12
――目立ちたくないんだけどなあ……。
――今更だね!
――だねー……。
宿でお留守番しているフィアには謝らないといけない。これが終わったら、また気晴らしに日本にでも行こう。
イリスは小さくため息をついて、ビルドーへと言った。
「分かった。情報ありがとう」
「いや。その、だ。もしよければ、シュウに協力してやってくれるとありがたい」
「気が向いたらねー」
イリスは軽く手を振って部屋を後にする。扉を閉める時に、肩を落としたビルドーの姿が見えたような気がした。
宿に戻ったイリスは手早く荷物をまとめていく。突然の指示にフィアは驚いていたが、素直に手伝ってくれている。いい子だ。なでなでしよう。
「うりうりうり」
「きゃー!」
フィアを抱き寄せて撫でると、フィアが楽しそうな声を上げる。そのまま体をすり寄せてくるのだからやっぱりかわいい。うちの子かわいい。世界一かわいい。
――イリス……。
呆れたようなハルカの声に、むしろイリスは不満げに言った。
――かわいくない?
――いや、かわいいけどさ!
ならばよし。
しばらくフィアの撫で心地を堪能していると、フィアが上目遣いになってこちらを見つめてきた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
「急にどうしたの?」
「え? あー……」
フィアに説明する必要はないのだが、かといって黙っておく必要もやっぱりない。故にイリスはざっくりとした経緯をフィアに説明する。それを聞いたフィアは、なるほどと納得したように頷いていた。
「じゃあ昔のドラゴンさんがやらかしちゃったことを、お姉ちゃんが誤魔化すってことだね」
「その通りだけど言い方に毒を感じる……!」
「だってお姉ちゃんが気を病む必要ないもん。ドラゴンさんに文句言う」
「いやいや、まあ連帯責任だよ。うん」
確かにイリスが関与していないことではあるが、それでも同じドラゴンがやらかしたことだ。むしろドラゴンの責任はやはりその王である父が負うものだろう。娘のイリスが代わりに色々と動くことは、不思議ではない、ような気がする。
それに、シュウには今でも時々ご飯をご馳走になっている。最初の情報料だと言われているが、そのお礼と思えば安いものだ。
「この後はどうするの?」
フィアも、イリスがもう何をするか決めているのを察しているのかもしれない。特に止めようとはしてこなかった。
「まずはシュウを探す。その後に王様に会って、出兵を止めてもらう。王子が治ったら問題ないわけだし」
直接治しに行ってもいいが、きっと信用してはくれないだろう。それならシュウを介した方が手っ取り早いはずだ。
今日は帰り支度をして、ケイティたちに連絡して、明日シュウを探そう。そう決めて、イリスは準備を急いだ。
三日後。ようやくシュウが帰ってきた。情報を受けて王都の外に出かけていたらしく、会うまでとても時間がかかってしまった。
今のところ、王城では大した騒ぎは起きていないから、まだ勇者は王城にいるはずだ。何とか間に合った。
「シュウ!」
宿に入ってきたシュウを呼ぶ。シュウはイリスの姿を認めると、淡く微笑んだ。眉尻を下げた、いまにも消えてしまいそうな微笑みだ。固まるイリスに、シュウが言う。
「やあ、イリス」
「どうしたの? なんというか……悲しそうだけど」
「ああ……。ちょっとね……」
意気消沈したその姿を見ると、彼の友達に、つまりは王子に何かあったのだと察することができる。だが、まだ時間はあるはずなのだが。
「ちょっと来て」
シュウの手首を掴み、自分の部屋へと引っ張っていく。Sランク、つまりは人族の最高戦力の一人であるはずのシュウは、なすがままにイリスに引っ張られていく。
自分の部屋の扉を開けて、中に入れる。みかんの缶詰を食べていたフィアがきょとんとした様子でこちらを見て、そしてすぐに隣の部屋へと向かった。察しが良くてとても助かる。ご褒美に桃の缶詰も開けてあげよう。
だがとりあえずは、シュウだ。椅子に座らせて、頬を叩く。胡乱げな瞳がイリスへと向いた。
――な、なんだか怖い目だね。
――心ここにあらず、みたいな感じだね。
「何があったの?」
イリスの問いかけに、シュウは小さくため息をついて、言った。
「友人の意識がなくなった」
「ああ……。そっか……」
あの呪いの特徴だ。最初は足先、指先から石化が始まり、やがて腕もしくは足の全てが石になると、意識がなくなってしまう。あとはもう、呪いが解かれるまで意識が戻ることはない。
「間に合わなかった……」
悄然と項垂れるシュウに、少しだけいらだってしまう。諦めるのが早すぎるだろう。
「シュウ」
イリスが呼ぶと、シュウが再び顔を上げる。そのシュウへと、言う。
「今からやることは、秘密にしておいてね」
本当は、完成品のエリクサーを手に入れたと渡すつもりだった。だがそれでは、信じてもらえないかもしれない。なら、もう考えるのが面倒だというものだ。
例のごとく。巻き込んでしまえ。
空間魔法の穴からポーションを取り出す。使いやすいように瓶詰めされたものだ。そのポーションの蓋を開けて、そして次にイリスは自分の指先を軽く切った。
「何を……?」
これにはシュウも戸惑いの表情を浮かべている。そんなシュウに笑いかけ、イリスは指先からぷっくりと膨らんできた血を、ポーションの瓶の中へと落とした。
途端に中のポーションが赤く染まっていく。混ざり合い、溶け合い、深紅へと。そして水だったそれは、粘りけのある粘性のものへと変化した。
ポーションの瓶をひっくり返す。ぽとりと、中身が落ちる。それは水のように広がることはなく、スライムのように丸みを帯びて固まっていた。触るとぷるぷるとした触感がちょっと楽しい。
目を丸くして固まるシュウの目の前で、イリスはそれを再び瓶に戻し、シュウへと差し出した。
「あげる。エリクサー」
「な……! それは、つまり……」
「うん。こいういうこと」
ずっと被っていたフードをはずして白銀の髪を見せる。それを見たシュウはただただ大きく見開いていた。
「ドラゴン、だったのか……」
「うん。ごめんね、黙ってて。ほら、私の気が変わらないうちに受け取ってよ」
ゆらゆらとシュウの目の前でエリクサーの瓶を振ると、シュウは慌てたようにそれを手に取った。大事そうにそれを持ちながら、イリスを見る。どこか、訝しむような目だった。
「どうして急に?」
「んー……。後始末、かな?」
「後始末?」
「そう。まあ、気にしないでいいよ」
その代わり、と続ける。
「王様に、出兵を取りやめるように言っておいてよ。これで王子が治るんだから、攻め入る必要はないでしょ?」
「どうしてそれを……。いや、ビルドーさんに聞いたのか。まあともかく、ごめん、それは無理だ」
どうして、とイリスが思うよりも早く、シュウは言った。
「もうすでに出兵した後だよ」