第2話
(何なの、ここ)
異世界で生まれて1週間程経ったこの日。
椿は薄暗い部屋に閉じ込められていた。
(赤ちゃんボディでは歩く事はおろか、喋ることも出来ん!!)
部屋の中には誰も居ない。
決まった時間に誰かが来て、オムツやミルクを済ませたら直ぐに出て行く。
愛情なんてこれっぽっちも無い。
向けられる目は憎悪に満ちたものだった。
(赤ちゃんに向ける目じゃないわよね…)
転生しても椿の冷静さは健在で、泣く事もほとんどせずに寝て過ごしていた。
ベッドの上でボーッとしているのは本当に暇で一人しりとりも素数を数えるのも飽きてしまった。
(そう言えば、ウルがいつでも呼べって言ってたな…しりとりに付き合って貰おうかな?)
言葉を話す事が出来無いからしりとりも出来るか不安だがそこは神様パワーで乗り切って貰おう。
『ウルー、ウル様ー、創造神様ー、しりとりしましょー』
心の中でデミウルゴスに声を掛ける。
『そんなに呼ばなくても聞こえてるよ。だってずっと見てるからね!!』
安定のストーカーっぷりに何故か安心する。
声は聴こえるが、姿は見えない。
『人間界に降りると崇め奉られるから面倒なんだ。魔界で会えるから大丈夫だよ。それにしても随分ひどい扱いだなぁ。もうちょっとマシだと思ってたけどこれはヒドイ。やっぱり滅ぼさなきゃだね』
呆れた声が聴こえてくる。
神様的に見ても椿の今の状況は酷いものらしい。
『この世界で貰った名前も酷いもんだね。アンラ・マンユって悪神じゃん。僕が椿ちゃんの魂に名前付けてあげるよ』
『え、あ、うん。お願いします』
『そうだなー………』
考えているのか少し間が開く。
《椿》は日本の親が付けた名前だ。
世界が変われば名前は変わる。
デミウルゴスの【魂に名前を付ける】と言うのはどの世界へ行っても変わらないもの。
デミウルゴスが椿に授ける真名だ。
『《ティア》にしよう。誰にも穢す事の出来無い創造神の涙。今日からティアだ』
ティア。
とても綺麗な響きで嬉しくなる。
『ウル、ありがとう。素敵な名前だわ。大切にするね』
感謝を伝えれば、ふふっ、と嬉しそうな声が聴こえた。
『取り敢えずはアンラ・マンユと名乗っていればいいよ。人族に真名を教える必要は無い。ティアの事は精霊が護ってくれるから大丈夫だよ。僕にとっては3年なんてあっという間だけどティアにとってはそうじゃ無いから辛いよね。ごめんね』
突然申し訳無さそうに謝られる。
確かに退屈だしこれは無いと思う事はあるが、デミウルゴスが悪いとは少しも思っていない。
『平気よ。ウルも話し相手になってくれる訳だし、気にすること無いわ』
『うん…ありがとう。3年経てば会えるからね。それまで頑張ろう!』
『ええ!へっぽこに負けないわよ!』
『頼もしいねぇ、赤ちゃんボディなのに』
『やかましいわ!!』
デミウルゴスと話している内にミルクの時間になったらしく人が入ってきた。
会話を切り上げいつも通りにぼーっとする。
「相変わらず泣きもしない……気味が悪いわ。これだから魔族は嫌なのよ」
突然聞こえた棘のある言葉。
スッと目線をそちらに向ける。
メイド服を着た人が嫌そうに準備をしていた。
さっさと私の世話を終えて部屋から出ていった。
お腹がいっぱいになり、眠気が襲ってくる。
ティアはその眠気に身を任せて、眠りに落ちていった。
家族に会うことなく、暗い部屋に閉じ込められたまま3年が経った。
時々ウルと喋り、それ以外は適度な運動をしていた。
食事は粗食ではあるが抜かれる事は無かった。
「出なさい」
扉が開き、豪華な服を着た男性と女性が顔を覗かせた。
部屋から出ると鋭い視線がティアに刺さる。
この家の中は西洋風の豪華な装飾が施されており、柔らかい絨毯が床全体に引かれている。
お金持ちなのだろう。
ホールを通り外へ出ると豪華な馬車と質素な馬車があった。
「乗りなさい」
乗れと言われたので質素な馬車に乗り込む。
男性と女性は豪華な馬車に乗り込んだ。
少しして馬車はガタガタ動き出した。
どれ位経っただろうか。
薄暗い森の中で馬車が止まった。
