19
「なんだこれ」
知った顔がいっぱいだ。知ってるけど挨拶をしたことがない顔がいっぱいだ。イリスは新橋家のリビングで、頬を引きつらせていた。隣ではフィアがきょとんと首を傾げている。
「あらあら、いらっしゃいイリスちゃん。オムライスを作ったけど、食べる?」
「食べる! ……あ、いや、そうじゃなくて」
「いらないの?」
「いるけど! でもそうじゃなくて!」
「冷めちゃうわよ?」
「ちくしょう! 食べる!」
ハルカのお母さんは押しが強すぎると思う。さすがハルカの母親だ、侮れない。
――どういう意味かな?
――何でもありません。
テーブルに並べられるのはほかほかと湯気の立つオムライスだ。ハルカの母親特製のオムライスだ。子犬の模様がある。色々と言いたいことはあるが、オムライスを目の前に出されて話を続けられるほどイリスは賢くない。イリスの頭の中はオムライスで一杯だ。
しっかりとフィアのお皿もある。フィアと二人並んで座り、食べ始める。ふわふわ卵のとろとろ卵のケチャップライスの美味しいオムライスだほっぺた落ちるああ幸せだもう世界滅んでもいいうまうま。
――よし落ち着こうかイリス。美味しいのは分かったけど、もう意味が分からなくなってるよ。あとちょっと物騒だよ。
――幸せ。
――あ、うん。だめだこれ。
相好を崩して、幸せに浸りながら食べ続ける。それを見ていたハルカの両親は、揃って優しげに微笑んでいた。
「美味しそうに食べてくれて、私も嬉しいわ」
「うん。ねえ、イリス。そろそろお話を……」
「うまー」
「…………。後にするね……」
響子が何か言っているような気がするが、きっと気のせいだ。全ての優先はオムライスであり、それ以外は全て後回しになるのは世界の常識だ。
――そんな常識があってたまるか。
ハルカが何か言ってるか、やっぱり気にしない。
たっぷりと時間をかけて、しっかりと味わって、オムライスを完食した。ふう、と一息つき、余韻に浸る。やはりオムライスは素晴らしい。至高の料理だ。
と、そこで我に返る。改めて部屋を見回すと、苦笑している面々が視界に入る。
響子と望にハルカの両親、そしてセルディだ。
「なんだこれ」
改めてイリスが言うと、ハルカの母が笑いながら言った。
「改めて、初めましてと言っておくわね。遙と響子の母で、直子よ」
「父の健蔵だ」
二人の挨拶。イリスは怪訝に思いながらも、小さく頭を下げた。
「イリスです。えっと……。ハルカにはお世話になっています」
この挨拶で間違いないだろうか。少し不安になる。
それにしても、この二人の名前を初めて聞いたかもしれない。思い出せば、ハルカは妹のことは名前で呼ぶが、両親のことはお父さんとお母さんだ。直接挨拶を交わすこともなかったので、今の今まで名前を知る機会がなかった。
――そう言えば確かに言ってなかった。お母さんが直子でお父さんが健蔵だよ。
――それさっき本人から聞いたよ。
もっと早くに教えてほしかった、と少し思う。まあ別にいいのだが。
「それで、どうして二人がここにいるの?」
「望君から連絡を受けたからよ。たまたまここに来た時に、響子が帰ってきたの」
「君もまた戻ってくると聞いたから、こうして待っていたわけだ」
「あー……。なるほど」
分かったような、分からないような。響子が待っていたのは分かるのだが、両親が待つ必要はなかったと思う。単純に心配だっただけだよ、とハルカが教えてくれて、ようやく少しだけ納得できた。
「補足しておくけど、セルディから向こうでの生活のことは聞いたけど、転移のことについてはまだ聞いてない。セルディからの話は必要か?」
そう聞いてきたのは望だ。転移あたりのことは興味があるが、向こうでの生活についてはどうでもいいと思っている。嘘をついてまで響子を従わせようとしていたことは不愉快だが、しかし響子の様子を見ると決して悪い扱いではなかったはずだ。
それならそんな話はどうでもいい。気になるのは、やはり転移の前後だ。というよりも、イリスが知りたいのはたった一つのことだ。
「ねえ、響子」
「うん」
「女神様には会った?」
「え……」
イリスに問われた響子が目を丸くする。周囲の人も興味を示したかのように響子を見ている。響子はわずかに逡巡していたようだったが、やがて、イリスにならいいかと口を開いた。
「会ったよ。あちら側で会話に困らないようにする能力と、魔力をもらったから」
「うん。他には何か言われた?」
「え? えっと……。謝られただけ、かな」
なるほど。あの子らしい。イリスはそっか、と淡く微笑んだ。今ではもう会うことはないが、ある意味では元気そうで何よりだ。
――イリス、女神様って知ってるの?
