた大きな本を見れば、それを書き写していたのだろうとわかる。
机の横には、硯と墨、そして何本かの筆。
大半が使いこまれていて、わたしの贈った一本だけが、下ろしたての新しさを保っている。
それから、机の側に灯明。
予備の油が、壺に入ってそばにドン、と置いてある。
おそらくは、日が落ちても、ずっと勉強を続けていたんだろう。
油がなくなっても、すぐに注ぎ足せるように、油壺を灯明のすぐ側に置いて。
――陛下の養子としてはずかしくないよう、もっともっとがんばります!
フィフィ君の言葉を思い出す。
――ありがとうございます! もっと、もっともっと勉強がんばらなきゃです!
疲れた様子で、それでもフィフィ君はそう言った。
文字通り、フィフィ君はがんばったのだ。
夜遅くまで勉強して、それでも剣の稽古で手を抜かずに。
10歳かそこらの少年が、期待に応えようと、無理に無理を重ねて……倒れたのだ。おそらくは過労で。
フィフィ君が疲れてると、気づいてたはずだ。
なのにわたしは、「休みなさい」と言ってあげられなかった。
筆を贈って「もっと勉強しなさい」と、意図せずとも叱咤してしまったのだ。
「ごめんね」
昏々と眠るフィフィ君の手を取り、謝る。
「フィフィ君、ごめんね……」
◆
フィフィ君が目を覚ましたのは、翌日の朝だった。
「ん……」
「おはよう」
身じろぎして目を開いたフィフィ君に、声をかける。
「リュージュさま……?」
「だめ、無理して起きないで」
身を起こそうとするフィフィ君を、手で抑える。
体が弱ってるのか、フィフィ君の体は簡単に抑えられた。
抑えた腕がものすごく痛いけど。筋肉痛で。最高に自業自得だ。
「フィフィ君は病気なの。だからゆっくり休んで――ロマさん、おかゆと、お湯の手配をお願い」
「承りましたわ」
隅で椅子に掛けて、目を伏せていたロマさんが、すっと立ち上がって部屋を出ていく。
「あ、でも、勉強、遅れて……」
「ごめんなさい、フィフィ君」
フィフィ君の手を、両手でぎゅっと握る。
「り、リュージュさま?」
「わたしは、フィフィ君がどんな生活をしているのか、普段どれだけ頑張ってるか、ちゃんと知らなかった。ちゃんと知らないまま、フィフィ君に、よけい無理させるようなまねをして、ほんとうに、ごめんなさい」
頭を下げるわたしに、フィフィ君は驚いたように目を開いて。
「リュージュさま。ボクは王子なんです。はやく一人前にならないとダメなんです。だからもっともっと、がんばらなきゃいけないのに……できないボクが悪いんです」
まっすぐに視線を向けてくる。
フィフィ君の言葉を否定するのは簡単だった。
同時に、簡単に否定してはいけない言葉だと、察した。
たぶんそれはこの子を支える、この子をこの子たらしめている信念なのだ。
「フィフィ君は、男だね」
「え、あ、う……」
あ、フィフィ君の顔が真っ赤に。
照れ顔かわいい――だめだいけない。こんなとこロマさんに見つかったら「このモノホンめ」って言われる。いや、口にしてはまだ言われたことないけど。
「でも、フィフィ君が体を損ねたら、わたしは悲しい。それはフィフィ君が情けなくてじゃない。母として、フィフィ君の痛みを自分の痛みのように感じて――悲しいの。きっとそれは王様もおなじだよ」
フィフィ君はよくわからないというような。
わからない事が歯痒いような。そんな表情になる。
「あとは……病気のときくらい、わたしに甘えてくれたら、うれしいかな。わたしはフィフィ君に、甘えてほしいから」
そう言って、微笑みかける。
ちょうどそのとき、ロマさんが帰って来た。
手にはおかゆと薬湯。そして、最後の言葉だけ聞いてたのか、「このモノホンめ」という表情。
――過程を! ちゃんと過程を見て判断してください!
それから。
恥ずかしがるフィフィ君に、むりやり「あーん」しておかゆを食べてもらいました。
薬湯を飲むと、じわりと汗をかいていたので、「体を拭いてあげようか?」と言ったら、さすがにロマさんからストップがかかりました。でも止める時の焦りっぷりには、ちょっと傷つきます。わたしはショタコンじゃありません。いや本気で。