閑話
日本で過ごしているある日のことです。お姉ちゃんと一緒に商店街で買い物をしていると、ある料理のお店が目に入りました。その店では独特な形の鉄板のようなもので何かを焼いています。たくさんのまんまるな穴がありました。
「おっちゃん、なにこれ?」
お姉ちゃんも興味を持ったのか、お店の人に聞いてくれます。お店の人は少しだけ驚いたように目を丸くして、すぐに答えてくれます。
「たこ焼きだよ。知らんのか?」
「知らない。美味しいの?」
「今時珍しいな。まあ美味しいぞ。ほれ、味見」
お店の人がつまようじという小さい木の針のようなもので、まんまるに焼かれたものを刺して差し出してきます。二つ、つまりはフィアの分もありました。
「おお! おっちゃんありがとう! ふとっぱら!」
「よせよせ。その代わり、うまかったら買ってくれ」
「りょうかい!」
ぱくり、とお姉ちゃんが一口で食べます。もむもむ、と口を動かして、頷きました。
「うまい!」
「おう。それは良かった」
どうやら美味しいものらしいです。それならばとフィアも一口で食べます。ぱくり。
「っ! ……! っっ!」
「あ。熱いからフィアは少しずつ食べた方が……って、手遅れか」
わざとじゃないでしょうかこの姉。ひどい。熱い。お口が痛い。口というか舌が痛い。
声にならない叫びをあげて悶えていると、お姉ちゃんがこっそり治癒をかけてくれました。楽になりました。さすがお姉ちゃん、優しいです。でもたこ焼きは味が分かる前に勢いで呑み込んでしまいました。
ちょっとだけ残念に思っていると、お姉ちゃんが言いました。
「おっちゃん。とりあえず十個ちょうだい」
「あいよ。十個入りだな」
「いや、十個入りが十パック」
「は!? お、おう。分かった」
お店の人がかなり驚いています。ですが、まあ家族で食べるんだろう、と小さな声で言いながら自分で納得していました。残念、この姉は一人で食べきります。欲しいと言えばわけてくれますが、何も言わなければ全部一人で食べちゃいます。姉の胃袋は底なしです。
「お姉ちゃん、私ももうちょっと、食べたい」
「ん。いいよ」
さすがお姉ちゃんです。きっと帰る頃にはほどよく冷めて……。
「おっちゃん。追加五パック」
そんなに食べないよ!?
新橋家に戻ってきました。勝手知ったる我が家のごとく、リビングへと向かいます。リビングには望さんがいました。のーとぱそこんで何かをしています。お姉ちゃんが持ち込んだものを売っているらしいですが、どうやっているのか理屈は分かりません。不思議です。
「ただいまー。望、おみやげ」
「うん? ああ、ありがとう。……たこ焼きか」
お姉ちゃんに差し出されたパックを受け取って、望さんが言います。フィアもお姉ちゃんから受け取って、ぺたっと底を触ってみます。冷たくはありませんが熱くもない、ほどよい状態です。
パックを開けて、つまようじにささったまあるいそれを、ちょっとかじります。うん。美味しい。
「このソースがいいね! あと中に入ってるなんか!」
「なんかって……。たこだよたこ」
二人の会話を聞きながら、フィアも食べ進めます。なるほど、お姉ちゃんが絶賛するソースが濃いめの味付けでとても美味しいです。このたこやきというものによく合います。そして一個食べると、お姉ちゃんが言っているものだろう何かが分かりました。こりこりとちょっとだけ固い、不思議な食べ物です。
「たこ? なにそれ?」
「え? ……本当に知らないのか?」
「知らないねー。フィアは知ってる?」
お姉ちゃんに聞かれて、フィアはすぐに首を振りました。たこというものは見たことも聞いたこともありません。動物か何かなんだろうとは思いますが、こんな不思議なお肉の動物がいるなんて驚きです。
「あっちにはいないのか? それならちょうどいい。今日の晩ご飯はたこのつくりにしようか」
「よろしくー」
つくり、というものは見たことがあります。お魚を生で食べていました。色々と衝撃でしたが、日本ではよくあるものだそうです。
