09
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暗い空を飛び続ける。かなの母親の言う方向へ、ひたすら真っ直ぐに。もっと早く飛んであげたいところではあるが、そうなると景色を見る余裕がなくなるだろう。目的地はかなたちの記憶が頼りなので、彼女たちが探せる程度に抑えなければならない。
今は木々で覆われた山の上空だ。先ほど、もう少しスピードを落としてほしいとフィアから念話を受け、さらに速度を落としている。のんびりまったりな空の旅だ。ただし急ぎの旅ではあるが。
「あの山よ」
かなの母がすぐ目の前の山を指し示す。道路も何もない山だ。かなの祖父が所有している山なのだとか。山といっても大して価値のない山だと言われているらしい。
その山の上空をゆっくり飛ぶと、小さな家屋を見つけることができた。その周辺だけは木々が伐採されて、小さいながらも畑がある。よくよく見れば、獣道同然の道もあるようだ。不便なことには変わりないが。
「とうちゃーく」
平屋の木造の家だ。その家の上空に留まり、かなとその母親の体を風で浮かせる。二人は驚きながらも、体を楽にして身を任せてくれた。やりやすいのでとても助かる。ゆっくりと二人を地上に降ろすと、二人はこちらに大きく手を振ってから、家の中に入っていった。
帰りは父と一緒に帰るそうなので、イリスが待つ必要はないそうだ。そのためこのまま帰ってもいいのだが、イリスにはやるべき事がある。
ハルカの母親の時と同じだ。このまま終わりだなんて、認めない。
――何をするつもりなのか、何となく分かるけど……。一応、できるなら本人に聞きなよ。
――うん。もちろん。
助かることを拒む人なんていないだろうとは思うが、ハルカがそう言うなら聞いておくとしよう。
「フィア。姿を消して、私たちも下りるよ」
「うん」
人の姿になり、地面に下りてからもう一度自分の姿を隠す。そうしてから、家へと向かう。鍵はかかっているようだが、転移魔法を使えば問題ない。フィアの手を取り、
「てんいー」
いつもの気の抜けた声。一瞬の浮遊感の後、イリスとフィアは家の中にいた。靴を脱いで、空間魔法で作った穴に放り込む。廊下を静かに歩き、目的の部屋へ。場所はすぐに分かる。
かなの泣き声が聞こえてくるから。
「かなちゃん……」
フィアの悲しそうな声。イリスはフィアの頭を撫でながら、静かに歩く。フィアに静かにねと言うと、頷いて口を押さえた。
目的の部屋は庭から見える部屋だった。ふすまが開けっ放しにされて、布団で老人が眠っている。その周囲には、かなとその母親、そして見覚えのない男と老女。かなの父親と祖母だろう。
「おじいちゃん! おじいちゃん!」
かなの悲痛な叫び声。胸の奥が締め付けられるように感じてしまう。どうにも、人間に馴染みすぎたような、そんな気がしてくる。悪い気は、しない。
そっと歩き、老人の枕元に立つ。その頭に触れて、イリスは目を閉じた。
まだ死んでいない。死んでいなければ、イリスならどうとでもできる。
老人に、心の中で語りかける。彼の魂に直接触れて、かつ取り込まないように注意を払って。
――こんにちは。初めまして。
イリスがそう語りかけると、
――おや? 随分と若い女の子の声が。ここが天国か! 女神様か!
予想と違ってかなりお気楽な声が返ってきた。てっきり悲壮感があると思っていたのだが。ともかく、会話ができるなら良し、だ。
――私はイリスだよ。かなちゃんをここまで連れてきたの。
――ほほう。ということはかわいいかわいい孫娘がおると! 死んでいる場合ではないの!
どうしよう。ちょっと疲れてきた。
――がんばれイリス!
――おや? また別の声が聞こえてきたの。
――なんと、私の声まで聞こえるのか。私はイリスに食べられちゃったぴちぴちの女子学生です!
――ほほう! いいのういいのう! 若いのは素晴らしい!
――死んでるけどね!
――嘆かわしいのう!
もうやだおうち帰りたい。助けにきたのになんだこれ。この二人仲良すぎだろう。
――ふむ。助けに、とは?
唐突に、老人の声が真剣なものになった。どうやらイリスの話を聞くつもりになってくれたようだ。イリスは心の中でため息をつき、言う。
――そのままの意味。私なら、あなたを助けることができるよ。病気も全部治して、健康にできる。今からするね。
そうして治癒をかけようとしたところで、
――必要ない。
その老人本人から、拒否されてしまった。何を言われたのか理解できずに固まるイリスに、老人が言う。
――おれはもう十分に生きた。死ぬ準備もすませたし、遺言もしっかりと残してある。もう思い残すことはない。このまま、死なせてくれや。
――で、でも……。死ぬのは怖いでしょ? 私なら、助けられるんだよ? かなちゃんとも、もっと遊べるよ?
――はは。それは魅力的な提案だの。
――だったら……。
――必要ない。
はっきりと。断固とした意志を感じられた。意味が、分からない。死ぬことを避けられるなら、それでいいじゃないか。どうして、死にたがるのか。
――なあ、神様よ。いや、神様じゃないのか? まあどっちでもええけどな。あんた、死ぬ人間全員を治すつもりか? この先、ずっと? それとも、おれだけが特別ってか?
――それは……。
老人だけが特別のつもりだった。だが、よくよく考えれば、それはハルカの母親の時も同じだ。この先、三人目、四人目と続かないとは限らない。いや、同じことがあれば、同じことをしてしまうだろう。
それが良いことなのか、それとも悪いことなのか、イリスには判断のできないことだ。
――まあ、確かに、他のやつらは永遠の命なんてものを求める奴もいるかもしれんのう。
だけどな、と老人が続ける。
――おれは、そんなものは求めねえ。生きて、老いて、そんで看取られて死ぬ。それが人間の正しい形だろうよ。こうして孫にまで看取ってもらえるんだ、おれは十分幸せだな。
――でも、でも……!
――別に無理して分かる必要はねえさ。おれは必要ないってだけだ。おれは十分幸せだったからな。
そう言って、老人は楽しそうに笑う。これから死ぬ人間とは思えない。そしてだからこそ、意志の強さを感じた。これ以上、イリスが何を言っても無駄だろう。
――本当に、いいんだね? 後悔しない?
――しないとも。気持ちだけ受け取らせてもらうよ。
――ん……。分かった……。
ならばこれ以上ここにいる必要はないだろう。静かに、ここを立ち去るべきだ。イリスがそう考えたところで、
――ああ、そうだ。せっかくだし、少しだけ、いいかの?
――ん? なに?
――その、だ。かっこつけておいてなんだが、少しだけ起きる程度の時間は作れんか? せっかく孫たちがこうして来てくれたんだ、死ぬ前に挨拶ぐらい、したくてのう。
それはまた、難しい注文だ。病などは治さずに、目だけ覚めるようにしてほしい、なんて。方法に悩むが、自分の生命力を少しだけ分け与えれば大丈夫だろうと考えて、老人の依頼を引き受けた。
老人の感謝の言葉を聞きながら、少しだけ、自分の生命力を老人に譲る。少しずつ、少しずつ。
やがて、老人がゆっくりを目を開いた。
「おじいちゃん!」
「父さん!」
かなたちが驚きの声を上げる。老人は薄く微笑むと、口を開いた。