18
「それじゃあ、またね」
イリスはそう言って手を振ると、てんいー、と間抜けな声と共に姿を消した。
しばらく待ってみるが、戻ってくる気配はない。そこでようやく、ケビンたちは一息つけた。同時に三人ともがその場に座り込む。今頃になって心臓が激しく暴れ始めた。
正直に言うが、ここまで恐怖したことは初めてかもしれない。
イリスは気が付いているだろうか。人攫い共があらかた片付いた後、その威圧感の名残がこちらに向けられていたことに。それだけで、たったそれだけで、肝が冷えた。
「ねえ、ケビン。ケビンはイリスの強さをどう見る?」
クレイが聞いて、ケビンが考えて、答える。
「Sランクが束になっても勝負にならないだろうな」
Sランク。Aランクより上の、説明されない最上位。Sランクに認められた者はとても少なく、一人一人が人外じみた戦闘能力を持つ。噂では伝説の魔獣、ケルベロスとも一対一で互角に戦えるだろうと言われているほどだ。
だがそのSランクですら、イリスには勝てないだろう。勝負にすらならないだろう。Sランクならドラゴンとも戦えるだろうと思っていたが、そんなものは幻想だった。
「お誘い、受けたけど、行くの?」
カトレアからの問いに、ケビンはため息と共に答える。
「行くしかないだろ。またね、だぞ。来ることを疑ってなかった。これで行かなかったらどうなることやら……」
「イリスは、そんなこと、しないと思う、よ?」
「俺もそう思う。だがもしも、万一、があるからな。……あいつらみたいに」
ケビンが目をやる方向は、死屍累々といった様相の室内だ。誰も死んではいないが、雰囲気の話である。
「さて、どうするかね……」
この後の事後処理を考えて、ケビンたちは頭を抱えるしかなかった。
・・・・・
さて、そんなイリスはと言えば。
――呼んじゃった! 招待しちゃった! 友達が来るよ!
――お、おう……。落ち着けイリス。ギャップがすごい。
山の洞窟で一人はしゃいでいた。はしゃぎながら、フィアを気遣って動きはゆっくりだ。大事な大事な眷属なので、今後はもう少し気をつけてあげないといけない。
一先ずフィアを寝かせてあげよう。そう思ったところで、はっとある重大な事実に気が付いた。
お布団がない。
――くだらない。
――くだらなくないよ? フィアをちゃんと休ませてあげないと。
――なるほど確かに!
ハルカには納得してもらえたようだ。だが今から日本に行くのも考え物だ。フィアを置いていきたくはないが、フィアの姿はあまりにも目立つ。日本に翼のある人間なんていなかったはずだ。
――妥協して、森にあるもので何か作ったら? 葉っぱとか集めるだけでも、石の上よりましだと思うよ。
――んー……。そうだね。仕方ない。
それならばやることは一つだ。イリスはフィアを背負ったまま、出口の一つに立つ。壁にぽっかりと空いた穴。そこから飛び降りればあっという間だが、フィアを背負ったままやるつもりはない。本当に、一瞬考えもしなかった。本当に。
――怪しい。
――いやいやそんな考えるわけがないよ失礼だなハルカは!
――…………。
墓穴を掘りそうな気がする。むしろ掘った気がする。イリスは咳払いをして誤魔化すと、視線を眼下にうっすらと見える森に向ける。魔力を探り、目的の魔力を発見。ディアボロとケルベロスだ。魔力を補足できれば、こういったこともでる。
――ディアボロ! ケルベロス! お仕事だよちょっと来て!
