06
「で? 何が食べたいんだ?」
「うん。ケーキ」
「なるほど、フィアか」
何故分かる。イリスがむ、と顔をしかめると、望は楽しそうにくつくつと笑う。なんだか、本当に見透かされているような気がする。どうして分かるのか。
――いや、だからイリスが分かりやすすぎて……。
認めない。断じて認めない。
「まあちょうどいいな。ついでにイリスの目的も達成できるし」
「どういうこと?」
「ああ。美味しいハンバーグの店を探してたんだけどな、あの喫茶店も候補の一つだ。近いし、値段もお手頃だし。どうせだから食べてきたらどうだ?」
詳しく聞いてみると、かなちゃんの家は喫茶店で、オーナーの趣味でちょっとした軽食も出しているそうだ。そのどれもが他の飲食店とさほど変わらない値段でありながら、味は絶品と評判なんだとか。ケーキも軽食も美味しい喫茶店で、この地域では有名らしい。
――あれ? でもフィアの話だと、そんなに混雑してるイメージはなかったけど……。
――時間の問題じゃないの?
フィアは朝早くから出かけて行ったので、まだ開店して間もない時間だったはずだ。開店時間が何時かは知らないが。
「まあせっかくだし、フィアと一緒にケーキとハンバーグを食べてくればいいさ。朝から混んでる店だから、待ち時間があるだろうけどな」
やはり、何となく認識の齟齬があると分かる。望の認識では、その喫茶店は朝からずっと混雑しているものらしい。だがフィアの話を聞いたイリスの認識では、人はいるがそれほどでもない、というものだ。
少し気になるが、行けば分かるだろう。イリスも直接見たわけではないのだから。
そう結論づけて、イリスはお金を受け取って望の部屋を後にした。
「ああ、行くのは明日にしろよ。もう夜なんだら」
「えー……」
「晩ご飯が食べられなくなるぞ?」
む、とイリスが唸る。そう言われると、弱い。美枝のご飯は美味しい。食べ逃すことは許されない。
仕方ない。喫茶店には明日に行くとしよう。そう伝えてから、今度こそ望の部屋を後にした。
翌日。イリスはフィアと共に神社を出発した。喫茶店の開店は七時だと聞いたので、手早く掃除をして七時丁度の出発だ。案内役は、フィア。道はしっかりと覚えてきたらしい。さすがフィア。すごい。かわいい。
「お姉ちゃんがきっと食べたがると思ったから」
「…………」
眷属にまで予想されている上に、まさしくその通りになっているので何も言えない。いや、問題はないのだけど。フィアが楽しそうなので良しとする。
フィアに案内されてたどり着いたのは、三階建ての建物だった。一階部分が店舗になっているらしい。ちらほらと客らしい姿がある。
「あ、お姉ちゃん、看板に何か書いてあるよ」
フィアが指し示す先に、立て看板があった。おそらく店名だろう英語と、営業時間などが記載されたもの。そして一枚の張り紙。フィアが期待のこもった眼差しを向けてくる。フィアはまだこの世界の文字を読めない。まだ数日なので仕方が無いが。
イリスの方はしっかりと文字を覚えている。今なら例えハルカがいなくなったとしても、問題なく読み書き会話ができる。日本語に限るが。
――あれ? 私、もういらない子?
――冗談でも言ったら怒るよ。
――あ、うん。ごめん。えへへ……。
何を照れているのやら。イリスはとりあえず張り紙を読むことにする。わざわざ看板の上に張っているのだから、大事なことなのだろう。
そうして読んで。
「…………」
「お、お姉ちゃん? どうしてそんな涙目になってるの?」
「ん……。軽食を作る人が、しばらくいないんだって。今は、ケーキと飲み物だけの提供、だって」
何よりもハンバーグが楽しみだったのに。楽しみにしていただけに、ショックも大きい。
「で、でも! ケーキは食べられるよ!」
「うん……。そうだね……」
「ね? 行こう?」
「うん……」
フィアに手を引かれて、店内へと向かう。フィアの気遣うような視線が、ちょっと悲しい。
――しっかりしなよ、イリス。お姉ちゃんとしての威厳がなくなるよ?
