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「は……?」
「いやね、気持ちが分からないわけじゃないよ。私だってフィアが大変なことになったら、手段を選ぶことはしないし。ましてや君の実の子供だもんね。手段を選んでいられないってのは、まあ、分かる」
意外なことに、龍の少女は王へと理解を示してくれている。おお、と宰相と将軍も安堵の色を浮かべている。王も、思わず安堵のため息をついた。
「でも」
少女が王を睨み付けてくる。その少女からの威圧感に王の表情が凍り付いた。両隣も先ほどの表情から一転して、絶句していた。
「そんなことは全てどうでもいい。君たちは響子を巻き込んだ。私の友達の妹を巻き込んだ。ただそれが許せない。とても不愉快」
「な……! そんなものはあなたの感情ではないですか!」
思わずといった様子で将軍が叫び、その直後、将軍の体が吹き飛んだ。壁にめり込み、そのまま気を失う。一瞬の出来事だった。何をされたのか、全く分からなかった。
「だからなに? 君たちが王子を助けようと異世界の子を巻き込んだのは、結局は王子を助けたいっていう君たちの感情でしょ? だったらその結果、私の感情に罰されても文句は言えないよね? いや聞かないけどね文句とか」
ゆらりと。少女が立ち上がる。王も宰相も動けない。凍り付く二人へと、少女は言った。
「魔方陣、見せて」
案内した先は地下室だ。そこには勇者召喚の魔方陣が未だに残されている。少女が次に命じたのは、この魔方陣に関わる資料を全て持ってこい、というものだった。
「一応言っておくけど、隠さないでね。隠したら、その時点でこの国を滅ぼす。隠したやつは魂ごと燃やし尽くす。いいね?」
王の指示のもと、本やメモなど含め、全ての資料が運び込まれた。その全てが魔方陣の上に並べられ、山積みにされていく。誰もが、顔を真っ青にして震えていた。
「これで全部?」
少女の問いに、その場にいる全員が頷く。
「個人のメモとかも忘れてないね? 一文だけでも残ってたら、分かるよね?」
再び感じる威圧感。それだけで、この少女の本気が分かる。ここで隠そうものなら、次こそ問答無用で滅ぼされるだろう。念のためにと手分けして城中をくまなく探し、さらに数枚のメモが増えた。
「あの、これは隠していたわけではなく……」
「いいよ。分かってる」
呆れたような少女の声に、報告をした青年が震え上がる。青年は震えながらも、そっと下がった。
「古い本とか、貴重な資料とか、あるのは分かってる。価値で言えば、大金貨で数十、数百枚になったりするかな?」
「おそらくは、そうでしょう」
これからこの少女が何をするか、見当がつく。だが止めることなどできるはずもなく、止める権利もそもそもない。後ろに並ぶこの研究に関わった何人かは止めたそうにしているが、しかしこの少女に声をかけることなど、できはしないだろう。
「ひー」
唐突な間延びした声。なんだそれは、と思った直後、地獄の業火もかくやという炎が部屋の中を燃やし尽くす。ひっ、と誰かが悲鳴を漏らしたが、責めることなどできるはずもない。しかし不思議なことに、その炎はこちらまで燃やすことはなく、燃え広がることもなく、部屋の中を蹂躙するだけだった。
本も、資料も、価値あるものもないものも。全て残さず、灰すらも残さずに燃やし尽くし、ようやく火が消え失せた。
後に残されたのは、真っ黒に焦げ付いた地下室のみだ。床に描かれた魔方陣すらも消失していた。
「こんなところかな」
全てを燃やし尽くした少女だけがどこか満足そうに微笑んでいる。あれだけのことをしておきながら、何でもないことのように笑っている。事実、少女にとってはその程度の魔法ということなのだろう。その事実に、改めて畏怖を覚えた。
「さて」
少女が振り返る。先ほどまでとは違い、無表情に戻っている。どちらが本当の彼女なのか、王たちには見当もつかない。
「本当は、この件に関わった人も全員燃やしたいところだけど」
少女の言葉にその場にいるほぼ全員が身を硬くする。王だけは静かにその言葉を聞いている。王は責を負うべきだという自覚がある。できれば自分一人だけで手を打ってほしい。言葉を聞き終えてから、そう言うつもりだった。
だが、少女はもういいけど、と手を振った。
「もうこれで勇者召喚なんてことはできないだろうし、終わりにしてあげる」
「それは……よろしいのですか?」
「うん。私たちにも責任があることだしねー」
