08
クイナと別れた後はフィアと二人で歩いて行く。そうしてたどり着いたのは、木造の小さな家だ。この村はほとんどが同じような形の家ではあるが。
「ただいまー!」
フィアが扉を開けて先に中に入り、イリスがそれに続く。
部屋はテーブルといす、それにいくつかの棚があるだけの部屋だった。入口の横にそこで料理をするのだろう炊事場がある。そこではフィアの母が料理をしていて、彼女はイリスを笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、イリスさん。好きな席に……」
「イリスお姉ちゃんこっち!」
「…………。あの子の隣にお願いできる?」
彼女がわずかに苦笑を漏らしながらそう言って、イリスも笑いを堪えながら頷いた。
フィアの隣にイリスが座る。フィアはにこにこと、とても楽しそうだ。何となく、フィアの頭を撫でてみる。くすぐったそうに、けれどもっと撫でてと言いたげに体を寄せてきた。
――ハルカ! この子かわいい!
――落ち着け! でも同意する!
しばらくそうしてフィアを撫でていると、大きめのお皿がテーブルの上に置かれた。中には白い液体がたっぷりと入っている。
――白い液体って。シチューみたいだね。美味しそう。野菜もたっぷり。
ふんわりと良い香りがただよってくる。思わずイリスは相好を崩した。これが、美味しそう、ということなのだろう。
「フィア。ご飯よ」
母に言われて、フィアは慌てて姿勢を正した。スプーンが目の前に置かれる。
「ごめんなさいね、イリスさん。こんなものしか用意できなくて……」
「そんなことないよ。美味しそう……」
本当に心からの言葉だ。フィアの母にもそれが伝わったのだろう、嬉しそうに頬を緩めている。
「それでは、今日の恵みに感謝を……」
フィアと母が両手を組んで祈りを捧げる。イリスも慌ててそれに倣う。食べ物に祈りを捧げるなんて初めてだ。人間は不思議なことをするものだ。
――ハルカもしてたの?
――私のところは祈りじゃなかったけど、同じ意味合いのことはしたよ。まあ、本当に形式だけだったから、やらない人も多かったけど。
――ふうん……。
祈りが終われば、ようやくご飯だ。イリスはスプーンを手に取ると、早速シチューを口に運ぶ。仄かに甘いスープに野菜の旨みが溶け込んでいて、とても美味しい。よく煮込まれているようで、野菜はどれも柔らかく、口に中でほどけてしまうようだ。
――美味しい! すごく美味しい!
――あはは。よかったね。
――人間ずるい! こんないいもの食べてるなんて!
――えっと……。ごめんなさい?
ハルカと会話をしながらも、イリスはひたすらに食べ続ける。食事というものがこんなにいいものだとは思わなかった。
当然ながらそんな勢いで食べていれば食べ終わるのもすぐなわけで。
「あ……」
自分の皿の中が空になったことに気づいたイリスは、思わず切なげな声を漏らしてしまった。
「ふふ……。お代わりありますよ」
イリスの様子に気づいたフィアの母が、薄く微笑みながらそう言ってくれる。お願いします、と皿を渡すと、すぐにお代わりを入れてくれた。
「お口に合ったようで良かったです」
「とっても美味しいです。こんなに美味しいのは初めて食べました」
「お母さんのご飯は美味しいでしょ!」
「フィア、恥ずかしいからやめて」
満面の笑顔のフィアと、照れたようにはにかむ母。なんだか、この空気もいいな、と思ってしまう。
その後、鍋で用意していたシチューはそのほとんどがイリスのお腹におさまった。これにはフィアすらも驚いていたほどだ。
「フィアのお母さんはすごいね」
食後、まったりと水を飲みながらそうフィアに言うと、フィアは自慢気に頷いた。
フィアたちの家を後にしたイリスは、真っ直ぐに山の洞窟に戻ってきた。いつも以上に上機嫌だ。理由は単純で、先ほどのシチューを思い出すとついつい顔がにやけてしまう。ああ、本当に美味しかった。
――うん。イリスが喜んでいるのを見てるだけで、私も嬉しくなるよ。
――んふふー。次は干し肉だ。
――あはは。なんかだめだこれ。
ハルカの言葉を聞き流しながら、干し肉を取り出す。そして一口。
――…………。
――えっと……。イリス? まずかった?
