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ケルベロスは困惑していた。どうしてこんな平原のど真ん中に、これほどの人間が集まって移動しているのか。全くもって理解できない。そしてどうして攻撃してくるのだろう。死にたいのかこいつら。
ケルベロスがここにいるのは、イリスを探してだ。最初は部下とも言える下っ端を使いに出そうかと思ったのだが、弱い魔獣では討伐されてしまう可能性もある。かといって今の人間の戦闘能力をケルベロスは知らない。そのため、万全を期して自分で動くことにした。王都の場所が分からずに迷ってしまったのは予想外ではあったが。
最初は警戒しすぎたかと思っていたが、この集団を見ていると、どうやら自分で来たことは正しかったようだ。この中にはどうやらかなりの手練れもいるらしい。自分以下では討伐されていたことだろう。
「ケルベロスか……。なんか、噂とか伝説とかより、雰囲気が違うような……」
「まあ噂とか当てにならないってことでしょ。やるわよ」
会話が聞こえる。視線を下げれば、一組の男女。集団の中ではおそらく最強に近いだろう。イリスの土産話にあった、Sランクとかいう冒険者だろうか。
面白い。ケルベロスは頬を持ち上げる。その直後、男が剣を持って斬りかかってきて、女が魔法を放ってきた。
なるほど、と思う。この二人は確かに強い。以前までの自分なら、下手をすると負けていたかもしれない。
だがあいにくと、ケルベロスも以前とは違う。
イリスは、自分たちの王であるあのドラゴンは、身内にはとても甘い性格だ。そしてその身内には、今ではケルベロスすらも含まれる。色々と無理も言われるが、それ以上に、様々なものを与えてもらっている。鍛えて、もらっている。
つまりは。今のケルベロスにとってSランクなど、雑魚ではないが油断しなければ負ける相手でもないということだ。
ケルベロスは大きく吠えると、魔力で作られた炎を吐き出した。
・・・・・
まさか。まだ覚悟もしていない。彼らが自分のために死んでいくことに納得していない。だが、時間は待ってくれない。
響子はセルディに指示されて、魔力を集めていく。詠唱はない。ただ、魔力を解き放つだけだ。集中。集中。ただ、集中。周りから悲鳴が聞こえてくるが、意識的に聞かないようにする。
怖い。嫌だ。逃げたい。そんなことを思うが、しかし一人逃げたところでのたれ死ぬことが分かりきっている。だから、せめて、早く魔力を集めて……。
「響子!」
セルディの声。響子が目を開けると、ケルベロスの姿があった。まだこちらには気が付いていないようだが、しかしかなり近づいている。その姿をはっきりと見てしまうぐらいには。
大きい。あまりに巨大な魔獣だ。
セルディからケルベロスについて、先ほど教えてもらった。
伝説の魔獣の一体。危険度はぶっちぎりのSランク。Sランクの冒険者が数人がかりでようやく倒せる魔獣だそうだ。だが、どうやらこのケルベロスは伝説よりも強いらしく、冒険者たちは奮戦するも皆が倒れていた。
最早、頼みの綱は響子の魔法のみ。
「いけ……!」
魔力を解き放つ。魔力が形をかえ、極大の光の玉となる。光の玉は凝縮され、そして一本の線となった。
光がケルベロスの首を貫く。首が吹き飛び、一つが大地へと落ちた。
「おお……!」
「すごい……!」
兵士たちから歓声が上がる。だが響子は真っ青になっていた。
失敗した。
ケルベロスは三つ首の魔獣だ。当然ながら残り二つの首があり、その首は悲鳴を上げて、そして響子を睨み付けていた。その瞳を見れば分かる。怒らせた、と。
残り二つの首が、魔力を集めていく。すさまじい魔力だ。魔法に特化した響子に匹敵するほどの魔力。もしもあれを放たれれば、防ぐ手段は、ない。
「そ、そんな……!」
「守れ! 勇者様を守れ!」
「だがどうやって!」
人々が逃げ惑う。響子を守ろうと目の前に立ってくれる。だがそれに、意味はあるのだろうか。
ケルベロスが口を大きく開ける。もう、希望は、ない。
せめて、もう一度、両親に会いたかった。イリスという人に会ってみたかった。そう思った直後。
ケルベロスの巨体が、大地に叩きつけられた。
「はい……?」
間の抜けた声を漏らす。響子だけでなく、その場にいる全員が。そして、それを聞いた。
「ねえ、何してるの……?」
