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「とりあえず、まずは日本に戻ろうか。いろんな人が心配してるだろうし。セルディ、でいいよね? 君も日本に行くといいよ。響子に付き添ってあげて」
「それは……。いいのですか? 私が行っても」
「悪いことをしなければ別にいいよ。ただその格好は目立つから、人目は避けてね」
ほら行くよ、と二人の手を引いて黒い穴へと向かう。それに慌てるのは響子だ。、
「ま、待って! まだ気持ちの整理が!」
「そんなものは向こうでしなさい」
「で、でも、やり残したことも……!」
「ん?」
黒い穴の前で歩くのを止める。立ち止まったことに響子が安堵のため息をつき、セルディはどこか残念そうにしていた。セルディは響子の世界に興味があるのかもしれない。
「やり残したことって?」
この世界に来ることは、おそらくもうないだろう。思い残すことがあってはならない。そう思って聞いてみると、響子は答えてくれる。
「その、王子様が呪いにかかってて。魔王を倒すのは難しくても、せめて何か手がかりでも……」
「ああ、なんだ。そのことか。それなら大丈夫だよ」
どういうことかと首を傾げる響子に、イリスは笑顔で言った。
「その王子を知ってる人に、エリクサーを渡しておいたから。今頃はもう治ってるかもしれないよ」
「え? ……本当に?」
「うん」
「あ、あれ? 私の呼ばれた意味って一体……」
なにやらひどく落ち込んでいる。呼ばれた意味がなんだったのか聞かれても、それを知っているうのは王様たちだろう。イリスには分からないことだ。
――その辺りは後で聞けばいいよね。
――だね。今はとにかく……。
「これで心残りはないよね?」
イリスが笑顔で聞いて、響子は少しだけ考えてすぐに頷いた。今度こそ大丈夫のようだ。
二人を連れて、黒い穴を通る。視界が変わり、暗い部屋に移動する。先ほどとは違い、太陽の光が薄く入ってきており、さらに狭い。あの洞窟とは雲泥の差だ。イリスとしてはどちらも良いところがあるので好きだが。
「それじゃあ、社の外に転移させるからね。その後は望に会って、保護してもらいなさい。セルディは説明役。言葉が通じる魔法をかけておくから、向こうで何があったかを教えてあげて。分かる範囲でいいから」
「あれ? イリスは一緒に来ないの?」
響子が不思議そうに聞いてくる。イリスとしても一緒に行きたいとは思うのだが、けれど今は他にやるべきことがある。
「私はあっちで話を聞きに行かないといけないからね」
その言葉で何となく察したらしい。響子は苦笑を浮かべ、セルディはわずかに顔を青ざめさせている。セルディとしては母国の問題だ。やはり気になるのかもしれない。
「心配しなくても、滅ぼしたりはしないよ。響子の友達の帰る場所を奪うようなことはしないから、その点は安心してね」
もっとも、あちら側が敵対の意志を示した場合はその限りではないが。
じゃあまた後で、と響子たちに手を振って、転移させた。
さあ、戻ろうか。
・・・・・
響子とセルディが転移した先は、林の中、小さな社の前だ。恐らく先ほどまでいた部屋はこの社の中なのだろう。それはつまり、この社の中にあの異世界に通じる穴があるということだ。こうして外から見ているだけでは、そんなものがあるとは思えない。
さてここはどこだろう。一瞬だけ考えてしまうが、すぐにイリスの言葉を思い出す。望の神社の側にある社だと言っていた。その社の位置なら、響子も地図を見たことがあるので覚えている。
「セルディ。行こっか」
「ええ」
セルディと共に神社に向かう。できるだけ人目を避けて、とは思うが、かといって全て避けられるわけでもない。通りすがりの人からは、好奇の視線を向けられている。
だがセルディは特に何も思っていないようで、むしろ興味深そうにそういった人を見ていた。人、というよりも服装を見ているらしかったが。
