01
そこは質素な部屋だった。広い部屋だが、置いてあるものは大きな円卓と椅子が十ほど。一つの椅子だけ他の椅子よりも飾り付けがあるが、その程度の違いだ。窓の外からの景色はこの街を、王都を一望できるものだが、それだけである。
最近使われる用途を考えれば資料の棚ぐらいはあってもいいと彼は思うのだが、隣に資料室があることを考えればそれも面倒だと思えてしまう。
現在この部屋にいるのは、八名。飾り付けのある椅子に座るのは、この国の、つまりは人族の王だ。三十代半ばの王は、自ら剣を手に取ることもあり、引き締まった体つきをしている。民からの人望も厚く、歴代の王の中でも間違い無く名君と言えるだろう。
だが今は、道を踏み外そうとしている。それは王自身も自覚していることであり、この部屋にいる全員もまた、分かっていながら止めようとしない。
これが、残された唯一の方法だから。
「では、これより地下に向かい、儀式を始めるとする」
王が重々しく口を開く。その声は、未だに苦渋に満ちたものだ。できればこの様な方法など取りたくはなかったと、そう思っていることが誰でも分かる、そんな声だった。
「陛下。このたびの罪は我ら全員のもの。陛下お一人のものではありません」
「む……。だが、俺が諦めれば、それで済むことではある……」
「何を仰っているのですか。見捨てることなどできないと、ここにいる誰もが思っております。それに、他の方法を見つけられなかったことは、我らの罪です。そうですな、王の罪は、決定を下すこと、でしょうかな?」
いたずらっぽく笑いながら年老いた男が言う。宰相として王を補佐する老人だ。その宰相の言葉に、王は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「俺と共に来てくれるお前たちを、誇りに思う」
「もったいなきお言葉です」
「地獄に落ちる時は、共に行こう」
「はっ!」
王へと全員が頭を下げる。王はゆっくりと立ち上がると、先ほどまでの表情は全て捨て、威厳ある王の仮面を被った。
「行くぞ」
王とその臣下が部屋を出て、廊下を歩く。先ほどの部屋とは違い、豪奢な造りの廊下だ。様々な調度品などが並んでいる。これらはかつての王たちが集めたものであり、王はあまり好ましく思っていないそうだ。
廊下を歩き、階段を下りて、そしてたどり着いたのは広い地下室。その床に描かれているのは、幾何学的な模様。古い書物に記載されている魔方陣であり、現代の知識では解明しきれていないものだ。魔方陣は部分部分の図式が何かしらの意味を持つのだが、この魔方陣は古いためか、分からない図式が多い。
だが、魔方陣そのものの効果は、書物に記載されていた。
異世界より勇者を召喚する魔方陣だ。召喚された勇者は女神が様々な恩恵を与え、たった一人で魔族を殲滅することが可能であるらしい。
今までどの王もこれを使わなかったのは、これが禁忌とされているからだ。書物にはこう記載されている。この魔方陣の使用に関わった者には、大いなる災いが降りかかるであろう、と。ただの伝説、されど伝説、今までの王はこの災いを怖れ、使うことはなかった。
しかし、今の王は違う。事実上の停戦状態とはいえ、長く続くこの戦争を終わらせたい、という思いからではない。魔族の領地に住むといわれる、ある種族の力を借りたいのだ。
そのためなら、手段は選ばない。
「では、勇者召喚の儀を始める」
どこか緊張を含んだ、しかし威厳に満ちた声で王が言った。
・・・・・
いずれこうなることは分かっていた。望は深く嘆息した。
今いる場所は休憩室。そして目の前にいるのは、楠響子。そして彼女が持ち込んだノートパソコンには、とあるホームページが開かれていた。
イリスファンクラブ。もちろん非公式。そこに写るのは、当然イリスだ。今ではフィアの写真もあるが、けれどやはりメインはイリスの写真となっている。
「新橋さん」
響子の声に、望は姿勢を正した。
「これも見て下さい」
響子がパソコンを操作すると、映像ファイルが再生された。それに写るのは、ある番組の生放送。それに短い時間だが出ている、イリスとフィア。なるほど、これで気が付いたのか。むしろ今までよく気づかれなかったものだと思う。
「新橋さんはこのイリスさんについて知ってますよね?」
「あー……。まあ、な……」
「私が、私の家族がしてもらったことも、知ってますか?」
「あー……。まあ、うん。本人に、聞いた……」
「そうですか」
怖い。この家族とは何度も連絡を取り合っているが、この様な響子は初めて見る。今すぐにでも逃げ出したいが、さすがにそれはできない。本音は逃げたいが。
「教えてください。イリスさんについて」
「…………」
問われた望は、しかし何も答えなかった。口を閉じ、黙り込む。響子の視線をひりひりと感じるが、しかし教えるつもりはない。本人から、いいともだめだとも言われていない以上、望には黙ることしかできない。
そうして長い沈黙の後、響子はゆっくりとため息をついた。
「分かりました。もう聞きません」
「ああ……。悪いな……。もう少し待っていてくれれば、本人に聞いておくよ」
「はい。それを気長に待つとします」
そう言って、響子は淡く微笑んだ。どうやら一応ではあるが納得してくれたらしい。しかしこうしてばれてしまった以上は、イリスに今後のことをしっかり相談しなければならないだろう。
失礼します、と頭を下げて響子が立ち上がる。望も立ち上がり、見送ろうとして。
響子の足下に幾何学的な模様が出現した。
「え?」
「は?」
突然のことに驚き、固まる響子と望。その模様は、いわゆる魔方陣というものだろうか。どうしてそんなものが、この場に出てくるのか。
だがとにかく、どういった効果のものか分からない以上、響子を魔方陣の上から移動させるべきだろう。そう考えて声をかけようとしたが、
「は?」
同じような、間抜けな声。しかし今度こそ、望は間抜け面のまま凍り付いてしまった。
響子の姿は、いつの間にか消えてしまっていた。周囲を見るが、誰もいない。そして気づけば、あの魔方陣すらも消えている。まるで、そこには最初から何もなかったかのように。
「あー……。落ち着け。落ち着け望。まずどうすればいいかを考えろ」
はっきりと見てはいなかったが、響子はあの魔方陣によって攫われたと考えていいだろう。日本では考えられないような超常現象だが、幸いというべきか、イリスによって耐性はできている。少し悲しくなりそうだが。
異世界へと攫われた、と考えるべきだろう。あのような魔方陣など日本、というよりも地球上で見たことはない。望の知らない裏の世界がこの世界にもあれば別だが、どのみちそうだとしても、今からやるべきことは変わらないだろう。
まずは、イリスを訪ねる。彼女の中にいるハルカの妹だ。きっと協力してくれるだろう。
望は社にいる秀明に声をかけて、イリスが使っている社の方へと向かった。
定期的に望自身が掃除しているので鍵は望も持っている。南京錠を開けて、社の中へ。ちなみにイリスも鍵を持っているが、彼女は転移で出入りしているため開けることはないらしい。
いつも通りの光景。ほとんど何もない室内。そこにぽっかりと黒い穴があった。イリスたちが世界を渡る時に使う次元の穴。望は移動したことはないが、これに入れば、あちら側に行けるはずだ。
緊張しないと言えば嘘になる。しかし、早めにイリスに伝えなければならない。そう考えて、望は目の前の、空中に浮かぶ黒い穴に入っていった。
壁|w・)第五話開始、なのです。
次話は奇数日ですが1日に更新します。
その次は2日、その後はまた偶数日になりますよー。