あはは、と笑う少女に王が首を傾げる。少女たち、つまりはドラゴンにも何かしらの責任がある、ということだろう。だがこの件にドラゴンは関わっていないはずだ。不思議に思っていると、隣にいる宰相が口を開いた。
「失礼ですが、責任とは一体?」
「んー。王子の呪いだけどね、あれが残っていたのはドラゴンの解呪もれだから」
「は?」
意味が分からない。そう思ったのは王だけでなかったようで、大勢が呆けている。少女が続ける。
「ドラゴンが戦争の仲裁に入った時にはすでに呪いが広まってて。さすがにこの呪いは放置できないってことで、当時のドラゴンが解呪したんだよ。ただどこまで広がっているのか分からなかったから解呪もれがあったみたいで。それが王族だったみたいだね」
「それは聞き捨てなりませんな」
この研究において責任者を務めていた男が剣呑な声を上げた。少女へと敵意を込めて睨み付ける。不思議そうに首を傾げる少女へと、男が言った。
「その話が本当なら、今回のことはドラゴンの手落ちでしょう。何故我らばかりが責を負うのですかな? ここはドラゴンにも誠意を見せていただきたいところですな」
「よせ」
あまりの発言に王が制止する。だが男はそれに気づいていないのか、少女へと続ける。
「せめてあなたが燃やした資料程度に価値あるものを補償として……」
その、瞬間。ぞわりと。背筋が凍り付いた。今までのものが児戯と思えるほどに濃密な、未だ生きていることが不思議に思えてしまうような、濃密な殺気がまき散らされている。先ほどまでの勢いはどこへやら、男は完全に動きを止めていた。
「なにそれ?」
少女が言う。一歩、また一歩と、男へと近づいて行く。男は少女から逃げようと後じさり、満足に動くこともできずにその場に尻餅をついた。それを笑える人間はここには誰もいない。自分が当事者なら、間違い無く同じことになっていただろうから。
少女は男の元まで歩くと、冷たい目で見下ろした。
「戦争をやってたのは人族と魔族。呪いをかけたのは魔族で、呪いを受けていたのは人族。ドラゴンは情けをかけて解呪しただけだよ。解呪もれは悪いとは思うけど、元は君たちの問題だと思うけど? それとも、呪いを放置して全員死んでいた方が良かったの? その方がいいなら今からこの街を跡形もなく消してあげるけど」
「申し訳ありません。浅慮な発言でした。どうかご容赦を」
慌てて王が頭を下げた。男がまともに謝罪できるとは思えなかったためだ。それに追随するように、その場にいる全員が頭を下げていく。少女はつまらなさそうにそれらの人間を一瞥して、ふん、と鼻を鳴らした。
「もういいよ。ともかく、これ以上は私はもう関与しない。王子の呪いは解呪されたし、召喚された子も保護して日本に送り返した。資料も燃やしたから後に続くこともない。これで終わり。それでいいよね?」
「はい。もちろんです」
十分だ。殺されることも覚悟していたのだから、この程度なら問題はない。確かに貴重な資料も多くあったが、また少しずつ研究を始めればいいだけだ。召喚については触れないように徹底しなければならないが、たったそれだけでまだ取り戻せるものだ。
少女はならよし、と頷き、
「それじゃあ、私は帰るから。もう馬鹿なことを考えちゃだめだよ。特に王様。せっかく平和なんだからさ、今更魔族にちょっかいかけるのはやめようね」
「はい……。息子たちにも、徹底させます」
「うんうん。平和が一番だからねー。それじゃあ、さよなら。もう会う機会がないことを願うよ」
ひらひらと少女が手を振る。それを見て、慌てて王が叫んだ。
「お待ちください! 貴方のお名前をお聞かせいただいても……」
「んー? まあ、それぐらいなら。イリスだよ。龍王レジェディアの娘、イリス。じゃあね」
てんいー、という間延びした声の直後、少女の姿は忽然と消えていた。伝説に残る転移魔法というものだろう。もっとも、それ以上の驚きが直前にあったので、転移魔法程度で驚くことはなかったが。
「龍王の娘……。ドラゴンの姫君だったのか……」
逆鱗に触れなくて良かった、と心の底から安堵する。ドラゴンとの全面戦争など考えたくもない。
いずれ詫びの品を果て無き山に献上しよう、と心の中だけで決めて、王は全員を立ち上がらせた。未だ衝撃から抜け切れていない者が多いが、仕方がないだろう。
王は宰相を連れて、疲れた足取りで執務室へと戻っていった。
・・・・・
壁|w・)やってることは脅しだけ。典型的な小物。だから怖くないよ。
オムライスをあげたらきっと願い事を叶えてくれる、そんなドラゴンだよ。
次で第五話ラストです。