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前史 2

 領土としては小さな露西亜帝国であったが、そのコネクションは欧州や米国において未だに大きな影響力を有していた。特にロマノフ王朝脱出前後に、露西亜国外へ持ち出された資産は、そのまま露西亜帝国や帝国からその運営の委託を受けた貴族や資本家たちの豊富な活動資金となっていた。


 その中には米国内で活動する者も多く、経済界にそれなりの影響を有していた。このことが米国(厳密には保守層や露西亜系以外の資産家たち)の露西亜帝国に対する心証を悪くすることとなった。もちろん、露西亜帝国が米国にとって潜在的な敵対ライバル国である大英帝国や大日本帝国と密接な関係にあることも、看過できないことであった。


 とは言え、当初米国は露西亜帝国に冷淡ではあったが、一方で社会主義への警戒からソ連に対しても距離を置いていた。だから露西亜帝国が樺太に成立してもしばらくは、敵対関係にはなかった。


 しかし世界恐慌以降の経済失速や満州における露西亜の影響力拡大、前述の露西亜コネクションの存在、さらには樺太から北太平洋へ出漁する露西亜船籍の漁船の操業問題などから、急速にソ連との距離を縮めていた。


 そして1941年に日本が鉄鉱石を輸入する華南連邦海南島からの航路を、米艦隊が封鎖するという事態を端緒に、一気に緊張が高まった。


 米国はソ連と共に中華民国北京政府のみを正当な中国大陸における唯一の政府と度々公言しており、満州連邦や華南連邦の存在を否定していた。そしてこの時期になると、日本や満州連邦等と密接な協力関係をとる露西亜帝国を名指しで批判していた。


 そして日本時間1941年12月8日、中部太平洋海域における駆逐艦同士の小競り合いで死者が出たことを口実に、米国は自国陣営に抱き込んだ蘭豪とともに対日露宣戦布告をし、同日空母3隻を中心とする機動艦隊が日本海軍の根拠地であるトラック島を奇襲攻撃し、同地に停泊中の艦船と飛行場に大打撃を与えた。


 一方日本側は米領フィリピンへと侵攻するとともに、対米戦に備えてマリアナ諸島に前進していた連合艦隊主力で、進撃してきた米艦隊に攻撃を加えた。


 この世に言う第一次マーシャル沖海戦は、最新鋭戦艦「大和」を有する日本海軍連合艦隊が、かつての日本海大海戦に比肩する大勝利を収めた。詳細は省くが、戦前より日本海軍が想定していた漸減戦術に加えて、航空機動艦隊による機動戦術と、さらには陸上基地航空隊による支援攻撃を行うことで、来寇した米太平洋艦隊の戦艦、空母と言った主力艦のほぼ全てを撃沈もしくは鹵獲した。


 とは言え、工業力だけ見れば日本の数十倍を要するアメリカ合衆国である。彼らはかつての露西亜帝国のように、一度の海戦の敗北で敗れるような柔な国ではなかった。

 

 日本は米領比島や蘭領東インドなどを占領することで、資源地帯を抑えることに成功したが、この間米国は英国などを仲介とした和平交渉に応じず、以後も戦争は続いていた。


 そしてその太平洋戦争に、露西亜帝国も無縁ではいられなかった。領土こそ小さいが、露西亜帝国も米国の攻撃対象である以上、自らを守るために行動しなければならなかった。


 その露西亜帝国において米国と正面切って向かい合うこととなったのが、海軍であった。


 露西亜帝国海軍は、日露戦争時の日本海海戦で壊滅的打撃を被り、赤色革命に至るまで終に復活することは出来なかった。そして北樺太に帝室が移った時点で、その手元に残されていた海軍力は皆無に等しかった。


 そのため、露西亜帝国はその再建にあたっての援助を、やはり日英に要請した。しかも露西亜帝国としては、艦艇に加えて人材も払底していたので、人員の応援も要請した。


 露西亜帝国には、満州と同じく赤色革命を嫌った人々が流入したものの、海軍の艦艇を動かすに足る人材の確保は容易なことではなかった。これに対して日英は第一次大戦後の軍縮期で逆に艦艇も人も余り気味だったので、この要請は渡りに船だった。


 こうして新生露西亜帝国海軍は、艦も人も中古品からスタートすることとなった。ちなみに、創設時から露西亜帝国海軍の艦艇は最大のものでも装甲巡洋艦(後重巡洋艦)で、主力は駆逐艦以下の小型艦艇となった。


 これはそもそも露西亜帝国が海に面しているとはいえ、最大の敵であるソ連の太平洋艦隊は大した艦艇を持っていない。またソ連にしろ米国にしろ、万が一戦争となった場合に露西亜帝国海軍単独で戦うことは想定されず、日本海軍との共同作戦が予想された。


 そのため、敵主力艦隊との戦闘は日本のGF(連合艦隊)に任せ、露西亜帝国海軍はその補助と沿岸警備が主任務とされた。もちろん、この戦略は露西亜帝国の国力がそうした任務にしか絶えられないというのも大きな理由であった。


 そのため、露西亜帝国海軍は日英海軍から当初は中古の駆逐艦やコルベット、水雷艇を、その後は両国から新造艦艇を調達していた。


 なおオホーツク海が結氷する時期は、砕氷構造を持つ砕氷艦や海防戦艦を除いた艦艇は日本各地や香港で修理や演習をしつつ越冬する。


 さて、小笠原はそんな露西亜帝国海軍に出向した元大日本帝国海軍士官である。海軍兵学校を卒業し、任官したもののハンモックナンバー(卒業席次)は中の下であり、配置は主に防備部隊を転々とした。


