03
冗談はさておき、今回は拉致というわけではないので、それほど騒ぐほどでもないかもしれない。実際のところ、空間の穴というのは些細なきっかけで空くことがあるものだ。もっとも、今回のものは間違い無く人為的なものなので放置はやはりできないだろう。よその世界のことなので放置したいが。イリスの世界が関係なければ間違い無く放置したのに。
「響子のことがあったばかりだからねー……。ちょっと見てくるよ」
「そうか。ちなみに遠いのか?」
「えっとね……。海のずっと向こう」
「海外か……」
日本は小さな島国らしく、他の国のことは海外とも言われているらしい。望に世界地図を見せてもらったことがあるが、イリスの世界とは違って複雑な形をしているものばかりだった。日本と比べると、他の大陸はどれも桁違いに大きくて驚いたものだ。
「じゃあちょっと行ってくるよ。フィアはお留守番しててね」
「うん」
フィアの頭を撫でてから、イリスは姿を見えなくする。そうしてから空に飛び上がり、ドラゴンの姿になって、目的地へと向かった。
風を切り、海を越えて、音を置き去りにしてひたすらに飛び続ける。そうして見えてきたのは鬱蒼と生い茂る森だ。背の高い木々がたくさんあり、野生の動物もいるようだ。
――美味しい動物とかいるかな。
――やめなさい。
ハルカ曰く、貴重な動物がいるかもしれないから自重しろ、とのことだった。
そのまま上空でぐるりと一周回ってみる。木々が邪魔して目で見ることはできないが、空間の穴というのは側まで行けばすぐに分かるものだ。
そうしてぐるぐる回っているとようやく違和感のある場所を見つけることができた。大きな川の側だ。少しだけ警戒しつつ下りていく。
果たしてそこに空間の穴があった。イリスが使っているものよりも一回り小さく、イリスですら通るのに苦労しそうな大きさだ。そしてこの穴からそれほど遠くない場所に、この世界ではあまりないはずの大きな魔力を一つ感じられる。この 穴を通ってきた誰かだろうか。
――人族?
――んー……。人族ではない、かな。
何となく、ではあるが人族ではないと思う。
ドラゴンの姿では森の中を探せないので、そこからは人の姿で歩いて移動することになる。自分の気配は隠しつつ、相手のものは探す。幸いというべきか、相手はあまり移動しようとしていないようで、すぐに見つけることができた。
木にもたれかかり、周囲を警戒する少女。どうやら魔族のようで、見ることのできる肌は鱗で覆われているようだった。背には大きな翼がある。鳥のような羽毛のあるものではなく、どちらかと言えばドラゴンを連想する翼だ。
どのように声をかけるべきか、と一瞬悩むが、気にせずに姿を見せることにした。
「こんにちは」
横から声をかけると、魔族の少女は勢いよくその場から飛び退いた。それと同時に、何かをイリスへと投げつけてくる。イリスの頭を正確に狙ったそれを、口でがちりと受け止めた。
――短剣か。
――おお。暗殺者っぽい! アサシンとか!
お気楽な思考をしつつ、相手を見る。少女は驚愕に目を見開き、固まっていた。
ぷっと短剣を吐き出して、その場に捨てる。んー、とイリスは少し唸り、言う。
「舌がちょっぴりぴりぴりするこの感じ、毒とみた!」
「どうして平気なんですか!? 魔獣ですら即死する毒ですよ!」
それはまた物騒な毒だ。この場に置いていくわけにもいかない。イリスはナイフを拾い上げると、少女へと歩いて行く。あからさまに警戒する少女に笑いかけて、イリスはナイフを差し出した。
「返すよ」
「あ……。ありがとう……。じゃない!」
思わずといった様子で受け取ってから、叫ぶ。少女が再び短剣を構えた。
「誰ですかあなた!」
「そのセリフそっくりそのまま返すよ。君、誰? この世界に何しにきたの?」
そこでまた少女が固まる。まさか、といった様子で、
「あなたは……。この世界の人ではないんですか……?」
「うん。君と同じ世界だね」
「じゃあ……。その銀髪は……」
「あ」
――あ。
すっかり忘れていた。今のイリスはフードを被っていないので、知っている人が見ればすぐにイリスの正体に察しがつくだろう。今も少女は大きく目を見開き、何故か震えているようだたった。
どうしたものか、とイリスが困っていると、少女がその場で膝をつき頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ドラゴン様! 私は龍人族のファナリルと申します!」
「へえ……。龍人族か」
龍人族は少しばかりドラゴンの特性を持っている種族だ。頑強な鱗に膨大な魔力、そしてその魔力によって強化される膂力と、戦闘に特化した種族だ。……と、お父さんが言ってた。
――へえ! ドラゴンの特性を持ってるとか、すごい!
――うん。でもまあ、ドラゴンには及ばないけどね。それでも、魔族よりもずっと強いと思うよ。
龍人族が生まれたきっかけは分からない。魔族の土地に住んでいるらしいが、彼らは自分たちの土地を持ち、魔族とは別で生活しているはずだ。戦争前までは珍しい種族だったらしいが、戦争の後は多く見られるようになってきたとか。
――それ絶対ドラゴンが何かやらかしてるでしょ。
――だよね。
もっとも、イリスには関係のない話だ。
イリスは目の前で跪くファナリルを見る。全身から感じる敬意。悪い気はしないが、会話するには面倒だ。
龍人族はその特性上、ドラゴンを崇拝しているらしい。他の種族もドラゴンを特別視しているが、龍人族ほどではないだろう。こうして初めて出会うイリスにすら頭を下げるほどなのだから。
「えっと……。ファナリル。お話、いいかな」
イリスがそう聞くと、ファナリルからはい、と元気な声が返ってくる。しかし頭は下げたままだ。イリスは小さくため息をつくと、ファナリルの手を取った。
「へ……?」
「はい。てんいー」
転移先はこの子が空けたと思わしき黒い穴だ。その黒い穴の側に転移すると、ファナリルは絶句してしまった。
「これが……転移……。失われた伝説の魔法……」
「そんな大げさな」
ドラゴンにとっては一般的な魔法だ。一般的すぎて、面倒だからと五分かからない距離を転移する程度には一般的だ。伝説の魔法とか大げさに過ぎる。
「あとは……」
空間魔法の穴を作り、必要なものを取り出す。テーブルといす、あと買い置きの缶に入ったクッキーアソート。喫茶店で購入したものだ。
テーブルの上にクッキーの缶を置いて、さて、とファナリルに言った。
「そのままだと会話しにくいから、いすに座って」
「いえそんな恐れ多い!」
「座れ」
「はい!」
少しだけ苛立ちを覚えて低い声音で言うと、ファナリルは即座にいすに座った。素直でよろしい。
「いちいち押し問答は面倒だから、変な遠慮はしないように」
「はい!」
「とりあえずこれ、クッキー。はい食べて」
「いえ、ですが……」
「食べろ」
「はい!」
どうしよう。ちょっと楽しくなってきたかもしれない。
缶から個包装されたクッキーを取り出し、ファナリルは目を丸くした。恐る恐ると外装もとり、口に入れる。美味しい、と小さな声でつぶやき、もう一枚と手を伸ばした。気に入ってくれたようで、イリスとしてもとても嬉しい。
「美味しいでしょ?」
イリスがそう聞けば、ファナリルは深く頷いた。
「はい。とても。……あの、同じお菓子をお譲りいただけませんか? これなら、私の目的は十分に達成されると思います」




