10
イリスとフィアは静かにその家を後にした。旅立つ老人が残される家族に何を伝えたのか、気にならないと言えば嘘になる。しかし、その言葉はあの家族に向けられるものであり、イリスが聞いていいものではない。
フィアはずっと無言だ。ただ、心配そうにイリスの顔色をうかがい、手を繋いでくれている。確かにそこにある温もりに、イリスは少しだけ頬を緩めた。
――人間は不思議な考え方をするね。
山の道を歩きながら、ハルカへと言う。転移で帰ってもいいが、少し歩きたい気分だ。
――あのおじいちゃんも言ってたけど、全ての人があの考え方じゃないからね。心の底から不老不死を求める人も少なからずいるよ。私も、死にたくなんてなかったし。
最後の一言は、今にも泣きそうな声音だった。慌てながら、イリスが言う。
――ご、ごめんね。その、ちょっと無神経だったというか……。
――気にしなくていいよ。ともかくイリス、赤の他人でこんなにショックを受けてて、大丈夫なの?
――なにが?
――この先、あの村の人、いずれはみんな、死んじゃうんだよ?
ぴたりと。イリスが立ち止まった。フィアが心配そうに振り返るが、今は何も言ってやれない。
考えないようにしていた、というわけではない。ただただ純粋に、気づかなかった。
イリスは、そして眷属となったフィアも、この先ずっと長く生きる。数百年か、それとも数千年か、それはイリスにも分からない。だがそれは、当然ながらドラゴンだけだ。
果て無き山の麓に住む、クイナを始めとする村人たち。少し離れた街にいるケインたち冒険者。この世界に住む新橋家。誰もが、イリスよりも先にいなくなる。そこに例外はない。イリスの眷属になれば話は別だが、眷属を増やすつもりは、ない。
いずれ誰も、いなくなる。
――イリス。落ち着いて。
思考が暗く深いところまで落ちかけたところで、ハルカの声が引っ張り上げてきた。ふと気づけば、フィアがイリスの両手を握っている。今にも泣きそうなフィアの顔。それだけ、自分はひどい顔をしていたのだろうか。
「ん……。大丈夫だよ。フィア」
フィアの頭を撫でると、フィアはくすぐったそうに笑った。イリスも微笑みながら、また歩き始める。そろそろ、戻ろうか。
――大丈夫?
ハルカもやはり心配そうな声だ。イリスは笑いながら、大丈夫だと頷いた。
どれだけ難しく考えたところで、別れはいずれ、必然としてやってくる。ならば今は楽しく生きよう。彼らもみんな、巻き込んで。
新橋家に戻ってから一週間後。かなちゃんたちが帰ってきた。随分と遅かったが、話を聞いてきた健一曰く、葬式などをしていたらしい。
かなちゃんは帰ってきた翌日に、イリスたちを訪ねてきた。
「こんにちは!」
以前と変わらない笑顔だ。にこにこと満面の笑顔。戸惑うイリスとは対照的に、フィアは元気よく挨拶を返している。
「掃除中ですか?」
かなちゃんの問い。頷くイリスは、いつもの巫女服に箒を持っている。ちりとりはフィアの役目だ。招き猫はお賽銭箱の側にある。まだ朝だというのに、もう五千円は入っているはずだ。暇人が多いということだろう。
――さらっとひどいことを言うね。
気のせいだ。
「それで、どうしたの?」
「えっとですね、この間のお礼をさせてほしいなと思いまして……」
かなちゃんはそう言いながら周囲を見る。朝より人は減ったが、それでも参拝客は多い。もっとも、純粋な参拝客は少なく、ほとんどがイリスとフィア目当ての客だが。
「別に、お礼なんていらないよ」
「お父さんが腕によりを掛けてハンバーグを作るそうです」
「よし分かった今すぐ行こう!」
いろいろと明かしてしまったので別の店を探そうと思っていたのだが、こうして誘いに来てくれるなら問題ないだろう。これは是非とも、食べに行かなければならない。
「フィア、出かけるよ」
「うん」
