07
やはりそうか、と思う。オムライスが自由に作れる国なんだから、恵まれてないわけがない。
――いやその基準はおかしい。
意味が分からない。
ハルカと会話をしている間に、テーブルの上にあったケーキは綺麗になくなった。しばらくはフィアと一緒に余韻を楽しむ。この食後の余韻も楽しみの一つだ。まずい食事ではこうはならない。オレンジジュースを少しずつ飲みながらそうしていると、
「フィアちゃん! それにイリスさんも!」
かなちゃんがこちらに走ってきた。途中で、走らない! と怒られてからは早歩きになったが。テーブルまで来て、にっこりと笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい! 来てくれてるなら声をかけてくれたらいいのに」
「ごめんね。今日はお姉ちゃんとケーキを食べにきただけだから」
「あ、そうなんだ。気に入ってくれたの?」
「うん!」
嬉しそうに言葉を交わす二人を見守りながら、イリスも頬を緩めた。フィアに友達ができるのはいいことだ。あちらの世界では色々とあって、一緒に遊んだ子たちともあまり関わらなくなってしまったが、せめてこちらの世界では一緒に遊べる友達を作ってほしい。
「あ、そうだ、かなちゃん。軽食はもうやってないの? お姉ちゃんがハンバーグを楽しみにしてたから」
「あ……」
かなちゃんがこちらを見てくる。なぜだかちょっと気恥ずかしい。しかしかなちゃんは別のことを考えていたようで、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。軽食を作ってるのはお父さんなんです。今はちょっと、出かけてまして……」
そこで、かなちゃんの表情が少しだけ変わった。涙を堪えているかのような、悲しげなものに。フィアも気づいたようで、問いかける。
「何かあったの?」
かなちゃんは逡巡してから、小さな声で言った。
「おじいちゃんが、倒れて。それでお父さんが様子を見に行ったの。ただ、ちょっと辺鄙なところに住んでるから、どれだけ急いでも二日はかかるから……」
話を聞くと、そのおじいちゃんは山奥の家におばあちゃんと二人で、ひっそりと暮らしているらしい。バス停まで行くのも歩いて三時間という場所だそうだ。定年後は先祖代々のその家で静かに暮らしたいと言っていたそうだが、いざ何かあると会いに行くのも一苦労だと苦笑していた。
「連絡をくれたおばあちゃんは、いつもの風邪だから気にしなくていいって言ってるんだけど、まあ念のために、ね」
「そうなんだ……。心配だね」
「うん。でもきっと大丈夫だよ。お父さんが帰ってきたら、また連絡しに行くから」
そう言って、眉尻を下げながらもかなちゃんは笑顔を浮かべた。
――んー……。
――どうしたの、ハルカ。
――んー……。なーんか、お母さんの時と同じような、胸騒ぎがするんだよね。
不吉すぎる。思わずイリスが頬をひきつらせ、視界の端でそれを捉えたのかフィアが小首を傾げた。何でも無い、と手を振るが、しかしどうにも気になる。
何も起きなければそれでいいし、と思いながら、フィアに念話を送る。フィアは小さく驚きを顔に出しながらも、かなちゃんに、いいことを教えてあげる、とにこやかに言った。
新橋さんの神社の側に、小さな社があるんだけどね。……うん、そう、そこ。そこにね、本当にどうしようもなくて、けれどもどうして叶えたい願い事をするとね、龍の神様が叶えてくれるんだって。……え? えっと……。望さんに聞いた!
がんばれ望。
・・・・・
夜。母の携帯に、父から連絡があった。父の父、つまり祖父は、おそらくもうすぐ亡くなる、と。
「え……? なんで?」
母にそう言われた時、かなは理解できずに頭の中が真っ白になった。
「お医者さんによると、もう助からないだろうって。病院に連れて行けば、まだ延命できたかもしれないけれど……。お義父さんはあの家で眠りたいって、言っていたそうよ」
「そん、な……」
かなは、おじいちゃんとおばあちゃんが大好きだ。会えばいつもお小遣いをくれて、昔の遊びを教えてくれる。他にも、色々と大事なことを教わってきた、尊敬できるおじいちゃんとおばあちゃんだ。
その、おじいちゃんが、死ぬ。それも、おそらく今日か、明日にでも。
「い、今すぐ、会いに……」
「間に合わないわよ」
「……っ」
そう。間に合わない。早朝にでれば、夜遅くにたどり着くかもしれない、という距離だ。今から行っても、電車もなければバスもない。結局は明日の夜につければ早い方だろう。父も同じ考えのようで、かなたちには家で待っているように、と言っていた。この後の予定が決まればまた連絡する、と。
「そんな、でも……!」
「かなの気持ちは分かるけれど……。もう、手遅れよ……」
ごめんなさい、と母が抱きしめてくれる。母も、泣いていた。母も、尊敬できる両親だといつも言っていたのを思い出した。きっと母も、できることなら最後に会いに行きたいのだろう。
会いたい。せめて。せめて最後に少しだけでも。
そう強く願って、そして不意に、思い出した。フィアの話を。
フィアはこうなることを知っていたのだろうか。あまりにもタイミングが良すぎる。しかし、今はわらにも縋る思いだ。かなは、ちょっと頭を冷やしてくる、と家を飛び出した。
「かな!?」
母の悲鳴のような声が聞こえたが、今は気にしていられなかった。
走る。走る。ひたすらに、走る。何度も行き来した道を走り、向かう先はクラスメイトの神社、その側にある林。その林に、古い社があることは知っている。望さんが管理だけしている社だ。何の神様の社かも分からない不思議な社。だがフィアの話を信じるなら、そこには龍の神様がいるらしい。
ただの伝説。噂話。そんなことは分かっている。けれども、それでも、縋りたい。
林を抜けて、社の前へ。古い社だと分かるが、新橋家がしっかりと管理しているのだろう、うち捨てられているといった様子でもない。かなはその社の前に立つと、手を合わせた。
「お願いします! おじいちゃんのところに連れて行ってください! お願い、します……!」
心の底から。自分ではどうしようもないことを。願う。
「お願い、します……!」
「うん……。待ってたよ、かなちゃん」
不意に、そんな声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。どうして、と顔を上げると。
淡い金の翼を広げたフィアが、社の前にいた。その隣には、イリスもいる。
「フィア、ちゃん……? どうして……。それに、その翼……。まさか……」
天使様……?
その問いかけに、フィアは何も答えなかった。イリスへと振り返り、フィアと視線を交錯させたイリスが静かに頷いた。フィアがかなへと言う。
「かなちゃん。かなちゃんのお願い、叶えてあげる!」
イリスが一歩前に出る。そして突然、光がイリスを包んだ。あまりのまぶしさに思わず目を閉じて、そして次に目を開けた時には、白銀のドラゴンがかなのことを見下ろしていた。威風堂々。悠然とこちらを見下ろすドラゴンからはまさに王者の風格を感じる。緊張か、恐怖か、それとも別の何かか、かなが生唾を呑み込んだところで、
「じゃ、いこっかー」
気の抜けるようなイリスの声が聞こえてきた。台無しである。
「お姉ちゃん、もっとこう、かっこよく……!」
「えー。かっこいいでしょ?」
「姿じゃなくて口調とか! 普段通りすぎるよ!」
「んー……」
イリスが小さく咳払い。小さくといっても、それだけでも重低音が響いた。