「この世界は本当に平和なのね。誰も剣なんて持ってないもの」
「まあ持ってたら捕まるしね……」
ちなみにセルディの剣は先ほどの社に置いてきた。目立たないように社の裏手側に、しかも砂をかけて。セルディは涙目になっていたが、盗まれるよりはいいと判断したようで、黙っていた。
階段を上り、望のいる神社に到着。そして、
「響子……?」
社の前で、望が呆然と立ち尽くしていた。
「えっと……。ただいま、戻りました……」
なんだか妙に気まずい。響子が困ったように頬をかくと、望は短く息を吐いた。
「来い」
望が手招きをして歩き始める。響子とセルディは慌ててその後を追う。
「その子は友達か?」
「はい。あちら側の友達で、セルディです。イリスが説明役に連れて行けって」
「なるほど。丁度良い」
何が丁度良いのだろうか。セルディと顔を見合わせて、しかしすぐに望を追いかけた。
望に案内されて、新橋家へ。そうして通されたのばリビングで、そこにいたのは、
「響子!」
両親、だった。
「え? お父さん? お母さん? どうして……、わぷ」
両親に抱きしめられる。それはもう、すごい力だ。二人とも、二度と離すまいとばかりに、涙を流して響子を抱きしめている。それだけ自分のことを心配してくれていたのだと思うと、嬉しいような、心配かけて申し訳ないような、少し複雑な気分だ。
それと同時に、帰ってきた、と実感して。
気づけば響子も、泣いてしまっていた。
響子が異世界へと転移してすぐ。ケルベロスにイリスへの言伝を頼み、日本に戻ってきたイリスは響子の両親へと連絡した。さすがにこうなった以上は隠すようなことはできないので、包み隠さずに、望が知っている情報を全て開示している。
イリスの名前で信用してくれたらしく、響子の両親はすぐに望の元を訪れた。その後は捜索願を出した上で、定期的にここを訪れていたそうだ。響子が戻ってきていないかと聞くために。
「で、今日がその日だったってわけだな」
「なるほど……」
ようやく落ち着いた響子たちは、そのままリビングでお茶を飲んでいる。セルディは居心地悪そうにしながらも、部屋の隅に佇んでいた。
「それで、あなたに聞けば、どうして響子を攫ったのか教えてもらえるの?」
響子の母がセルディへと言う。セルディは姿勢を正し、しかし申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。私も詳しくは聞かされておらず……。響子様がどのような生活をしていたのかお答えすることはできます」
「それでいいわ。話してもらえる?」
「はい」
恭しく頭を下げたままのセルディ。相手が響子の両親ということで、かなり萎縮してしまっているようだ。響子としては、改めて話されると恥ずかしいのだが。
語り始めたセルディの声に耳を傾けながら、響子はちょっとだけ現実逃避をした。
・・・・・
一体何が起こっている。王は次々ともたらされる報せに、頭を抱えたくなるのを必死に堪えていた。
まず最初の報せは、勇者一行は無事に旅を続けている、というものだ。これはまあ、問題ない。
次の報せは、呪いを癒やす薬、エリクサーが届けられたというものだ。驚き塔へと駆けつけてみると、自分の足で立つ息子の姿が目に入った。その傍らには、Sランクの冒険者であるシュウがいた。どうやら彼が見つけてきてくれたらしい。
「父上。ご迷惑をお掛け致しました」
息子が深く頭を下げる。王はそれを静かに見つめ、そして小さく頷いた。
「シュウ殿。感謝を。よくぞ王子を救ってくれた。何が欲しいものはあるか? 俺が用意できるものなら、どのようなものでも用意しよう」
王子を救ってくれたのだ。どのような財宝でも用意するつもりがある。金貨を積めと言うのなら、自分が動かせる大金貨を全て積んでやろう。そう思っていたのだが、しかしシュウは苦笑して、
「ありがとうございます。ですが、私は結局何もできませんでした」
「む……? どういうことだ?」