彼らの頭の中に直接言葉を送りつける。いわゆる念話というやつだ。ただしこちらから送ることはできても、受けることはできない。お互いに念話が使えなければ会話ができないという、なかなか使いにくい魔法だ。
送った直後、ディアボロはともかくケルベロスが飛び跳ねるほど驚いた気配がしたが、気にすることではないだろう。
――いい加減かわいそうに思えてきたよ……。
しばらく待つと、ディアボロとケルベロスが階段を上ってきた。
ちなみに、フィアや彼らの移動用に、山の麓に小さな洞窟を作って転移魔法の魔法をこめた石を置いてある。それに触れて少し魔力をこめれば、この部屋の真下に転移できるようになっている。さすがに毎回ダンジョンを踏破してこいと言ったりはしない。
もっとも、ハルカにどうにかしてあげてと言われるまでは踏破させるつもりだったが。
「お呼びでしょうか、姫様」
「うん。ちょっと用事が……、姫様ってなに?」
「村の方ではそう広まっていましたので、そう呼ぶことになりました」
「あ、もう決定事項になってるんだ……。いや、いいけどさ……」
そんな呼び名を広めないでほしい。これから友達が来るのに、聞かれたくないことだ。間違い無く手遅れなので、甘んじて受け入れることにしよう。
「姫様?」
「ああ、うん。フィアが疲れて寝ちゃったから、休む場所が欲しくて。葉っぱとか何でもいいから、ちょっと柔らかそうなもの集めてきてくれない?」
「それならば、ここに適任がおります」
ディアボロの視線がケルベロスへ。自然とイリスの視線もケルベロスへ。とても嫌な予感がしているのだろう、ケルベロスが一歩後退った。
「奴は図体だけはでかい。毛並みもそれなりに柔らかく、休むにはちょうどいいかと。いかがですか?」
「なるほど、ディアボロ頭いい!」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
待て。なんだこの茶番は。きっとケルベロスはそう叫びたいことだろう。しかし言えるはずがない。目の前の二人とも自分よりも上位で、そのうち一人に関してはケルベロスのトラウマそのものなのだから。
「ケルベロス」
イリスとディアボロが名を呼ぶ。そして、短い命令。
「横」
何をしろと言われたか、分からないわけがない。ケルベロスが観念して、その場に横になった。寝やすいように体勢を整え、尻尾をそっと落とす。彼の自慢はこのふさふさの尻尾だ。毎日の手入れは怠っていない。きっと満足いくはずだ、とケルベロスは考えている。
イリスはフィアをその尻尾に横たえる。整った寝息を立てている。ケルベロスの尻尾をなでてみると、なるほど確かに気持ちよさそうな肌触りだ。
ふわふわふさふさの尻尾を見ていると、イリスも眠たくなってくる。きっと、気持ちいい。
「私もちょっと休むね」
そう言って、イリスはケルベロスの尻尾に横になる。予想通り、いや予想以上の気持ちいい。これはよく眠れそうだ。
「おやすみなさいませ」
ディアボロが恭しく頭を下げて、イリスは小さく手を振って目を閉じた。
ケルベロスは尻尾を動かしてはいけないことに気づき、緊張のためか小さく喉を鳴らした。全神経を尻尾に集中させる。微動だにしないように。
イリスが目を覚ますとぐったりとしたケルベロスがいたそうだが、イリスには理由が分からなかった。
・・・・・
イリスが街から姿を消して三日。冒険者ギルドの一室に、ケビンたちは集まっていた。
この部屋にいるのは、ケビンとカトレア、ケイティ、クレイ、そしてケイティの父でありここの領主でもあるクレモア辺境泊だ。クレモアは眼鏡をかけて、一見優しそうに見える男ではあるが、戦略や戦術の考案に長けているという話だ。
ケビンはそのクレモアを一瞥して、小さくため息をついた。
「本当にクレモア様も行くんだな?」
「当然だ。ケイティが世話になっているし、それにドラゴンと会うまたとない機会だ。是非とも会ってみたいじゃないか」
「とは言ってもなあ……」
壁|w・)第三話は21までになりそう。
ケルベロス:北の森の王→ディアボロの配下→イリスの配下→
フィアのお布団←NEW!!