空から降ってくるその声に、響子たちが顔を上げる。そこにいたのは、白銀、だった。
ドラゴン。伝説の中の伝説。この世界における生物の頂点。果て無き山の支配者であり、絶対に敵に回してはいけない存在。そう聞いた存在が、目の前に、いる。
ドラゴンはこちらを一瞥して、そして何故か動きを止めた。遠目にだが、大きく目を見開いているのが分かる。こちらを凝視したまま動かない。誰もが戸惑う中で、やがてドラゴンが大地に降り立った。降り立った後も、何故か響子のことを凝視している。難だろうか。
「うん……。察した。理解した。なんだこの空回り」
ドラゴンがつぶやく。ドラゴンは次にケルベロスを一瞥して、そして柔らかい光がケルベロスを覆った。その光が消えた直後、ケルベロスの首が元に戻っていた。
「そ、そんな……!」
絶望の声が聞こえる。だが今は不思議と、もう恐怖を覚えなかった。
「ケルベロス。何しに来たかは何となく分かった。ただ報告するべき人を殺しかけたのはどういうことかな?」
「いえ、あの、ですね……。本当に、申し訳なく……。その、突然だったので、はい……」
ケルベロスが言葉を発したことも驚きだが、それ以上にその態度に目を丸くする。あの恐怖の象徴のようなケルベロスが、萎縮して小さくなって、ドラゴンに頭を下げている。周囲の人も、その様子を唖然と見守っている。
「まったく……」
ドラゴンはため息をつくと、おしおき、と短く言った。その直後、ドラゴンの尻尾がぶれた。そして、轟音。気づけばケルベロスは大きく吹き飛ばされ、かなり遠い場所に倒れていた。このドラゴンの仕業らしい。
自分たちが全滅しかけた相手を、軽くたたき伏せる。これが、この世界の、頂点。
「ケルベロス! 今ので許してあげるから、山に帰るように! 今すぐ! はりあっぷ!」
ん?
響子が首を傾げる。今、このドラゴン、何を言った? はりあっぷ。英語の、あれ、だろうか。ドラゴンが? どうして?
そもそもこのドラゴン、響子を見て驚愕しているようだった。何故?
まさか、と思いながらドラゴンを見る。ドラゴンはまた響子を見て、そして次に。
「この国滅ぼしてやろうか」
どうやらこのドラゴン、本気で怒っているらしい。誰もが震え上がる中、誰かの声が響いた。
「お待ちください! ドラゴンよ!」
見れば、響子の馬車に同乗していた将校だ。彼が言う。
「何があなた様の逆鱗に触れたのか存じませんが! まずは話し合いを……!」
「何が? 異世界から響子を召喚して巻き込んだことだけど?」
「は……? 勇者様をご存知なのですか?」
「んー……」
ドラゴンは何かを考えるように視線を空へと向けて、やがて、めんどくさい、と聞こえてきた。
「は、あの……?」
「巻き込むにしても多すぎる。今から転移してあげるから、飛ばされた人は王都に帰りなさい」
「お待ちください、何を……!」
「はい、てんいー」
気の抜けるような声。思わず響子が脱力しかけるが、次の起こった現象に目を剥いた。
いなくなっていた。大勢の兵士が。一部の将校とセルディ、そして負傷者をのぞき、全員。
宣言通り、転移させたのだろう。あれだけの人数を、あの一瞬で。
「はい。偉そうな人は働いてね」
呆然とする残された人々に、ドラゴンの間延びした声が届いた。
ドラゴンの指示のもと、負傷者は一カ所に集められた。数人の将校をのぞき、今はドラゴンの魔法にで眠らされている。ドラゴンはそれらの負傷者に治癒をかけて癒やすと、先ほどと同じように彼らも転移させてしまった。
残されたのは、五人。響子とセルディ、将校二人と、響子の指導役である魔法士。
「これで落ち着いて話せるね」
ドラゴンがそう言うと、その姿を光が包む。光は小さくなり、光が消えると一人の少女が立っていた。長い銀髪に白いローブの少女であり、そしてその顔は、響子のよく知る顔だ。
「もしかして、あなたがイリス……?」
響子がそう言うと、イリスと思われるドラゴンは苦笑しながら頷いた。
「まさかこうして会うことになるなんてね。ハルカが、元気そうで良かった、て言ってるよ」
どうしよう。それを聞けただけで、この世界に来て良かったと思えてしまう。だが次の言葉が衝撃的だった。
「でもこの国に対してはかなり怒ってるんだよね。宥めてるところだけど、落ち着く様子もないし。私もちょっと思うところがあるんだよね。ねえ、あの王都、消し飛ばしていい?」