 このため、帝国海軍内での出世は無理と諦め、中尉時代に募集のあった露西亜帝国海軍への出向に応募し、そのまま露西亜帝国海軍大尉となって勤務を開始した。


 露西亜語を覚えるのには苦労したが、露西亜海軍に入ると恩恵もある。


 まず給料が帝国海軍よりもいい。これは露西亜帝国の人材つなぎ止めであると同時に、同国が金融などの面で国家財政に余裕があることも理由である。


 そして越冬期間中は日本や香港などに向かうので、寒いので特段苦労するということもない。よく露西亜帝国での勤務と他人に話すと極寒地での勤務と誤解されるが、小笠原自身そうした苦労をしたのは砕氷艦配備になった1年間だけであった。


 しかしここ最近はそんな露西亜海軍の緊張感は大いに増している。原因は今現在対米戦を戦っていることもあるが、もう一つの原因としてソ連太平洋艦隊の増強があった。


 ソ連海軍は革命直後は瀕死の状態で、その後もしばらくは復活の兆しを見せなかった。しかしながらスターリンが書記長に就任すると、軍備の拡張が実施され、海軍力に関しても増強が実施された。特にソビエト政府は「北樺太のロマノフ王朝を滅して、真の意味での社会主義革命を完成させる」というコメントを度々公式に発していた。


 つまり、いずれは北樺太に攻め入って占領し、露西亜帝国を完全に滅亡させるということを公言しているのであった。


 とは言え、そのためには狭いながらも間宮海峡を越える必要があり、樺太東岸のオホーツク海側の制海権を保持する必要もある。そのため、海軍力の整備は必要不可欠なのであった。


 だが露西亜帝国海軍から枝分かれしたに等しいソビエト海軍も、革命直後は壊滅的状況にあった。しかも大陸国家ゆえに、軍の再建順位としては陸軍よりも下であり、それどころか海軍を廃止してGPU管轄下の国境警備隊で充分と言う意見さえあった。


 そのため、最初は再建どころか海軍の維持で精一杯というところであったが、スターリン政権下でようやく細々であったが艦艇の整備が始まった。革命騒ぎで艦艇建造に必要な技術や工業基盤が失われていたので、イタリアやアメリカ、ドイツなどから艦艇や図面の輸入、技術指導を仰ぐところから始めねばならなかったが、それでも数年もすると駆逐艦や潜水艦は自前で建造できるまでになった。


 さらに第二次大戦前後には新型の巡洋艦や大型駆逐艦をヨーロッパより回航して、戦力を増強した。


 露西亜帝国が最も警戒したのが、アメリカとの戦争に熱中している隙を付いてソ連が攻め込んでくるシナリオであった。


 1939年に始まった第二次世界大戦は戦域毎に交戦国がわけられ、欧州では米英ソ連合軍が独伊枢軸国と戦火を交え、一方太平洋では米蘭豪(英はこの方面では中立)と日露が交戦していた。


 ソ連と日露は第二次大戦開戦からしばらくは戦闘状態に入ることは考えられなかったが、米国が対日露宣戦布告後に対独宣戦布告もしたことで、ソ連が米国と呼応して露西亜帝国に攻め込む可能性が現実味を帯びてきた。米国が欧州の戦争に介入することで、ソ連へのドイツの圧力が減じるし、またソ連が米国への見返りとして露西亜帝国や日本(満州)へ攻め込む可能性は十分にあった。


 このため、露西亜帝国では対米だけでなく対ソ連も見据えた軍備の拡張を行うこととなった。この内陸・空軍については戦前よりの計画に則って、満州連邦を生産拠点とした戦車や航空機の大増産を進めるとともに、同国内での部隊編成を行い数を揃えた。


 なお対ソ戦の場合、満州連邦内の露西亜帝国軍は日満軍とともにソ連軍の侵攻を防ぎつつ、機動戦を展開して沿海州諸都市占領とシベリア鉄道線の寸断任務を行うこととなっていた。


 一方の海軍はソ連太平洋艦隊の増強を警戒して、戦前から魚雷艇、敷設艇、掃海艇、フリゲート、駆逐艦、小型潜水艦といった航洋能力は低いものの、沿岸戦闘を得意とする小艦艇の整備を進めていた。


 しかしソ連太平洋艦隊が巡洋艦や大型駆逐艦を配したこと、さらには今後戦闘海域が広がることが予想されたため、より航洋能力の高い艦艇、加えて露西亜海軍お得意の機雷戦や通商破壊戦に向いた艦艇の整備が計画された。


 ところが、露西亜帝国自身は造船所を持っておらず、さらにこれまで取引のあった日英満の造船所も自国向け艦船の整備で手一杯であり、とても露西亜帝国が要望する艦艇群の整備は無理な状況であった。


 そこで、窮余の策として編み出されたのが、民間向け戦時標準型商船を戦闘艦艇のプラットフォームとして流用することであった。


 そしてその最後の1隻が、小笠原の指揮する敷設艦「イルティッシュ」号であった。

御意見・御感想お待ちしています。


「イルティッシュ」号はじめ、露西亜帝国海軍の八八艦隊詳細に関しては次話で書きます。

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