扉が開けられ、降りる様に促された。
男性と女性も馬車から降りてこちらに近寄ってくる。
「これからはここで暮らすんだ。いいな」
冷たい目で睨まれ、少し怯む。
その時、ティアの右手の紋様が光った。
「な、なんだ!?」
男性が女性を庇うようにして立つ。
ふわりと宙に浮く感じがしてキョロキョロと周りを見るとそこにはキラキラと光を纏った精霊とウルが居て、ティアを抱き上げて立っていた。
『僕の愛し子にとんでもない事をしているね』
冷ややかな目で2人を見るウルは今までの様な変態感はなく何処までも威厳を感じる。
「あ、なた、は…」
神気に当てられてガクガクと震えながら男性は声を出す。
喉が張り付いているのか掠れている。
『僕は創造神デミウルゴス。君達の事はずっとこの子を通して見ていたよ』
あぁ、と2人の口から力無く声が漏れる。
『お前達はこの子の両親でありながら会うのは2度目だろう。暗い部屋に閉じ込めてこの森に捨てる時をずっと待っていたな?』
「そ、れは…王の決定で…我々には…」
『ほう、つまり人族の総意と言う訳か。この子の名を決めたのは誰だ?』
「名は…王より賜ったものでございます…」
淡々と会話が進んで行く。
ティアはウルの腕の中で途轍もない安心感を抱いていた。
周りには精霊が守る様に立ち塞がっている。
ずっと気を張っていた為かポロポロと涙が溢れた。
『ティア…辛かったね。寂しかったね。よく頑張ったね。好きなだけ泣きなさい。僕の大切な子』
ぎゅっと抱き締められ、更に涙腺が緩む。
『先程も言ったが、この子は僕の愛し子だ。そんな子によくアンラ・マンユなんて付ける事が出来たね。万死に値する。人族は神罰を覚悟するが良い。国に帰ってそう伝えろ。この子は僕と精霊で守るさ。二度と魔界へ足を踏み入れるな』
2人はデミウルゴスに睨まれ、慌てて馬車へ乗って帰って行った。
姿が見えなくなり、ホッと息を吐く。
『お疲れ様、もう大丈夫。ここに居る精霊達がティアを守ってくれるよ』
ほら、と精霊達へティアを向ける。
そこには先程2人から守る様に立っていた6人の精霊が居る。
『彼等はそれぞれの属性の精霊王だよ。全員が揃うのは珍しいんだけどティアの為に集まってくれたみたいだね』
精霊王達はジッとティアを見つめている。
その内の淡い黄色の服を纏った男性風の精霊王がティアへ両手を差し出した。
『あれ?光は気に入っちゃった?』
光と呼ばれた精霊王はウルの言葉にコクリと頷く。
ティアも光の精霊王へ手を伸ばせばフワリと抱き上げられた。
途端に精霊王達は笑顔になり近付いてくる。
あっという間に囲まれて頭を撫でられたり、頬を突かれたりした。
『あーあ、取られちゃったぁ…まあいっか。僕ちょっとやる事あるからしばらくティアの事見ててくれる?』
ウルがそう言うと精霊王達は勢い良く頷いた。
「ウリュ、あいがとぉ。せいりぇいおーもあいがとね」
年齢的にもずっと喋っていなかった事的にも問題があり、滑舌は最高潮に悪い。
それでも聞き取って貰えた様で皆が笑顔で頷いてくれた。
『じゃあ、僕は行くけどまたすぐに会えるからね。皆はティアの事よろしく』
キラキラと光り、ウルは消えて行った。
精霊王達はティアを連れて歩き出す。
しばらく移動すると神殿の様な場所に着いた。
『ここは精霊の住処よ。好きなだけここに居るといいわ』
声が聴こえて周りを見ると緑色の精霊王がティアを見ていた。
『まだ自己紹介してなかったわね。私は風よ』
『俺は火だぜ』
『僕は水だよ〜』
『私は土よぉ』
『私は光です』
『俺は…闇…』
『あ、私は…ウルにティアって名前を貰って、親からはアンラ・マンユって名前を貰ってます』
慌ててティアも名乗る。
『アンラ・マンユって嫌な名前ねぇ。これからはティアって名乗るといいわぁ』
土の精霊王がティアの頭を撫でながらにこやかに告げる。
殆ど呼ばれた事の無いアンラ・マンユよりもティアの方が気に入っている。
素直に納得して頷く。
もう暗い部屋に戻る事が無いと思うと心が暖かくなる。
清々しい気分でこれからの生活に思いを馳せた。