フィアもたこには興味があります。夜が楽しみです。そんなことを考えながら、たこ焼きを口に入れました。ほくほくでうまうまです。
「これがたこだ」
夜。何故か古川さんの喫茶店に行くことになりました。そして厨房に通されて、見せられたものは、なんだかうねうねとした生き物。
「…………。うわあ……」
「きもちわるい……」
お姉ちゃんは言葉をなくして呆然としていて、フィアはつい思ったことを言ってしまいました。一緒にいたかなちゃんが、フィアがそんな言葉を口にするとは思っていなかったのか、ぎょっとしてフィアを見てきますが、フィアだって思うことはあるのです。
「なにこれなにそれうねうねしてる!」
最初の衝撃はどこへやら、お姉ちゃんは元気になりました。たこ、という生き物に興味津々で近寄っています。つんつんつついて、うねうね動いて、お姉ちゃんがけらけら笑って。楽しそうですけど、気持ち悪いです。
「さて、今からこれを食べるわけだけど」
正気か。思わずフィアが誠司さんと見ると、それに気づいた誠司さんは苦笑して肩をすくめました。
「心配しなくても、美味しいよ。店内で待っててほしい。すぐに持って行くから」
「了解待ってる!」
お姉ちゃんが足取り軽く戻っていきます。フィアとしては、あれを食べるなんて考えられないのですが。今日はもう何も食べられないことを覚悟しないといけないかもしれません。
気落ちしながら、フィアもお姉ちゃんの後を追いました。
許せません。何が許せないって、美味しいことです。
「こりこりしてて不思議な食感だね。うん。これはこれで良いね。美味しい」
お姉ちゃんは満足げです。それを見ていると、フィアは嬉しくなります。けれどそれでもやっぱり、これが美味しいとか許せないです。いや、美味しいのですけど。
「見た目は、まあ確かに、慣れてなければちょっと気持ち悪いけど、美味しいだろ?」
望さんの言葉に、お姉ちゃんはもちろん、フィアも頷きます。できれば生きているところを見ずに食べたかった、と思う程度には美味しいです。
「ちなみに似たものでいかもある」
そうして出されたのは、たこに似ているけど明らかに違う、真っ白なものでした。食べてみると、たこと同じような弾力に、こちらは甘みがあります。美味しい。
「生きているものはこちら」
さすがに実物は用意していないのか、望さんがすまほで動画を見せてくれました。
白いうにょうにょでした。たこと似たり寄ったりです。日本の人はなんでこれを食べようと思ったのか、正気を疑います。
「ふむふむ。あっちにもいるかな?」
まさか、探すつもりなのでしょうか。
「お、お姉ちゃん、探すの……?」
「へ? うん、まあ、いるなら……って、なんで泣きそうになってるの!? ほらほら、よしよし」
お姉ちゃんが撫でてくれます。とても気持ちいいのですが、今はそれよりも言いたいことがあるのです。
「お姉ちゃん」
「うん」
「探さないで」
「よし分かった。こっちで食べるだけにする」
通じました。フィアの熱意が通じました。思わず安堵のため息をついてしまいます。それぐらい、フィアにとっては怖いものだったのです。怖いというより気持ち悪いというべきか。
「でも食べるのはいいよね。ほれほれ」
「あむ……」
お姉ちゃんが指先でつまんだいかをぱくりと食べます。美味しいのです。美味しいからこそ許せないのです。
「むう……」
フィアが頬を膨らませると、お姉ちゃんは不思議そうに首を傾げていました。
どうやらたこといかに関してはお姉ちゃんと分かり合うことはできないようでした。
「もう分かってるとは思うけど、たこ焼きの中に入っているのがこのたこだ」
「ほうほう」
「このスルメはいかだ」
「おお! びっくり!」
日本の食べ物は不思議がたくさんです。フィアはお姉ちゃんの膝の上でお茶を飲みながら、遠い目をしていました。
壁|w・)たこといかは鉄板ネタだと思うのです。