フィアからちりとりを受け取り、片付けに行く。フィアも招き猫を抱えて、新橋家の方へと走っていく。何人かがそのフィアをシャッターチャンスとばかりに撮っていたが、この時間に中断してしまうお詫びとして黙認してあげよう。もちろん、次はない。
掃除道具と招き猫を片付けて、イリスとフィアはかなちゃんと共に出発する。
道中、かなり目立っていたようだ。銀髪巫女に金髪幼女巫女の組み合わせ。目立って当たり前かもしれないが、まあ問題はないだろう。そもそもこの町ではすでにそれなりに有名だ。望から聞いた話では、だが。
ただ、予想外だったのは。
「おお! こんな町中に巫女さんとは! しかも外国人!」
のんびり歩いていると、そう声を掛けられた。振り返ると、大きな黒いカメラを持っている集団。声をかけてきたのは、その中の若い男二人組だ。カメラはその二人を映しているらしい。
「あ」
フィアが小さな声を上げる。ちらりとフィアを見れば、多分だけど、と教えてくれる。
「お昼のテレビで見たことあるよ。日本の町をあっちこっち行って、その町の名物を探す番組、だったかな?」
「おお! 日本語達者だね! そしてその通り! いやあ、俺たちも有名になったもんだな!」
「阿呆。有名なのは番組だろうが」
男二人の会話。つまるところこの二人は、こめんてーたーとか、芸人とか、そういったものということだろうか。どうしよう、面倒くさい。イリスとしては早くハンバーグを食べたいのに。
イリスの機嫌が悪くなったことを察したのか、フィアが苦笑して男たちへと言う。
「ごめんなさい。急いでいるんです」
「そんなこと言わずに! 生中継なんで! 一言だけでもいいので!」
一言だけか。それならまあ、いいか。イリスはそう考え、それじゃあ、と口を開く。カメラがイリスを映す。
「この先の神社で、お手伝いでたまに巫女のまねごとをしています。よければ遊びに来てね」
にっこり笑顔もサービスだ。男二人が顔を赤くしているが、どうしたのだろう。
――天然人間たらし。
意味が分からない。
隣で、フィアもフィアもとフィアが飛び跳ねている。というわけで、フィアに場所を譲る。
「イリスお姉ちゃんと一緒にお掃除しています! フィアです! 遊びに来てください!」
フィアも笑顔のサービスつきだ。いや、フィアはもともといつも笑顔だが。あとさらっと名前を出してしまった。いや、大丈夫だとは思うのだが。
ついでとばかりにカメラがかなちゃんを写す。うえ!? と女の子が出してはいけない声を出して顔を真っ赤にした。かわいいかもしれない。
「えっと……。この先の喫茶店の娘です。ケーキと軽食を売ってます。今はちょっと臨時休業中ですけど、週明けには再開するので、よろしくお願いします」
「かなちゃんかたい」
「イリスさんとフィアちゃんが順応しすぎなだけです!」
そうなのだろうか。いまいち意味が分からない。
「それじゃあ、もういいですか?」
かなちゃんが男二人にそう聞くと、二人は名残惜しそうにしながらも、ありがとうと手を振ってくれた。
そうして一悶着あったが、無事にかなちゃんの喫茶店にたどり着くことができた。立て看板には臨時休業中と張り紙されており、期間が書かれている。先ほどかなちゃんが言っていたとおり、今週いっぱいの休業だそうだ。
イリスたちが店内に入ると、白いエプロンをした若い男が笑顔で出迎えた。
「いらっしゃい、待っていたよ」
柔和な笑顔を浮かべる、優しそうな人だ。かなちゃんのお父さんだと何となく分かる。性格もそうだし、かなちゃんと似た雰囲気がある。
「妻と娘から聞いたよ」
そう言えば口止めしてなかったな、と思いながらかなちゃんを見ると、申し訳なさそうに眉尻を下げていた。別に怒るつもりはないので、安心してほしい。
「父さんも世話になったみたいだね」
壁|w・)テレビのくだりは唐突すぎたと思いつつも入れておかないと次話への繋ぎが……。
おじいちゃんが家族に何を言ったのか、それは秘密なのです。