――んー……。美味しいのは美味しいけど……。なんか、違う……。
シチューに比べると劣ってしまうが、それは分かりきっていたことだ。保存食の類いに味を期待してはいけない、とハルカにも前もって言われていた。それでもイリスにとっては十分美味しいと思えるのだが、なんだか少し物足りない。
もぐもぐもぐ、と干し肉をかみ続ける。かたいけど、おいしい。けれど、そう。
「楽しくない……」
――あー……。
一人、静かな洞窟の中。聞こえてくる音は干し肉を食べる音だけだ。シチューを食べていた時は会話もあって楽しかった。けれど、今は。
――ハルカ。
――なに?
――おはなし、しよう?
――うん。いいよ。
少しだけ、ほんの少しだけ寂しさを覚えてハルカに請えば、ハルカは優しげな声で応じてくれた。
ちょっとだけ、干し肉が美味しくなったような気がした。
翌日。村に行くと北門でクイナが出迎えてくれて、二人で広場へと向かう。昨日と同じ場所に筵を敷いて、そこに座った。
これからそれぞれの仕事に向かう村の人と挨拶を交わしていく。ここに来るまでにも何度か挨拶をしており、たった一日でイリスのことは覚えられたようだ。
「狩りに行ってくるよ。戻ってきたらまた治癒よろしくな」
「いやその前に必要にならないようにしようよ」
呆れたようなイリスの声と、豪快に笑う男連中。本当に分かっているのだろうか。
そうして多くの人を見送る。残念ながらまだ治癒を求める人はいない。まだこれから、だ。
そうしてのんびりとお客を待つ。クイナはイリスから少し離れて、訓練なのか剣を振っている。イリスの監視をしなくてもいいのかと思うが、隣で立っているだけというのは暇なのだろう。
干し肉を取り出し、もぐもぐとかじる。昨日、一人で食べている時よりは美味しく感じる。
「イリスお姉ちゃん!」
干し肉をかみ続けていると、広場の奥からフィアが走ってきた。満面の笑顔だ。イリスの目の前にたどり着くと、布の包みを差し出してきた。
「朝ご飯によければ!」
「朝ご飯……ということは、食べ物!?」
「うん!」
なんて良い子だろうか。天使だ。間違い無い。
――ちょろい。
――ん? どういうこと?
――いや、気にしなくていいよ。うん。
イリスは内心で首を傾げながら、早速包みを広げてみた。中に入っていたのは、白くて丸いもの。よくよく見ると白い小さな粒が集まってかたまっているようだ。
「おー……。なにこれ?」
イリスが聞くと、フィアが少し驚きながらも説明してくれる。
「おにぎり! お米に塩をかけてまるめたもの!」
「ほうほう……」
――ハルカ。おにぎりって美味しい?
――作り方によるよ。でも、これはきっと美味しい。
ハルカがそう言うなら、きっとこれは美味しいものなのだろう。早速、イリスは一つ手に取り、口に入れた。まだ暖かいお米が口の中でほどけていく。ほどよい塩味で、辛すぎず、けれど薄いわけでもなく、イリス好みだ。
美味しい。そしてそれ以上に、何となく、心がぽかぽかしてくる。イリスが顔を綻ばせていると、フィアが言った。
「イリスお姉ちゃん。隣に座ってもいい?」
「んー? いいよー」
壁|w・)ついに食べ物をげっと。……表現って難しい……。
次話は明日6時に更新予定です。