――う……。それは困る……。
フィアに失望されるのだけはやだな、と考えて、もう少しがんばることにする。そうだ、ケーキが食べられるのだから。フィアの話を思い出す。とけるようなクリームに、ふわふわ生地。しつこい甘さというわけでもなく、ほどよく優しい味が口の中に……。
――イリス。よだれよだれ。
慌てて口元を拭う。うん。元気が出てきた。美味しいもの。ケーキ。是非とも食べよう。
「さあ、ケーキを食べるよー!」
「うん!」
元気を取り戻したイリスに安堵したように、フィアも笑顔になった。二人で一緒に、店に入る。
店には丸テーブルがいくつか並び、そのどれもが白を基調にしたもので統一されている。すでにいる客はケーキを食べていたりコーヒーを飲んでいたりと様々だ。店の奥には透明なケースがあり、たくさんのケーキが並んでいた。ケーキというのは分かるが、味は想像できない。
「いらっしゃいませ」
奥にいる女の人が笑顔で挨拶をしてくれる。女の人はフィアを見ると、少しだけ驚いたように目を丸くして、すぐにまた笑顔になった。
「いらっしゃい、フィアちゃん。かななら、自分の部屋にいるわよ」
「あ、ううん。今日は食べに来たの」
「あら! 気に入ってくれたのね。じゃあ隣にいる子が?」
「うん! イリスお姉ちゃん!」
そんな突然話を振られても困る。どれを食べるか考えていたので頭が真っ白になる。
「あー……。フィアがお世話になってます……?」
イリスが首を傾げながらそう言うと、女の人はくすくすと楽しそうに笑った。
「それで、どれがいいのかしら?」
む、と言葉に詰まる。フィアが食べたものと同じものをと考えていたが、これだけ種類があると全て食べたくなってくる。ああ、本当に、どれも美味しそうだ。
――ハルカのお勧めは?
――むむ! 私に聞くか! そうだねえ……。無難にショートケーキがいいだろうけど、ラズベリーケーキも美味しいよ。
それなら二つとも頼んでしまおう。イリスがハルカに聞いたケーキを二つずつ注文すると、女の人はすぐに用意してくれた。お盆の上にケーキを四つ並べ、さらにオレンジジュースも入れてくれた。席は空いているところなら自由に使っていいらしい。
「オレンジジュースはおまけよ。かなと仲良くしてあげてね」
「うん! ありがとう!」
フィアと一緒に、空いてる窓際の席に向かう。窓からは道を行き交う人や車が見える。大きな道路ではないが、この時間は通学や通勤の人がよく使うらしい。
では早速、とイリスは手を合わせた。フィアも一緒に。
「いただきます」
あちら側とはまた違う風習だが、これはこれでいいものだ、と思っている。
では早速。イリスはフォークを手に取ると、ケーキを小さく切って口に中に。
「……おー……」
なるほど、フィアの説明通りだ。クリームがとけて、生地がふわふわで、優しい甘さで。とても、美味しい。こんなお菓子もあるのか、と感心してしまう。
「どう? どう?」
フィアが嬉しそうに聞いてくる。すごく美味しい、と答えれば、フィアは我が事のように嬉しそうに微笑んだ。フィアにとってこのケーキは、イリスにとってのオムライスと同じなのかもしれない。
幸福感に浸りながら、ショートケーキを食べ終える。これだけでも十分に満足しているのだが、まだもう一つある。ラズベリーケーキだ。
赤いソースをふんだんに使ったケーキだ。小さく切って、一口食べてみる。こちらはショートケーキと違って、甘酸っぱい。しかし嫌な酸っぱさではない。イリスにとってはショートケーキよりもこちらの方が好みかもしれない。
ともかく。どちらも美味しい。天国はここにあった。
――やっすい天国だね。
――えー。ハルカが美味しいものに慣れすぎてるだけだと思うけど。ほら見てよ、あのフィアの恍惚とした顔。かわいい。
――うんかわいい。なるほど確かに、それはあるかもしれないね。日本はなんだかんだと、かなり恵まれてる国だと思うから。