――うん。ハルカがイメージしてるような、全知全能の存在じゃないよ。精霊たちの最上位。統括役。まあ全知全能に限りなく近いし、実際にあの世界の管理をしてるけど。
――そんなのがいたのか……。
ちなみにドラゴンの完全上位互換でもある。父が唯一従う相手だ。
「響子。女神様のこと、嫌わないであげてね。あの子、色々できるけど、それでも制限があるから」
例えば転移関係が分かりやすいだろう。あの世界だけの転移なら女神は干渉できるが、別の世界に関わるものだとその世界の神にも話をしなければならない。送り返す、ということができないのだ。イリスが行っていることに関しては、きっと自分に言うなと突っぱねていることだろう。
「うん。私はそれが聞けたら満足」
イリスはそう言うと、静かに目を閉じた。
――それじゃあハルカ。あとは任せるね。
――はい? 急に何言ってるの?
――とりあえず帰るのは明日の朝ってことで。それまで家族水入らずで過ごせばいいよ。
――いやいや、ちょっと待ってそんないきなり心の準備が……!
――ふぁいとー。
――えええ!?
・・・・・
目の前のイリスが目を閉じたかと思うと、瞬く間にその髪の色が変化した。唐突なその変化に響子たちが驚いていると、イリスがゆっくりと目を開けて、そして大きなため息をついた。
「急すぎる……」
「あ、ハルカお姉ちゃん」
イリスの隣の、フィアの声。何となくそんな気がしたので響子はやっぱり、という程度だったが、両親はそうはいかなかったらしい。口をあんぐりと開けて固まってしまっている。
「フィア。ちょっと君のお姉ちゃん、無理矢理すぎるよ。いきなりすぎて困るんだけど」
「んー? ハルカお姉ちゃんもお姉ちゃんだよ?」
「ああもうかわいいなあ! ぎゅっとしちゃう!」
「きゃー!」
小首を傾げるフィアと、そのフィアを抱きしめるイリス改め姉。楽しそうなフィアの様子を見ていると心が和んでくる。ただ、ちょっとだけ、どうしてあの場所に自分がいないのだろうと、本当に少しだけ、嫉妬してしまう。
「ん? なになにどうしたの響子。そんな顔して。撫でてほしいの? それともぎゅってしてほしいの?」
まさかの姉からの申し出に、響子は一瞬だけ言葉に詰まってしまう。口にするのは恥ずかしいが、それでも、次の機会があるのかは分からない。
「その……ぎゅ、で……」
「はいはい。よいしょ」
姉が立ち上がり、響子の目の前まで歩いてくる。そしてそのまま、抱きしめられた。
「ぎゅー」
「…………」
ああ、姉だ。分かっていたことなのに、涙が溢れてくる。撫でてくれる姉の手が心地良い。
「遙……?」
ようやく立ち直った両親の声に、姉が笑いながら軽く手を振る。それだけで、二人は瞳を潤ませた。
「ところでさ、聞いてよ響子」
「ぐす……。なに? お姉ちゃん」
「あれだけ雰囲気出してお別れしたのにこうもあっさり会っちゃうと、いろいろと台無しだと思わない?」
「お姉ちゃんの発言そのものが今の雰囲気を台無しにしてるからね?」
「なんと」
信じられない、といった様子の姉に、響子はため息をつきたくなった。ちょっとこの姉は妙なところでおかしい気がする。
「ま、いいや。お母さん、私もオムライス!」
「ちょっと自由すぎるよお姉ちゃん!」
「ずっと自由なイリスと一緒だったからね!」
「さらっと責任をなすりつけた!?」
けらけらと楽しげに姉が笑う。色々と言いたいことはあるが、こうして元気な姿を見られただけで十分だと思うべきだろう。むしろ言いたいことなんて綺麗さっぱり頭の中から消えてしまった。
「お母さんオムライス!」
「はいはい。作ってくるわよ」
苦笑する母と、呆れつつも笑顔の父。お手伝いします、と望は母についていく。
「お姉ちゃん、すっごく嬉しそう」
その様子を眺めながら、フィアは我が事のように嬉しくなって、つられて笑顔になっていた。
・・・・・
響子を日本に送り届けてから、一週間が経った。現在、イリスは果て無き山でのんびりと過ごしている。王都に戻る気は残念ながら起きない。もうしばらくしたら、ケイティたちを迎えに行く程度はするが。
ちょっと色々あって疲れた、というのが本音だ。体力的に、ではなく精神的に。
「ふぃあー。みかんー」
「はーい」
こたつでぬくぬくしつつ、フィアにむいてもらったみかんを食べる。至福。
「はい、お姉ちゃん。あーん」
「あーん」
至福。
――おい堕落龍。そろそろ動きなさい。
――えー……。
――姉としての威厳が薄れてるどころかゼロに近いよ自覚しなさい。
――それはこまる……。でもおこたが悪いんだ……。
――さすがおこた。ドラゴンまで堕落させるなんて。
このこたつはもちろん日本から持ち込んだものだ。望がイリスの持ち込んだものを売ったお金で色々と買ってくれたものにあった。最初は、そんな部分的に暖かいとかなんの意味が、なんて思ったものだが、今なら全力で土下座できる。こたつすごい。
「ぬくぬくー」
「ぬくぬくー」
フィアと二人、だらんとする。ちなみにディアボロも半身を入れて堪能している。最近はフィアの護衛ということもありフィアの影の中にいることが多いディアボロだが、彼もこたつの魔力にはかなわなかったらしい。
――人類がドラゴンに対抗できる唯一の兵器、こたつ。なんだこれ。
ハルカが何か呆れているが、全てこたつがわるい。ああ、こたつ。すごい、こたつ。至福なり。
――まあ真面目な話、そろそろ何かしようよ。
――んー……。まあ、そうだね……。ケイティを迎えに行ったら、また日本に行こうかな。
――次は何を食べたいの?
――んー……。
もぞもぞと動き、こたつの側に置かれている本の山に手を伸ばす。この本も当然ながら日本から持ち込んだもので、半分以上が食べ物関係の雑誌になっている。イリスはその中から、秋の味覚という特集が組まれた本を引き抜き、こたつの上で開く。フィアが身を乗り出して一緒に見てきたので、とりあえず撫でておいた。
――これ。
――焼き芋って。
焼き芋の写真がでっかく載っている。見た目からとても甘そうで、なんだかねっとりしていそうな焼き芋だ。黄金色に輝いている。美味しそう。絶対に美味しい。
「美味しそう」
フィアも同意見のようだ。これはもう、行くしかないだろう。
「よし、やきいもをたべにいこうー」
「いこうー」
「でももうすこしのんびりしよー」
「しよー」
もぞもぞと、おこたの中にもぐる。横になって、一息。至福。
――ぐだぐだだよ!
ハルカが何か言っている。イリスは欠伸をしつつ、目を閉じて、そして言った。
今更だよ、と。
壁|w・)おこた最強説。
おこた>(越えられない壁)>兵器
もっと分かりやすく言えば。
おこた>ケルベロス
明日は閑話です。時間はてきとう。




